代表取締役社長 長谷川 洋
設立 | 1996年9月 |
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事業内容 |
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大学卒業後は大手百貨店に就職
私が大学を卒業したのは1976年ですが、当時は大学を卒業後は
一部上場一般企業に就職するのが当たり前の時代でした。
今の学生とは違い、医者や弁護士など専門的な仕事につく以外は、特に何になりたい
という考えを持つ大学生は、ほとんどいなかったと思われます。
私の場合も、何の疑問も持たず、大手百貨店に就職をしました。
もちろんこの時、将来起業するなんて思いもしなかったわけです。
百貨店での最初の配属先は特選婦人服でしたが、その後外商部に人事異動となり、
外に営業をして“ものを売る”仕事が主でした。
ご存知ない方も多いと思いますが、百貨店の外商というのは、
面白いことに、お客様が必要とされていてお金で売ることができるものは、
何でも売ることができるのです。
例えば、百貨店に取り扱いのない、お墓でも、車でも、etc…。
極端な話、飛行機だっていいのです。「ラーメンからミサイルまで」(笑)
海外旅行に行きたいとお客様から相談を受ければ、
私はすぐに旅行代理店に行き、希望の旅行の用意をしました。
要は、ある意味、外商部はお客様の何でも屋なのかもしれません。
私は人が喜んでくれることがとても好きであったため、
この外商という仕事に大きなやりがいを感じていました。
以後、毎日、頭と体を動かし、百貨店の外商マンとして働きました。
自分の人事は自分で決めたい
とにかく私は“営業”という仕事が好きでした。
30代半ばにさしかかり、この仕事を突き進めていくところ、
自分の営業の幅を広げたいと感じていました。
形のないものを売ってみたいと、思い描くようにもなりました。
それは、例えて言うなら、今まで鐘という形あるものを
売っていたのに対し、今度は鐘の音(ね)という形のないものを、
売ってみるということです。
たまたま話があり、私は転職を決意。結果、放送局という、
また違った組織の中で仕事をすることが決まりました。
以後、9年間という月日を放送局で過ごすことになりますが、
一番学んだことは、形あるもの、形ないものに関わらず、
培ってきた“営業マインド”は何にでも通用するということでした。
そして、これも大事なことですが、組織という中で働くことにより、
基本的なビジネスを身につけられ、仕事をする上での
自分のベースとなるものが築けたことでした。
放送局では、営業部長も経験させていただき、
その後独立するわけですが、私の場合、正直たまたまと申しますか、
自然の流れで、起業する方向に、ことが進んでいきました。
私は組織人として20年以上働き、そろそろ自分の働き方を
会社ではなく、自分で選びたいと考えるようにもなっていました。
“自分の人事は自分で決めたい”
“自分の時間帯で、自分がしたいだけ、自分の意志で仕事がしたい。
“自分の必要とする情報が一番入手しやすい場所で仕事をすすめたい。”
そのような思いが強くなってきた時期、快く応援してくれる人たちが、
私の周りには存在していました。
おかげあって、広告代理店を設立。そして今日に至るというわけです。
結局、自分ひとりでできる事なんか、世の中にはほとんどなくすべて周りの協力の上に成り立っているということがよくわかりました。
このことは独立して本当によくわかりました。
広告代理店は小さな大企業
私が起業した会社は広告代理店ですが、この業種は、
考えるに、小さければ小さいほど素晴らしいと思います。
“Small is Beautiful”と言いますか…。自論ですが、私は、
広告代理店は小さな大企業でなければならないと思うのです。
私たち広告代理店の仕事は、クライアント、スポンサーがあってこその仕事。
“こういう広告展開をしたい”と言うクライアントの望んでいるものを
間違いなく実現しなければ、目的の達成にはなりません。
大きな広告代理店の場合、
クライアントスポンサーに対する営業担当、メディア媒体担当、
営業担当とメディア担当をつなぐ担当など、
それぞれ担当する人間が異なるのが通常で、
それぞれの“声”“要望”というものが
正確に伝わらないという問題が必ずと言っていいほど生じます。
大きいズレが出て、伝言ゲームのようになる危険性も発生します。
私は独立する時から、広告代理店は大きくする必要はないと考えていました。
極端な話、一人の人間がクライアントに営業し、
クライアントの望んでいるメディアを正確に買い付けることができればOKです。
いかにクライアントにあったふさわしいメディアを取り入れていき、
いかに正確に希望していることを実現できるか。
これが私たち小さな代理店の使命と考えております。
つまり代理店は、できるだけシンプルな組織であるべきだと考えます。
自分の人生設計、スケジュールを立ててみよう
私が起業したのは40代でしたが、自分にとって
非常に良い時期に独立したと思っています。
私は大学時代に人生設計と言いますか、その年代の役割を想像し、
自分の人生のスケジュールをぼんやり考えていました。
そのおかげで、転職・独立はしましたが、その時々に自分のやるべきことを
理解し、それにより最善を尽くすことができました。
参考までに記してみます。
?大学卒業〜30歳位…社会勉強をする、社会を知る期間。
?30歳〜40歳…仕事をきっちり覚える時期。
?40歳〜50歳…覚えた仕事をもとに会社に貢献する期間。
(独立の場合、社会貢献)
?50歳〜…40歳からの延長でより広く世の中へ貢献していく期間。
個人レベルで、多少のズレはあるかと思いますが、是非とも
大学時代に自分の人生というものを真剣に考えて欲しいと思います。
大学4年間というのは、勉強とは別に、社会に出るための
ウォーミングアップ期間でもあります。
重要な時代だということを認識し、将来の自分を思い描いてみて下さい。
若いうちは人の倍、行動することが大事
何回も言ってますが、私が独立できたのは、人の協力があってこそ。
つまり人間関係が大きく影響し、すばらしい人々に恵まれて成立したわけです。
では自分にとってすばらしい人々というのは、どのような人なのでしょうか。
それは私の場合は、独立するにあたり、自分にとって有益な情報を
たくさん持っている人のことでした。
但し、そのような人に出会うには、自分も常に情報を収集する努力をし、
蓄積していないことには、出会うことができないのです。
そこで、社会にでる前から大学生時代から情報収集の努力することが重要なわけです。
余談ですが、私は大学時代から50歳になるまで、0時前に家に帰ること
など、ほとんどありませんでした。
仕事(学生さんでしたら勉強)が終わり、すぐ家に帰って、食べて、TV見て、寝て…。
そのような生活をしていてはダメだということです。
情報を得るためには、仕事するだけでは足りません。
仕事後に友人と会ったり、彼女、彼と会ったり、スポーツクラブに通ったり、映画を観たり…。
もちろん飲みに行くのだって、立派な情報源となります。
要は、人の倍、行動をすること。
いつでも情報を取れるような環境に自分を置き、
自分の生活パターンをそのようにしておけば、
自然にインプット量も増えています。
結果、努力をしている人間の方が何年も長生きをしていることになります。
まだ若いうちは寝る時間を惜しんで、色々なことを自分の中に貯めて欲しいと
私は思います。そのことが、必ず未来の自分を大きく助けることになるのです。