代表取締役 奥原 東太郎
設立 | 昭和58年10月1日 |
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事業内容 |
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会社HP | http://www.medic-inc.co.jp/ |
起業家精神ゼロからの出発
学生時代を通してアルバイト経験なし、人に使われる経験ゼロで、大学卒業後に親が経
営する印刷会社に専務として入社しました。ですから、当時は青っぽい考え方で働いて
いたと思います。大学院までいきましたので、社会人になったのは26歳でした。遅いスタ
ートでしたので,自分なりには頑張ったと思います。そして6年くらい経った頃、「肩書きに
あう責任のある仕事がしたい」と考え始め、親にそのことを伝えたら、なぜか親の逆鱗に
触れてしまい、…「今月いっぱいで出ていけ」といきなりの解雇宣告。今でも忘れません1
983年9月27日のことです。
親は私が直ぐに詫びを入れてくると考えていたようですが、次に日、会社に来る途中で、
「ワンルームマンション、電話付き、即入居可」のはり紙を見つけてしまい、その場で不動
産屋さんに電話をして、10月3日からの入居手続きをしてしまいました。よくそんな無茶が
できたものだ。人間、感情が高ぶっていると思いきった行動が可能なんですね(笑)
親との喧嘩、ビジネスプランなしと言う状況ではありましたが、実はその少し前から仕事
絡みで色々なチャンスが与えられてはいました。それが株式会社メディックの社名の由
来にもなっています。
なぜ「メディック」なのか?
社名のメディックは、メディカル・医療から名付けています。ある仕事が縁となって、慶應
大学の医学部の教授と知り合い、製薬会社や健康関連の会社を沢山紹介して下さいま
した。また、人の健康に対しても、志し高く考えていく方たちで「人が本来持つ、自然治癒
力を高めることが健康の基本」という想いを持ち、それを実現させる為に健康管理クラブ
を作りたいと常々話していました。ただ、先生方はあくまで医療現場が専門。事務方を引
き受ける人がいなくて、中々うまく進んでいないのが現状でした。ところが、会社を辞める
ことの報告に伺ったところ、「なら君が事務局をやりたまえ!」と強く要望され、メディックと
いう社名で会社を設立したという次第です。
では、なぜ今印刷関連の企画提案・制作・コンサルティングの業務なのか?色々ありまし
たが、仕事内容がと言うよりかは「医療・健康」を扱うことが非常にデリケートかつ難しい
ことだと自分が実感したからです。結局のところ、自分が大学院卒業から独立までで身
に着けていた<印刷>の仕事に戻りましたが、会社名はそのまま残しました。機械を持
たないブローカー営業が中心なので、デザインを売ること以上に重要視していたのはコ
ンテンツに対するアドバイス、所謂コンサルティングです。
TVで観た『オリンピック招致』が大きな転機に
自分としては計画的に事を進めてきたのではなく、チャンスにぶつかり取り込んできたと
思っています。最初のチャンスは眼鏡店の閉店セールの企画を持ち込まれたこと。二つ
目はテレビでみた「北京オリンピック招致」の話題でした。
眼鏡店の閉店セールでは、問屋に返せない商品をいかに売り切るか!を企画提案し、
そのためのチラシやポスターを制作しました。ところが、蓋を開けてみると『眼鏡屋の閉
店セールなのに行列ができる程の大盛況』となり、これが業界紙に取り上げられました。
するとコンサルティングの依頼が、いろいろな眼鏡店から舞い込むようになりました。閉
店するはずだった眼鏡店の店主も「閉店を止めてリニューアルオープンする」と言いだ
し、結果として店舗は存続ということに。
また、当時はデパートとの付き合いも多く、出入りはしていたのですが、販促担当と話が
出来るのは、店舗閉店後の夜8時以降でした。ところが、自分達より優先して会える人物
