代表取締役 伴野 元信
設立 | 2008年7月1日 |
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事業内容 |
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会社HP | http://www.getoverit.jp/ |
劣等感ばかり感じていた学生時代
学生時代はどちらかと言うと落ちこぼれでした。
あまり勉強も出来なく、クラブ活動は中学からずっとバスケットボール部に
所属していましたが、スターティングメンバーに選ばれることもなく、
うだつがあがらない毎日で、とにかく劣等感ばかりを感じていました。
高校卒業後の進路を決める際も、漠然と大学には行こうとは思っていましたが、
特に行きたい大学もなく、何をするにも中途半端な自分がそこには存在していました。
ただ、私は子供の頃から、科目の中で英語だけは不思議と好きだったこともあり、
考えた末、語学の本場、アメリカの大学で勉強したいと思い始めたのです。
親に相談したところ“逃げるのではないか”と正直痛いところをつかれましたが、
(実際半分はそうでした)ですが、このままではいけないということだけは自分でも
分かっていましたし、何かをしたいと考えた結果でした。
そして、私はアメリカの大学に進学することになりました。
“行動力”を学んだアメリカでの大学生活
私が進学したアメリカの大学は、日本人がほとんどいない大学で、
予想以上に大変な学生生活でした。
英語は得意科目と思っていましたが、とても今の自分の学力では、単位を
とることは難しく、“チューター”をつけてもらい個人レッスンもプラスしました。
とにかく、毎日膨大な量の予習復習をしなければ、授業にはついていけませんでした。
課題ももちろん毎日で、もう本当に信じられないくらいの量でした。
ですが、どんなに多い課題でも、夕方から取り掛かれば、朝方には終わりに
近づいているのです。
私は、先ず取り掛かれば、何とか前に進めることに改めて気付きました。
この感覚は今でも役に立っています。
また、アメリカでは何にせよ、前に出ないことには誰も振り向いてくれません。
劣等感など感じている余裕はなく、おかげで徐々に前に出ることも学び、
“行動力”さえ身についていました。
今までは“自分は何も達成できない”と卑屈になっていました。
ですが、このアメリカの大学生活から、生まれて初めて、自分はここまで
出来るんだと、人にも言える自信をつけることが出来ました。
その後、私は必要単位を取得。大学を無事に卒業することなったのです。
帰国後は紆余曲折
日本に帰国後、私は新たな気持ちで就職活動を始めました。
語学力が買われ、アパレルの貿易会社に入社。
ネクタイ、スーツなどを輸入する会社で、入社2週間後にはすでに社長の
通訳兼営業補佐という形で、海外出張に二人で出掛けることになったり、
期待をされている感じを受けました。
ただ、とてもワンマン社長で、非常に人の出入りが激しい会社でした。
いつしか私もその一員になっていました。
そのような中、たまたま留学時代に出会った知人から連絡があり、アメリカにいる
友人が日本向けに個人輸入の会社を起ち上げるので、つないでくれる人を
探しているとの話。私は後先考えずに飛びつき、渡米しました。
当時は“NIKE”の全盛で、日本では手に入らないAIR MAXなどの商品を買い付けたり、
現地のバイヤーと仲良くなったりと非常に楽しい仕事でした。
ですが、レアな商品ですと数も限られているため、収入を思い通りに確保することは
難しい仕事でした。またビザの問題もあり、私は1年で日本に帰国しました。
祖父の会社に平社員として入社
再び日本に帰国した私は、祖父が創業した問屋の仕事に就くことになりました。
祖父の“やってみるか”の言葉に励まされ(ただ7年赤字という少々不安な部分
もありましたが)そのせっかくの恵まれたベースを無駄にしてはいけないと、
入社を決め、平社員からやらせてもらうことになりました。
渡米し、輸入業を手伝っていた頃、お客様だったところに話をつなぎ商品を
卸したり、少々の商売経験が役に立ちました。ですが、何せ小さな問屋です。
相手先に振り回されることも多々あり、痛い目にも合いました。
何とかしたいと考えたところ、私は会社としての“武器”がないことに気付きました。
自分でコントロールできる商品もなく、ブランドもない、しかも営業力も弱小では、
もはやこの時代、生き残るには難しいと感じました。
ですが、おかげ様で、夏は水着、冬は手袋など、販売量が増えている商品もあり、
結構な量になりつつありました。
私は、自分の会社と同じくらいの規模のメーカーの社長に相談をしました。
「だったら中国に行ってみればいいのでは?」と社長の一言。
とりあえず上海や杭州などの大きな市場に行き、良い工場が見つかったら
輸入すると良いと大きなヒントをもらい、私はすぐさま中国に行くことにしました。
そして、運よく、良さそうな所が見つかり、取引きをする運びになったのです。
オリジナル商品の開発、ネット物販への参入、そして起業
中国生産輸入はそれまでない利益を会社にもたらしました。
万年赤字の会社を救うのはこれだ!というもの見つけた気がしました。
同時に今まで自分たちがいかに無知であったことを思い知らされました。
生産するにあたっての色々な知識を取得することにより
取引きする会社との関係が対等になり得ると感じました。
また突き詰めてゆくと、自分たちが作った“オリジナル”というものは
非常に強いアピール力を持った武器で、
新しいお客様、今まで相手にもされなかったお客様の門も叩けるようになったのです。
会社のステージが一段上がった実感を得ることができました。
そのような折、弊社の商品をネットで販売し利益を上げている方と知り合うことになり、
これはすぐにでもこの業界に参入しなければと思ったのです。
輸入の増加も相まったこともあり、私はここで初めて別の法人を創ることを考え、
独立をしたのです。自分の理想を行動で証明したいと考えたのです。
社員に願うこと。また学生さんに願うこと。
独立してから2年半になりますが、おかげ様で売上は伸びています。
現在では、オリジナル商品、Web販売に力を入れると共に、会社成長の核となる
スタッフ教育にも力を入れていきたいと考えています。
私が社員の皆に一番願っているところは、働いている人たち全員が、それぞれ
会社という場所で“自分の居場所”を見つけて欲しいということです。
地味に見える仕事にこそ居場所作りの真髄があります。
毎日のたゆまぬ仕事での証明によって上司だけでなく、同僚にも認めてもらえるのです。
その後にきっとその人の職場での居場所ができるでしょう。
また、学生さんへ望むことに関しましては、陳腐な言い方になってしまいますが、
やはり最終的に“ガッツのある人”と私は一緒に仕事をしたいと考えています。
昨年、我が社で募集をかけたところ、190名位の方にお越し頂き、私はその中の
20数名の方と面接をしました。
私個人の率直な印象なのですが、一言で申しますと、小さな器に上品にきれいに
まとまっている人が多いように感じました。
器というものは、これからの経験で大きくしていくわけですが、そこから溢れるもの、
活力や貪欲さと言いますか、それらを垣間見ることが出来なく、残念に思いました。
会社に○○してもらおうという考えは社会では通用しません。
自分はこの会社で何が出来るのか、そして自分でなくてはだめだと人に言わせる
何かを持ちたいという思いが、大事だと私は思います。
熱意を持ち、自分のやるべきことを考え、自分を少しずつでも証明していって
欲しいと思います。