代表取締役社長 三浦 利典
設立 | 1982年12月 |
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事業内容 |
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会社HP | http://jm-miura.com/index.html |
農業を学んでいた大学時代
父が大手乳製品の会社に勤めていたので、高校までは北海道内を転々としていました。
夏場になると、熊の出るようなところに魚を釣りに行ったりするような大自然でした。
隣の家まで何十mも離れていることも珍しくありません。
ですが私は楽しく毎日を過ごしていたと思っています。
そんな時の流れの中、私は東京の農大に進学しました。
そこでは畜産を学んでいましたね。父の影響です。
友達とお酒を飲むと「日本の農業はどうなる」「自給率をどうしよう」等、そう言った話になるんですよ。
それで、1年間休学しましてヨーロッパ、アジア、インド、東南アジアの農業を見て回ってきました。
大学3年生の時です。農業を通して世界を見たいと思ったんです。
あの時の体験は今でも私の人生の中で素晴らしい体験だったと感じています。
就職、起業、そして挫折
その農大を卒業して、最初に勤めたのはとある食品会社でした。
卒業した時は自分で養豚をやりたいなと思っていたのですが、
ちょうどオイルショックで資材が物凄く高騰していましてね。
それで水産の方の加工会社に勤めたのです。
それで学生時代からやっていた魚の剥製を沖縄でやろうと思い、沖縄に渡りました。
海洋博で、熱帯魚の剥製をプラスチックに封入して作ろうと考えたわけです。
ところが、漁業権と言うのがありまして自分で魚を獲ることは出来ない、
漁師の方から買わなきゃいけないんですね。私はそれを知らなかったんですよ。
結局サンプルはたくさん作ったのですが商品化には至りませんでした。
起業しようと思い、挫折したわけです。
しかし友達には「沖縄で頑張ってくる」と公言していたので戻るに戻れず、
三年ほど沖縄で百科事典の営業をやっておりました。
ものづくりをするのは大好きなんですが、営業は苦戦していた記憶がありますね。
ジュエリー業界へ、2度目の起業
その後、営業で働いていた沖縄の支店がクローズし、神戸の支店に移りました。
これをいい機会であると感じまして、それと同時に、私が結婚したということもあり、
ジュエリー業界へ飛び込む決意をしたのです。
大学時代に東南アジアを回った時、宝石が道端で売られていたのを見てから興味は持っていたんです。
宝石関連の資格を取り、会社には3年間勤めました。
そこでいろんな企画やものの作り方を教えて頂いたのですが、3年目にその会社が倒産してしまい、
ジュエリーミウラを立ち上げるに至ったのです。31歳の時でしたね。
宝石の街、御徒町で
当社の事業としましては、海外で宝石を仕入れてきて、
それを国内で製造、卸をするという形と、
海外からの商品を国内の卸小売店さんに販売するというものです。
また我々は、他との差別化商品として日本で初めて出来上がった
『パープルゴールド』を2009年から販売しております。
そして、2010年12月から秋葉原と御徒町の中間に、
ものづくりをしながらショールームと言う形で店舗をオープン致しました。
御徒町というところは、昔は時計屋ですとか自転車屋なんかが多かったようですが、
今は非常に宝石店の多い街です。
ちょうど近くの上野が日本中の起点になっていましたので、
御徒町で仕入れをしてそのまま全国へ運ぶ・・・と言うことからここが栄えたのだと思います。
当社ビルの場所ももちろんこの御徒町です。
産学連携の錬金術
パープルゴールドを作るのに、思い立ってから10年間かかっています。
日本では初めてのことなのですが、
海外では40年前からアルミニウムの合金でパープルになるということが分かっていたのです。
しかし非常に加工が難しい。産学連携ということで、他の大学の先生方にご指導頂きました。
しかしやっぱり失敗の連続だったんですね。
それでも、日本で一番最初にパープルゴールドを商品化したいと。
その思いがあったからやって来れたのだと思います。
金属の分野では、ジュエリー業界とはまた多少違った技術や知識が必要になってきます。
そこで大学の先生方に基礎知識を教えて頂き、
今のジュエリー業界の技術をプラスしてやっと商品化出来るまでになりました。
40年間の間、世界中で色々な会社がこのパープルゴールドにトライしてきました。
ところがやはり、ほとんどが早々に諦めていたんですよ。
私どもはちょうど10年前にシンガポールで作られたパープルゴールドを代理店として販売したのですが、
その商品は割れ易かったり汗で変色してしまったりと、欠点の多いものでした。
メーカーですので、そのアフターをしなければいけなくて。
ですので、当時のパープルゴールドの問題点を解決しながら製品化していったのです。
2009年3月には、スイスのバーゼルフェアでこの「パープルゴールド」を発表してきております。
是非、このパープルゴールドをジュエリー業界に根付かせて行きたいなと思っています。
全てにおいて「一番」を目指す
当社の目標としては、売上ではなく、日本のジュエリーメーカーとしての商品開発で
一番になりたいと思っています。
クオリティや技術力についても勿論です。
これからもますます、新しい素材からセンスのある商品を作って行きたいと思っています。
もちろん今現在のデザインも素晴らしいものだと自負していますよ。
現に数々の入賞作品を生み出していますからね。
夢は友達と会うために
私のテーマカラーはブルーですね。会社のカラーなんです。
現在大好きなのはパープルカラーですが(笑)
ちょうど30年前に会社を作って、斬新なものにトライするというイメージで青が好きなのです。
私の夢は「健康でいたい」ですね。海外に友達がたくさんいますので、
皆さんと年に1,2回はお会いできるような健康な体でいる事が夢ですね。
3年間は継続せよ!
現在、業種によって景気の良いところもあれば悪いところもあります。
しかし、新卒で入ったからにはやはり3年間は続けてみるべきだと思います。
やはり一生のなかで最初に入った会社から掴むものは大きいですから。
諦めずに貫いていって欲しいです。