代表取締役社長 仙田 剛

株式会社アイネックス 代表取締役社長 仙田 剛

代表取締役社長 仙田 剛

株式会社アイネックス
設立 1961年8月
事業内容
  • 各種繊維製品及び服飾雑貨企画製造卸
会社HP http://www.ainexx.co.jp/

28歳で東京進出と社名変更を会社に提言し、自ら実行

当社は創業1949年。
金沢で伊藤洋品店という問屋として始まり、私で3代目。
2年前、50歳で社長に就任しました。

専門学校を中退して21歳で入社。
25歳の時には、「こういうことをやるとお客様が楽しいだろう」と
自分で事業計画を立て、いろいろなブランドを立ち上げていました。

会社はずっと地方でネクタイなどの問屋業をしていたのですが、
28歳の時、当時あった東京営業所を閉鎖して効率を図るとの方針が出され、
閉鎖する前に君が行きない
と命じられました。
東京で新規開拓をしていくにあたって、社名が「伊藤洋品店」では取引先から
受け入れられないだろうと考え、社名変更を提案。
そして、株式会社アイネックスが誕生しました。

とはいえ、当時の東京営業所は古い体質のお客様が数件しかなく、
お金も知名度もない状態。
今では売り上げの95%は東京でのものですが、
諦めずにコツコツと新規開拓をした成果です。
なかには、7年間ずっと通い続けて、ようやく取引にこぎつけた企業もあります。

ネクタイ業界で大躍進の理由は高いファッション性と提案力

「ネクタイは売れない」とよく言われます。
業界全体が、この10年で半分くらいに縮小しています。

しかし、当社ではこの10年ほどで飛躍的に売り上げが伸び、
東京進出当時に業界で25位ほどだったのが、今は二番手のポジションに。

かつて、ネクタイは「ブランドさえついていればいい」という
企業が多かったのですが、私はファッションという切り口で売り出すことを
ずっと続けてきました。
それが何とか形になってきたのだと思います。

成長の理由は、的確な商品の提案力にあると思っています。
私が考える営業とは、お客様が欲しいと思うものを売るだけではなく、
お客様が何を一番欲しているのか、何がお客様にとってメリットなのかをとらえて、
それをいち早く提案すること。
当社のスタッフは、それができているのだと思います。

社員と共に年4回のヨーロッパ出張で最新のファッション情報を共有

そのためには、クライアントのことも、ネクタイ以外のファッションの
こともよく知らなくてはいけません。
それに、世界標準のもの作りをしていきたいという思いも持ち続けています。
だから、ヨーロッパ出張は年に4回。
当社は33人の会社ですが、一回の出張に6人ほどで行きます。

そこまでのコストをかけて、海外のファッション展示会に足を運び、
情報をいち早くキャッチし、それを全員が共有。
単に「イタリア製がいい」というのではなく、一番いいものがどこで
作られているのか、「この国のこの地区のこの工場が素晴らしい」と
いう情報を見つけ出して日本に持ち帰り、お客様に提供することに努めています。

そういった取り組みの成果か、リーマンショック以降、日本の経済が
疲弊している中、当社も苦戦しましたが、今では完全に近い形で復活できました。
一時期は、不況の影響で「高い物は悪だ」という風潮が強くありましたが、
やはり「いいものはいい」ということが分かっていただけるように
なってきたのだと思います。

明確な夢さえ持てば必ずそれに近づける

私は、若い時から「ファッション産業とはこうあるべきだ
」「自分はこうなりたい」というビジョンを明確に持っていました。
田舎の地方問屋だった頃から、「自分でものを作り、
海外からも仕入れて、東京の一番おしゃれなお店に置いてもらいたい」
と考えていたのです。

セレクトショップといえば、当時はビームスさんくらいしかなかったのですが、
そういうお店の「どこに何本、自分の商品を置いてもらいたい」ということまで、
具体的な目標を思い描いていました。
今では、日本のセレクトショップの大多数とお取引いただいており、
海外への輸出も行っています。

私は今も社員によく言うのですが、「誰でも明確な夢さえ持てば
必ずそれに近づける」と信じています。

会社の10年後の姿を、夢を持って熱く語れる人を育てたい

事業や会社に関して、今までは、時間はかかりましたが、
自分が思い描いた通りの将来像を実現することができました。
今後は、次のステップとして、もっと幅広いアイテムに挑戦したいです。

社員には、「10年先に当社がどういう方向であったらいいか
という夢を持って、私を説得してほしい」とよく言います。
私も、若い頃はそうして先輩や役員、社長を説得していました。
そういう思いを持った社員を育てていきたいですね。
失敗してもいいのです。
それだけ熱く語れる社員は「楽しいやつだ」と思いますね。

若いうちは失敗するのが当たり前。
今は、失敗しない若者が多いと感じます。
私が若い頃、「出る杭は打たれる」とよく言われましたが、
「出過ぎた杭は打たれない」とも言います。
出過ぎるくらいの杭になってほしいですね。
私の経験上、若くて熱気と信念がある人は、間違いなく成長していますよ。

枠にはまらない人材に出会うため、一次面接は社長自ら行う

当社では、一次面接を社長の私が行います。
経歴や学校名などはあまり見ません。
会話をしながら、その人が本当にファッションが好きなのかということ、
その次に人間性を見ています。

先に現場のスタッフが面接して絞った後に、最終で社長面接をするのが
一般的だと思いますが、私は欲張りなので、部下が振り落すまでに
自分の目で見たいのです。

通常の面接では、枠にはまった人間は集まると思いますが、
企業にとって一番大切なのは「人」。
よい人材を採用するために、いろいろなチャンスを活かしたいのです。

私自身、書類の字は下手だし、専門学校中退だし、はちゃめちゃな性格。
普通の面接では落とされていたでしょう。
でもやる気はありました。
現場のトップの人との面接で、「こいつおもしろいな」と思って採用して
もらえたのだと思います。
だから、自分もそうしたいと思っています。

自分が好きで進む道ならとことん突き詰めるべき

最近は、「仕事」として服飾専門学校を選ぶ人が多いです。
昔と違って、本当に洋服が好きで選ぶ人は少なくなりました。

しかし、自分が好きで進む道なら、とことん突き詰めてほしいです
何でも、貪欲にチャレンジしてほしいですね。

私が若い頃は週休1日でしたが、休日も会社で朝から晩まで物を作っていました。
好きなことだから、全然苦にならなかったのです。
子どもの頃にプラモデルを作ったのと同じ感覚で仕事をしていました。
毎日楽しいことをさせてもらって、ご飯も食べられて、
ありがたいという感覚でしたね
だから、仕事をしているという感覚は、社長になってやっと出てきたかな(笑)。

会社に不満があるなら自分が居心地のいいように作りかえればいい

大企業もいいですが、中小企業で全部を見渡せる方が、
私は楽しいと思います。
中小企業で働くということは、より経営者に近い立場になれるので、
自分が会社を作っているような気持ちになれます。
経営者や仲間と一緒になって、小さい会社を夢のある会社に
作り上げることができるのが中小企業のいいところだと思います。

私は、会社に対する不満から辞めたいという社員がいると、
「それなら自分が居心地のいい会社に作ったらどうだ」と言います。
私自身がそうでしたからね。