代表取締役 後藤 隆

株式会社レッツ・ジャスト・ドゥーイット 代表取締役 後藤 隆

代表取締役 後藤 隆

株式会社レッツ・ジャスト・ドゥーイット
設立 2005年3月29日
事業内容
  • ラーメン専門店「RYOMA本店」の運営
会社HP http://www.ryoma-5.com/

自分に甘えるな!/h3>
色々な職業を経験してきた自分が、学生の皆さんにアドバイスをするとしたら…

「甘えるな!」「自分から仕事を探せ!」です。
言われたことを100%こなすのは当然のこと。
与えられた環境で甘えて、ただ仕事を待つだけでは成長しません。
<仕事を探しだすことが仕事>と意識して行動することが必須です。
そして、もうひとつは「人の役に立とう!」と積極的に考えて行動するかです。
つまり、周囲の人から「こいつが困った時には助けよう」と思ってもらえる人になること。
この二つをぜひ意識してみてください。

プロサーファーを目指していた20代

青春時代は、中学生から始めたサーフィンに夢中で、
これ中心の生活をしていました。
中学では野球部に入りながらも、週末ごとに海に行くのが日課でした。
お世話になっているショップが世田谷にあり、
朝4時までに自宅の中野から自転車を漕いで1時間の距離も気にならないほどで、
如何に熱中していたか想像がつくと思います。

高校卒業後は、英語の専門学校に進学し20才の時にアメリカに留学。
当時はバブル全盛期で、ヘリコプターのパイロット資格が日本では高給取りだったので、
これはチャンスと意気込んだのですが、
免許取得後にバブルがはじけて日本で資格を活かす道がなくなってしまったんです。
結局、帰国後は契約社員として大手就職支援会社で勤務を開始しました。
2年後にサーフィン仲間の先輩から、フリーランスの営業職の誘いを受け転職。
今考えると、自営業の基礎をここで学んだかなと。
仕事内容は大手通信事業の営業ですが、
フリーランスなので成果がなければ収入に結びつきません。
仕事に対する責任は全て自分にあり、その評価は0か100かしかない。
言い訳は通用しない世界ですから、この時初めて「自立」とは何か?
を意識しましたし、実体験したことは大きかったです。
ただ、自分の中で営業職が向いていないと分かり、
仕事を変えることになりました。
この頃、15歳の頃から温めていた夢を実現させたい自分の想いは
日に日に募っていました。よりサーフィン中心の生活がしたいと26歳の時に、
千葉に移住したんです。

職歴多数は伊達じゃない!

サーフィンを始めた15歳の頃、いずれはプロになりたい!
高校も中退しよう!と本気で考えていた時期もありました。
しかし、当時は<自立して目指す>勇気がなく想いは燻るばかりでした。
とは言え、26歳になり残された時間は多くはないし、仕事はどこにでもある、
今挑戦しなかったら後悔するぞ!と決心したんです。
サーフィンをしない人もいるかと思いますので、
少し説明をしますが、サーファーは朝・夕の1日2回海に行ける生活を理想としています。
当然、仕事もこうした融通が利く仕事になるので、
アルバイトで働くことになります。移住して最初に就いたのがパチンコ屋の店員、
ここからカラオケ屋、バーテンダー、鉄道関連のケーブル工事、
自動車部品のプレス工場、海の家スタッフ、工事現場の作業員、
植木屋、墓石運びなど、本当に多くの職業を経験しました。
この頃になると、現地に住むプロサーファーと一緒にいる時間も多くなり、
サーフィンの腕前もかなりのレベルまで上達し、
生活の中心をサーフィンにすべく、
サーフボード製作工場の正社員として働いたこともありました。
これは本当に楽しかったですよ。自分で何かを作り出す喜びに気づいたのもこの頃です。

ラーメン店開業のきっかけは…

飲食店を起業したきっかけですが、
今考えれば「甘ちゃんだな~」と自分でも思いますので、
学生の皆さんにはおススメしません(笑) 30歳で住まいを東京に戻すことになり、
アルバイトで家系ラーメン屋で働き始めたのがまずひとつ。
二つ目は「流行っていた」こと。
三つ目は、事業を軌道に乗せて多店舗展開が可能になれば、
ある程度自由な時間が増えると考えていたんです。
仕事の責任を持つのは当然ですが、自由な時間を得ることで、
サーフィンに行かれると本気で考えていたんです。
自分としては「どこでもドア」的な働き方がしたかったんですね。

ですが、実際のところはラーメン屋の奥深さや面白さにハマってしまったのが、
この業界を目指した最大の理由です。
その結果なのか、アルバイトを始めて半年で店長になり、
使われる立場から、今度は「人をいかに育てて、
いかに成長させていくか」を意識するようになりました。
開業までの最後の1年は店名を考えたり、
資金調達のために企画書を作成したり、簿記の学校に通ったりと、
準備のために費やしました。

ラーメンブームから多くのことを学ぶ

皆さんもご存じの通り、ラーメンは今や日本の国民食です。
しかし、生き残りのために常に努力と創意工夫が求められる
厳しい業界でもあります。開店1ヶ月は目新しさもあり、
順調だったのですが、次の月から暫く苦しい時期が続きました。
正直に言えば「もう閉店するしかないかも…」となった位です。
でも、ここで終わるのは悔しい!もう一回チャレンジしなくてどうする!
と奮起し、売れるラーメンを作ろうと試作を始めました。
世の中にあるものを作っても値段の競争になってしまい、
味で勝負することは出来ないと、
ターゲットは女性・世の中にまだ出てない商品を開発しなくてはと、
当時ではまだ少なかった塩ラーメン専門を前面に打ち出したんです。
おかげで、マスコミに取り上げられる機会も多くなり、
店の売り上げも順調に伸びていきました。

しかし、<調子に乗れば足元を掬われる>のが飲食業の怖いところ。
都内某所での新規店舗は、リーマンショックでお客さんの
財布の紐が固くなったことや学生街という立地が仇となりました。
売り上げは維持していたのですが、
先々の見通しを考えるといずれは負担になると売出すことになりました。
今後は不動産への知識も深めた上で、店舗展開をするべく準備を進めています。