代表取締役・PRODUCER 齊藤 匠 

有限会社アクロ 代表取締役・PRODUCER 齊藤 匠

代表取締役・PRODUCER 齊藤 匠

有限会社アクロ
設立 2001年10月2日
事業内容
  • テレビ、ラジオ番組 映画の企画制作
  • 映像ソフト、音楽ソフト、コンピューターソフト、ゲームソフトの企画・制作販売
  • 出版物、広告用印刷物の企画・制作・販売
  • テレビ、カメラ操作等の放送関係業務要員の派遣業務
  • 著作権・商標権・意匠権の取得及び管理業務・宣伝広告代理店業務・各種催事・イベントの企画・制作・運営業務
会社HP http://www.acro-net.tv/aboutacro/

感動を与える仕事がしたい!その原点は…?

高校生の頃から「手に職をつける」ことは意識していました。
自分の父親は大手メーカーで、エンジニアとして毎日忙しく働く典型的なサラリーマン。
当時、漠然とですが「父親が定年退職したらどんな生活になるのだろう?」と想像すると、
自分には企業への就職より「一生できる仕事を見つたい」という欲求が強くなりました。
その当時は、テレビドラマで「3年B組 金八先生」が放映されていた時期で、
目立ちたがりの性格と人に感動を与えられる仕事はこれだ!と劇団にも所属し、
週末は東京へ通う生活が続きました。
学校自体は進学校だったので、3年生になって進路決定をする段階になって、
父親から勧められた大学の芸術学部を受験し、演劇学科への入学が決まりました。                                                            しかし、入学して半年も経たぬうちに
「演劇学科を卒業しても、俳優への補償にはならない」という当たり前の事に気付きました。
また、劇団のオーディションに受かったこともあり、中退することを決意。
ところが、劇団に入ると昼は稽古・夜は居酒屋でバイトという不安定な状態がスタート。
このまま自分が年を取っていくことに疑問を感じ始めました。
中学・高校と演劇部で実績がないこともありましたが
「自分は芝居が好きなのか」と自問自答し始めたのです。
出した結論はNOでした。
とはいえ、エンターテイメントやマスコミ業界への興味は強かったので、
この業界で働いてみようと、アルバイト雑誌から探し出したのが、
20代の10年間を過ごすことになった会社だったのです。   

ベンチャービジネスを体感したことが大きな転機に

就職をしたのは、レーザー光線専門の会社。
今でいうとベンチャー企業の先駆けでした。
その会社は、営業経営センスに長けた兄と、
レーザー光線の機器やプログラムシステムを開発担当する弟の
兄弟タッグで経営する会社でした。
入社後はコンサートツアーのスタッフとして全国を回りましたが、
しばらくすると光学系のシステム設計も一部任されるようになりました。
当然、売り先を開拓していかなければならないので、
全国の結婚式場やコンサートホールに営業にいくこともしばしばありました。
これが後に、この会社で正式な営業部を設立するきっかけとなり、
初代部長として引っ張っていくことになりました。                          

この時期には新入社員も配属され、人材マネジメントも考える必要性が出てきたので、
管理者養成学校の合宿に参加。
ここでの2週間の生活は「社会人の基礎の基礎」を徹底的に叩き直す軍隊訓練のようなもので、
2週間後の試験に合格すれば帰れるというものでした。

合宿から帰った後、会社が大きな転機となる事業をスタートさせ、
大手商社との共同出資会社設立に向け動き始めたので、2年間そこに出向する形になりました。
最先端の仕事をする商社マンとの仕事は、自分にとっても大いに刺激になりましたね。
彼らの仕事の肝は「情報」。
あらゆる情報を商品化していく彼らの中で一緒に仕事をするには、
自助努力で自身を高めていくしかありませんから。
大きなプロジェクトを動かしたことで、
経営陣も「会社をより成長・成熟させるために上場する!」と明確な目標を立てていましたし、
自分も社長たちの右腕として働く機会も多くなり、
売上、収支や粗利、一人あたりの経費まで考える仕事も増え始め、
経営の意識付けはこの10年間で培われたようなものですよ。

捨てる神あれば拾う神あり?

しかし、1990年代初めのバブル崩壊が新入社員の内定取り消しに繋がってしまい、
この扱いに納得がいかなかった私は会社を退職します。
そして、フリープロデューサーの肩書きを作って活動を始めました。
最初はのんびりやっていこうと思っていたところに、
知人のテレビ制作会社の社長紹介で『ウリナリ』の前身となる
『ウンナン世界征服宣言』の仕事をしてみないかと声がかかりました。                            
社外プロデューサーとしてテレビ業界を見たとき、商社マンと仕事をしてきた経験が活きましたね。
テレビはその放送1回がまさに勝負の世界です。
しかし、ビジネス的な目線や別の形で残し発展させていくアイデアは
この業界には皆無だと感じとれたのです。                             

自分としては当然、一生続けていく仕事をしたい。
でも「10年先を考えた時にテレビ屋だけで終わりたくない。
もっと新しい商売ができるのではないか」と考え始めました。
このまま会社に所属していたのでは、自分のカラーを前面に出した仕事は出来ないし、
仕事を通じて知り合った人の縁、新しいコンテンツ、
それらをすべて加味して活かす仕事をしなければ『一生の仕事にはならない!」と
独立を決意しアクロを立ち上げたのです。

社会人になるには「セルフプロモーション」は必須

今年でアクロは設立10年目を迎えます。
おかげさまで仕事は順調で人材を増やしてきましたが、
企業として改善しなくてはいけないことも見えています。
それは「この10年間でテレビ以外の仕事を作り出せていない」こと。
例えるなら、種を撒き、芽は出た。
でも、そこから肥料や水など成長に必要なものを与えられずに、枯らしてしまった。
具体的に言えば、セルフプロモーション力のある社員、
経営感覚のある社員に育てきれていなかったことです。
2年前のリーマンショックがテレビ業界を直撃し、
番組経費の削減でアクロ社員も担当を外されてしまいました。
当然その分、会社の売り上げが減るのですから給与面でお互いがぶつかり合ってしまいます。
会社の名前でなく自身の実力で仕事をすると言い続けていましたが、
業界特有の難しさというか、日頃接する時間の少なさもあり、
この言葉が浸透しきれていなかったことが、反省点です。                    

ということは、新卒採用ではどういった人材を選考していくべきなのか?と
明確なビジョンを私も持たなくてはいけない。
以前は「テレビが好き!」その熱意が基準でしたが、
今はプラス<起業家精神を持って自分の将来像を描ける人>が必要だと実感しましたね。
一生TV業界って心意気があるのは前提ですが、30歳までにはディレクター、
そこからはプロデューサーとして培った人脈を活かして実力で仕事を勝ち取り、
自分自身をマネジメントしていく力が必須なのです。

人間性とコミュニケーション力を高めて欲しい

とても単純なことですが、一番大切なのは<人間性>です。
例えば、挨拶がきちんとできる、ゴミが落ちていれば拾うなど、生活の中で教わってきたこと。
また、コミュニケーション力を「雄弁であること」と勘違いしている学生さんも多く見かけます。
考えて話す力、相手と会話する力、考えて考えて自分の情熱がどうしたら相手に伝わるのかと、
今できていなくても意識した瞬間から変わることができます。                  

企業の名前や規模に囚われるのではなく、本当に好きなことを仕事にしよう!
それを急いで見つける必要もありません。
どんな仕事であれ、一生懸命やっていくうちに自分の向き不向き・好き嫌いが見えてきます。
何の仕事で自分は給料を得て生活していくのか?
まさにセルフプロモーション力が問われていく時代ですね。