がいることに気づきました。それがデパートなどでよく見る催事などを知らせる<懸垂幕
>の職人さん。実は、関東でも限られた会社しか製作しておらず、この人たちに臍を曲げ
られたらデパート側は告知に困るんです。自分は直感で「これは美味しい業界だな」と思
いました。しかし、どうやって切り込むか考えていた時に、偶然テレビでシドニーと北京が
オリンピック招致を争っているいというニュースを見ました。映し出された北京の風景には
<懸垂幕>が!つまり北京では懸垂幕が製造されている!何とか中国にコネクションを
持てないか?と日中友好協会に打診をしたら、トントン拍子に話が進み、現地での規制・
出資比率などの条件をクリアして製造を開始しました。
当時の中国の貨幣価値は日本の20分の1。日本でデザイン作成・北京で製造・飛行機で
商品を空輸、日本の原価で販売しても利益が出るというビジネスモデルが構築できまし
た。また、従来の製品では<何色使うのか?><文字数>で見積もりを出していたの
で、発注側にとっては初期段階では幾ら経費が掛かるのか把握がしづらい状況でした。
ところが、当社は中国での製造することで人件費を抑えているので、こうした条件を取っ
払い『何平米で幾ら、イラスト入りも対応可能」に。懸垂幕にビジュアルを取り入れたのは
当社が日本初でした。
新しい目標は一個人として起業家を支援すること
実は今年5月には全ての役職から外れ、一個人で活動していく予定です。現在61歳です
がこれは数年前から計画し準備を進めてきました。私が今までに培ってきたコンサルティ
ングの経験と知識を活かして、起業を目指す人の支援事業です。年間4社限定で起業に
向けての事業計画からコンサルティング、資本も私が提供しています。資本提供までする
のは、私自身の仕事(コンサルティング)に最後まで責任を持つという決意の表れです。
昨年末からすでに開始していますが、3社立ち上げに成功し、残り1社は準備中です。
誤解を恐れず言えば、多くの経営者に「会社の成長のため着目しなければいけないこと
がある」ことに気づいて欲しいのです。それは営業の人材の優秀さなどではありません。
もっと的確に絶対にブレてはいけないものです。これは私自身の新しいチャレンジではあ
りますが、数年経ては起業家支援の結果も出てくるでしょう。自分のライフワークが仕事
として実を結ぶ楽しみが増えました。
夢の実現に必要なこと「諦めない・逃げない」
就職活動だけでなく、人生においても負けたら終わりでしょうか?それは違います。そこ
で動くことを止めたら終わりなんです。皆さんには、志望する仕事・想いがあるはずです。
夢の実現には労力が伴いますが、そこから目を逸らして実現できないと嘆いても仕方あ
りません。夢が逃げていくのではなく、自分が夢から逃げているんです。逃げたら負け、
諦めたら絶対に手に入ることもありません。
最近の傾向として、若者の離職率の高さも指摘されていますが、これにも私は違和感を
抱いています。入社1年〜3年の間で、何を身に着けて、何を得たのか?それをきちんと
第三者に説明できるほどになっているでしょうか?こうした中途半端な時期の判断で辞
めてしまうのは、それまで費やしてきた時間を無駄にしてしまいます。
社会人に必要な能力はふたつ
成績が優秀なこと以上に大切なのは、社会人として常に意識していなければいけない能
力です。それは「気づく能力」と「スピード」です。これは本人が意識しなければ絶対に身
に付きません。例えば、仕事で与えられた課題の〆切が10日後だったとしましょう。
あなたは時間ギリギリまで完璧を目指すタイプですか?
それとも、スピード重視で5日間で仕上げますか?
私が考える正解は後者です。雑に仕事をするのとは違います。まず5日間で第1段を作成
し、上司なり先輩にチェックをしてもらい、残りの日数で修正し完成を目指す方が、仕事
の質が上がります。一方、気づきは会社、上司・先輩・同僚と自分を取り巻く環境に対し
て意識を集中することです。ビジネスチャンスや自身の成長は、このふたつの能力を成
長させていくことで、格段に早くなると思います。