代表取締役 八尾 憲輔

株式会社FEYNMAN 代表取締役 八尾 憲輔

代表取締役 八尾 憲輔

株式会社FEYNMAN
設立 2008年7月11日
事業内容
  • iPhone・iPad ・Androidのアプリケーションとサービスの開発、販売、およびコンサルテーション
会社HP http://feynman.co.jp/

ミュージシャンを目指していました。

ミュージシャンを目指していた学生時代、
海外留学をして、音楽の勉強を本格的にしたいと思いましたが、
当時は普通のサラリーマン家庭ではとても払える金額ではなかったため、留学は断念。
高校卒業後は、これからはコンピューターが伸びるのではないかと言われた頃だったので
専門知識を学ぼうと専門学校に入学。
3年コースに入りましたが、2年目からはほとんど学校に行っていませんでした。
成績は上位だったので、3年コースを2年コースに変更して卒業しました。

その後、バイトをしながらミュージシャンを目指していた時、
たまたまプログラムのバイトを始めました。
朝8時から17時過ぎまで働き、夜はスタジオで音楽の練習をして終電で帰宅、
という生活を1年半ほど続けていました。
今で言うインディーズの活動をしながら働いていたため、
ライブ活動や練習に忙しく、有休も使い切った時点で会社を辞めたい思いました。
バンド活動を続けること、ライブの時は休ませてもらうことを条件に一旦続けましたが
その後、東京転勤を機に退職。
本当にお金のないミュージシャンになり、ひどい時は路上で寝たこともありました。

起業のきっかけ

神戸に新しくスタジオができることになり、受付のバイトをしていた時、
親会社の本社ビルにコンサートホールを作る話があり、
前職の経験を買われて、プログラミングをやらないかと声をかけられました。
バブルの頃で、当時はマルチメディアが騒がれていた時代。
その会社もマルチメディア事業に参入し、お金をかけて最新の機材を揃え、
様々なイベントを開催したり、海外からいろんなアーティストを呼んだりしていました。
芸術寄りの音楽やアートなどを実験・研究している人や、
音や映像の研究をしている人、
前衛的な音楽をやっている人と仕事をし、
いろんな話を聞いたり、イベントをするうち、これはビジネスになるのではないかと思いました。
まだインターネットが出始めた頃でしたが、
そのネットワークを使った企画を会社に提案しましたが、軽く一蹴されてしまいました。

この頃には社員になり、結婚もして子供もいましたが、
メジャーデビューしたバンドのバックミュージシャンとして、
プロとしての音楽活動も続けていました。
また、その頃神戸の震災に遭い、いろいろ大変な時期でしたが、
何かやりたいという気持ちがあり、現会社の顧問の人に「会社を起こしてみたら?」と勧められ、
起業に至りました。

成功のカギは、一歩先を読むこと。

1996年に起業し、今の仕事はスマートフォンが多いです。
私は流行るものに敏感だと自負しています。

古い言葉ですが、デジタルの革命がいろんなところで起こっていて、
世の中の進化のスピードは思っている以上に速く、
それを目の当たりにして、人々のライフスタイルも変わっていきます。
私がそれを感じたのは、1980年代にCDが初めて発売された時です。
レコードが主流だった時代、ある日突然CD屋さんができて半年後には
みんなが普通にCDを買うようになっていました。
ケータイも同じです。
そういうスピード感はいろんなところで起こっているので、
思い立ったらやらなければ負けてしまうと思いました。
ただ、そこから先が問題なんです。

IT革命を見ているとよく分かりますが、
技術的な革命が起きた時は技術系の社長が出てきますが、
5年も経つとマーケティング系の社長が出てきています。
この流れは変わらない。
今のスマートフォンは、道具。その道具を一般ユーザーにどう使わせるか、
ユーザーが何を欲しているのかを考えなければいけません。
流行る市場の、その一歩先を読むことが重要です。

私が考える、ITビジネスで成功する要素は2つ。
ひとつはユーザーアカウントをいかにして使うか、
それによってトラフィックをいくら稼げるか。
今騒がれているものは5年後にはないかもしれないのに、
みんなその技術だけに注目してしまいがちです。
とはいえ、私たちはそれを使ってビジネスをするしかないのですが。

大人になってからの「気づき」

普通と言われるのが嫌で、人と違う人生を歩もうと思ってやっていたことが、
実はそんなに人と違わないことに、最近気がつきました。

20歳前後の頃はミュージシャンを目指しながらバイトをしていたので、
周りの学生の友達よりはお金もあり、学校にも通っていなかったため
「自由でいいな」と言われていました。
ですが、大学を卒業した友達が就職し、24〜5歳になった時、
友達は社会人になって働き、お金もある程度持ち、車を買い、旅行したり彼女を作ったりしていましたが、
私はどれも持っていませんでした。
その時、私は今まで何をやっていたんだろうと初めて思ったんです。
人と違うと思っていたのに、結局太いレールの上を行ったり来たりしていただけで、
実際はレールから外れていたわけではなかったのです。
そして、その中で階段を上っている人もいることに気がついたのです。

こんなこともありました。
あるミュージシャンの先輩が25歳くらいの時に、
突然スーツを着て、髪を黒く染めてスタジオに現れました。
彼女と結婚することになり、サラリーマンになると聞きました。
今まで夢を持ってやってきたのにそれを諦め、やったこともない仕事に就く。
その姿を見て、やばいと思いました。
まだ私は22歳でしたが、ドラムひとつでも食べていけるようになろうと決意し、
夜はバイト、昼は毎日12時間、練習に明け暮れました。

学生へのメッセージ

今、学生の内定率が低いのは学生のせいではないと思います。
それは、私たちも含めて、今までの人たちの責任です。
また、社会的にも新卒採用が疑問視され始めているのではないでしょうか。
根本的に変えようと思ったら、やはり教育を変えていくしかないと思います。

今の学生は両極端で、思いの強い人とそうでない人がいます。
思いの強い人の、思いが強くなればなるほど世の中は変わっていくのではないかと思います。
みんなが万遍なく仕事につける平和な時代では、
強い思いも生まれにくいし、世の中は変わっていきません。
今の社会の状態がいいか悪いかは、私たちが判断することではありませんが、
今の世の中は、チャンスだと思います。
考える人が少ないから、考えた人がすぐ上にいけるのですから。

将来の夢はあまり大きくない人が多く、安定を望む人も多いでしょう。
でも、望むならもっと上を望まなければ、そういう生活はできません。
今の日本を見ていると、今の状態だと三流国家に戻るしかないように思えます。
そうなった時に、公務員なら安心だと果たして言えるでしょうか。

グローバル化で、海外に出ろという人も多い現代ですが、
海外に出るのがいいかどうかは別として、
もう国内だけではどうしようもないことは明白です。
「日本は安泰」とは言えない、経済状態、軍事的状況の中、
食べていくためにはどうしたらいいだろうと考える人は少ないのではないでしょうか。
いつか誰かが何とかしてくれるだろう、という意識が強いように思います。
こういう時代は考えた人が、ラッキーをつかみやすいのではないかと思います。
今だからこそ、チャンスなんです。