代表取締役社長 青山 直樹
設立 | 平成16年12月1日 |
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事業内容 |
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会社HP | http://www.gogol.jp/ |
いつか独立しようと考えていた学生時代
学生時代は、とにかく遊んでいましたね。
中高一貫の進学校に入りながら、全く勉強しなかったので現役では大学に受からず、
一浪して東大に入ったものの、受験勉強の反動でまた遊んでしまって。
大学の授業には一度も出席せず、単位は、友達から借りたノートを頼りに取得しました。
当時の遊びといえば、ディスコが流行っていて、
水商売の経営者とか、そういった仕事が僕の目にかっこよく映りました。
また、僕の父親はオーナー企業で取締役になりましたが、
トップにはなれなかったこともあり、
“組織勤めの壁”のようなものを感じていたのかも知れません。
「将来は、自分が思うような仕事をして、働いた分だけリターンのある仕事がいい、
そういった仕事のほうが自分には向いている」と漠然と思っていました。
ただ、いずれ独立するにしてもまずは社会に出て経験を積むべきと考え、
就職活動をしました。
父親からは、銀行か、商社を勧められました。
銀行は、特に融資担当になれば、様々な経営者と出会えて勉強になるし、
商社なら、ビジネスの基本が勉強できるだろうと。
ただ、僕としては広告代理店にも興味があって。
広告代理店は、OB訪問をするとみな派手な感じで、
タイプ的にも自分に合っているなと感じました。
最終的には、銀行と広告代理店で迷いましたが、
銀行員として、毎日白いYシャツやカチっとしたスーツを着て
仕事する自分が思い描けず、広告代理店を選びました。
大学卒業後、広告代理店の電通に入社しました
ただあくまで「3年で独立しよう」と考えていたので、
独立への近道になりそうな仕事で、かつ興味を持っていたタイムセールスの仕事を希望しました。
ですが、当時のテレビ局長の方針もあり、
新人の僕はテレビCMのフィルムを放送局に送る、という単調な仕事を任されました。
その仕事はテレビビジネスの中でも、云わば”基本中の基本”とされていて、正直面白くはなかったです。
一方で、ほかの部署の同期は忙しくしていました。
毎日、終電で帰る彼らを横目に、僕は悔しくて、働きたくてしかたがありませんでした。
ただ電通には、入社一年目の新人が論文を書くという制度があり「これはチャンスだ」と思いました。
論文を書いて受賞すれば、行きたい部署に行けるんじゃないか…
そう思って論文を提出したところ、新人賞を取ることができたんです。
改めて上司に異動したいと相談し、結果、
テレビCM(スポット)の枠を買い付ける部署に異動します。
その部署では、あるローカル局を4年間、
その後、東京のテレビ局を1年間担当しましたが、
担当放送局と懇意になることが求められ、
人付き合いとか、飲みの席での立ち回りは達者になるものの、
仕事内容には幅が出来ませんでした。
その後、海外部門に異動し、中国、インドネシア、タイの
各子会社のメディア部門をサポートする仕事をしました。
自分にとっては新しい仕事で、また、苦手な英語で仕事をするといういい機会でもあり
チャレンジングでしたが、これもまた独特な仕事で、ツブシが利かない。
それでも「今のままではまだ独立できない」
「異動してすぐに辞めてしまったら“負け犬”になってしまう」
そう思い、せめて自分で仕事を回せるようになるまでは続けようと決めました。
ただ、気づけば社会に出て10年近くが経ち、年は30歳を過ぎていました。
やりたい仕事ができない焦りを抱えながら、独立については折りに触れ、
親や妻にも相談していましたが、
「広告代理店と関係のないビジネスモデルで独立するのでは、
何のための社会経験だったのか」と反対されたりもして。
ところが、そうこうするうちに、親が亡くなりました。
独立に対して反対されることもなくなったとき、
ようやく「自分のやりたいことをやろう」と決意します。
僕が34歳のときでした。
寝る間を惜しんで仕事した創業期
これまでメディアビジネスに携わってきたので、
メディアカンパニーをつくろうと思いました。
ただ、ベンチャーでテレビ局はなかなかつくれません。
衛星放送局も初期投資がかかってしまって難しい。
メディアビジネスをベンチャーで始めるなら…『雑誌』か『WEB』かなと。
ただ、自分にはWEBの経験がないので、やはり雑誌がいい。
そんなとき、僕の考えに賛同してくれる高校の同級生がいて。
その同級生がゴルフ場の経営を親から継いでいたこともあり、
お互いの強みを活かした仕事をするのはどうかと考えました。
ただ、ゴルフ誌はその頃、既にたくさんあったので、新しく参入しても埋もれてしまう。
…ならば斬新なことをやらなくては。
その頃、あるフリーペーパーが流行り出したのを見て
「ゴルフのフリーマガジン」をやってみようと思い立ちます。
当時ゴルフはシニアのスポーツだったので、
ターゲットをアクティブシニアに設定して、ゴルフ場で配布しようと考えました。
ただし、配布場所はゴルフ場の中でもお金持ちが集まる高級な場所に限定し、
“お金持ちゴルファーが読んでいる雑誌”ということで、広告を受注しやすくしようと。
