代表取締役社長 上野 秀一
設立 | 2005年11月9日 |
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事業内容 |
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会社HP | http://www.supre.jp/ |
コンピューターとの出会い
出身は大分県中津市です。高校を卒業するまで中津にいました。
中津市は、日本で有名な歴史上の人物、一万円に載っている
福沢諭吉の故郷でもあります。
小学生当時は第2次スーパーカーブームと言ってフェラーリ、
ランボルギーニ・カウンタックなどの外国産の自動車が日本に輸入され、
その華麗さにびっくりしたものでした。
当時で2、3千万円する高級外車を見て、いつかこの車を手に入れてみせると
子ども心に思ったものです。
そこでお金を稼ぐ職業は何だと考えた結果、医者か弁護士か経営者かという
考えにいたり、経営者を目指すことにしました。
小学校の親友の一人に病院の息子がいたのですが、彼の自宅には
当時では珍しい8ビットコンピューターが有りました。
私はそのコンピューターで雑誌を見ながら簡単なゲームを作ったりして
遊んでいました。
機械語または開発言語を用いることでシステムは作動するのですが、
これがとても面白く、将来起業するならこれだと思いましたね。こ
の出来事がコンピューターとの最初の出会いです。
計画通り就職はコンピューター関連へ
企業を立ち上げるなら東京に行かなければと上京したのが1990年。
そこで東京の専門学校へ2年間、アルバイトをしながら通いました。
就職活動は勿論コンピューターを駆使した仕事に就きたいと思いながら
活動をしていました。
当時はバブル後ではありましたが、就活はそんなに困難ではなかったですね。
入社したのがIT,通信業界の大手、富士通の100%金融系の子会社でした。
理由はそこで株や金融システムを憶えへ今後に備えようと思ったからです。
ところが配属された先は保険システム部門でした。正直保険に関しては
全く興味がなかったので、その瞬間に辞めたいと思いました。
朝まで悩んで大分の両親にその旨を告げたところ新聞や雑誌に
大きく載っている様な一流の会社を辞めるとは何事だという訳ですね。
これには参りまして、決まった配属先で頑張ろうと思いました。
そこで4年間勤務をしました。
インターネットの可能性を感じた瞬間
勿論4年間は無駄ではありませんでした。
判らない中でも保険の仕組み金融システムを学びました。
また、在籍中の一番の驚きは1993年のインターネットの出会いです。
同僚から送られてきたメールでインターネットの世界を知り、
これほど多くのコンテンツがあることを知り驚きました。
特に注目したのがアメリカの当時の大統領のメッセージが、
ホワイトハウスの公式サイトから発信しているのを見た時でした。
インターネットは、日本だけでなく世界中と繋がっていることを実感しました。
鳥肌が立つ重いでした。
これはTVや電波の情報でなく、アメリカのホワイトハウスの生情報を
いつでも見たい時にに通信で見ることできるのたなと感動したものです。
そこを辞めた後、今後の私の基盤とも成るハイパーネットという企業との出会いです。
当時はホームページをもった企業は数少ない中、インターネット業界では有名でした。
世界中どこにいても誰でも何時でもインターネットの恩恵が受けられる時代
ハイパーネット社が提供しているサービス「ハイパーシステム」は
当時は画期的なものでした。
個人が負担するプロバイダー料金を無料にできるサービスでした。
プロバイダーーはアスキーがやり、広告とのマッチングシステムは
ハイパーネットが受け持つ企業提携です。ハイパーネットでは主に
広告の対代理店企画営業業務と社内IT業務を担当しました。
そしてハイパーネットは、日本は勿論、アメリカ、韓国と市場を
拡大していったものでした。
当時のインターネット人口はそんなに多くなく、その理解度も
現在と比べられないほど低かった時代の世界への販路拡大は、
大変なものでした。
ですが、1996年に倒産してしまいました。
インターネットの世界は止まらず、1999年にはiモード携帯が登場します。
IPは、最初パソコンに繋がり、携帯に繋がりました。
その先、車、家電と繋がるのもそう遠くはない未来となると思いました。
自社メディアを立ち上げたい!
その後何社か転職をするのですが、いよいよ起業を
本格的に考えるようになりました。
その時に考えていたのが、自分の趣味を教えられるような
個人の教室を応援するようなメディアはないと感じていました。
リクルート社の『ケイコとマナブ』など有りますが、確かに知名度もあり
人気が高いのですが専門学校をターゲットにしており、
資格取得を重要視しています。
私どもは、あくまで趣味の分野で、趣味で集まった生徒さん、
好きで教えている先生、そんな中小規模の教室・スクールを応援して行きたい。
この趣味の分野のカルチャー教室は年々大きく伸長しております。
この分野に参入している企業は少なく趣味のビジネスは
これからの成長株と見ています。
私はそんな趣味の分野のメディアを立ちあげたいと思うようになりました。
調べたところ大手スクールだけでも2兆円産業。かなりのビジネスチャンスです。
これはいけると思いましたね。そして2007年株式会社サプレを立ち上げました。
趣味のビジネスの今後の展開は
私の夢は、世界中につなげていくことをやりたい。趣
味はすでに国境を越えていますが、日本国内にある趣味や
日本文化を世界へ発信したり、逆に海外の趣味や文化を
国内に広めることができればと考えております。
好きな趣味を教えている先生や生徒さんを応援していくような仕組みが
作れたら楽しいと思いますよ。
さらに私どもが主催でイベントを開催するとか、例えばサントリーホールで
音楽の発表会をやるとか、陶芸、美術など展覧会などを開くとか。
これは大手の企業とのタイアップも考えられビジネス範囲が
益々拡大していくと確信しています。