ただ、ゴルフ場に雑誌を置いてもらうと言っても、実際には企画書しかない状態ですから、
企画書を持ち歩き、平日は広告の営業に出かけ、
土日はゴルフ場を回って雑誌を置かせてもらえるよう営業していました。
ゴルフ場って点在しているので、1日3箇所くらいしか回れないんですよ。
移動には時間がかかるし、トイレにも行けず、いろんな意味で大変でしたね(苦笑)
僕自身は編集経験“0”でしたが、実質、ひとりで企画・営業・編集までやりました。
創刊号はどうしても表紙を青木功さんにしたくて。
でも、青木さんのツテなんて全くなかったので、どうしようかと。
あらゆる人脈やら何やらを駆使して、なんとかインタビューさせてもらうことができました。
青木さん以外にも、例えば政治家の後藤田正晴さんに
インタビューさせていただいたり。
今では考えられないようなキャスティングでしたが、その頃はとにかく必死でした。
無理してでも、とにかく“フリーマガジンとは思えないような企画”をやりたかったんです。
こうして“アクティブシニアゴルファー向けのゴルフフリーマガジン”というコンセプトで、
創業から約3ヶ月後の2005年3月5日、400コースで20万部発刊に至ります。
広告も多くの会社から受注することができ、
結果、創刊号で1,200万円売り上げることができました。
フリーマガジン以外にも、制作物の売り上げなどを合わせ、
結果的に1期目を無事、黒字で終えることができました。
『幸先良い』と思いましたが、
そうは言っても、創業から2年くらいは寝る間を惜しんで仕事をしてましたね。
眠っても、会社が潰れる夢しか見ませんでした(苦笑)
メディアビジネスの過渡期に思うこと
創業から6年というこの短い間に、経済環境、経営環境が本当に大きく変わりました。
これまで増資やM&Aも行い、会社の規模を大きくすることを追求した時期もありましたが、
社員の労働環境とか、やりがいとか、人間的なケアの部分を見失っていたことに気づいたんです。
これまで残念ながら、不景気のタイミングでリストラもしました。
でも、今の目標としては、まずは社員をハッピーにしたい。規模の追求はその次。
「社員が潤ってから会社は大きくしていけばいい」―そう思っています。
もうひとつの目標は、事業内容を時代の変化に合わせてシフトしていくこと。
現代のメディア市場は、紙がかなり縮小してしまい、ネットに流れています。
最近、ようやくテレビの市場が復活しつつありますが、
紙は依然として効果が見えづらく、やはり縮小傾向にあります。
ただネットに関しても、今は単なる『広告』よりも、
ネット上でモノを売買する『コマース』にシフトしているので、
うちの会社としても、事業の比重をメディアから、
コマースの分野にシフトしていきたいですね。
『ゴルフ』っていう方向性のゴールとしては、
僕はメディア業界にずっと身を置いているので、
コミュニケーションのビジネスも伸ばしていきたいです。
マスのメディアビジネスも時代とともに変化しています。
世の中の人の接触するメディアそのものが変わってきているんです。
昔は、テレビの影響力が圧倒的で、家に帰ってテレビをつけて
ずっとそれを見ている…という人が多かったかと思いますが、
今は、学校や会社から帰る途中でモバイルを見て、
家に帰ればテレビをちょこっとつけて、
あとはPCでメールをチェックしたり、
WEBサイトを見たり、モバイルを見て…と、
人が接触するメディアが多様化してきているんです。
昔は、キャンペーンの予算10億円の内、8億をテレビに使って
残りの2億を新聞、雑誌に使って終わり、
というメディアプランでしたが、今はそうじゃない。
今は、ブロガーに商品を触らせて、素直な気持ちで感想を書いてもらう。
商業誌に一切広告を出さなくても、
ブログに1万人からのアクセスがあれば、そこから認知されていく。
さらに、イベントをやって…といろんな立体的な仕掛けをしないと
モノが売れない時代なんです。
そこを補完するのに、PRの領域には可能性があると思っています。
ブログやツイッター、facebookといった新しいメディアに
キャッチアップしないと、キャンペーンもできません。
そういった領域は常に新しいマーケットなので、
歴史が浅い僕らにもビジネスチャンスがあるはずです。
広告代理店と補完しあうのも面白いと思っています。
サラリーマン時代の人脈を頼りに、マスの部分は広告代理店に頼んで、
そこから下のPRの部分は僕がやる、
という補完関係をつくってビジネスできたら面白いですね。
さらに、もうひとつ夢があって。いつか、ゴルフ場を経営したいと思っています。
ゴルフ市場全体の内訳は、用品市場が4000億円、
ゴルフ場の市場が1兆1000億円と言われています。
つまり、ゴルフ場での売り上げのほうが市場全体の中では圧倒的に大きいんです。
ゴルフ業界に身を置く者としては、ゴルフ場の経営は魅力的です。
雑誌には『携わっている人間のライフスタイルを表現する場』という性質があると思いますが、
ゴルフ場は『経営者が理想とするライフスタイルをみんなに提供する場』だと僕は思うんです。
例えば、地域密着型で、近隣の人がレストランにご飯だけ食べに来るとか、
お父さんはゴルフをしてるけど、他の人は将棋やってたり…とか
そういうちょっと変わったゴルフ場があってもいいじゃないですか。
僕にしかできない、僕らしいゴルフ場をいつかつくりたいですね。