代表取締役社長 榊 彰一
設立 | |
---|---|
事業内容 |
|
会社HP | http://www.broadlink.co.jp/ |
人生の方向転換
私は大阪で育った一人っ子です。しかし両親が共働きで
夜の仕事をしていたので、ほぼ家にはいなかったですね。
そうなると必然的に夜の生活スタイルになってしまい、
学校に遅刻することばかりでした。
また、ゲームが大好きで、日夜打ち込んでた記憶があります。
そのために、勉強はほとんどしていなかったのですが、
小学校も中学校も成績はほぼ満点でトップ。その中でも算数が大得意でしたね。
そのおかげで地域では一番の高校に進学したんですが、
小学校や中学校と違い、選りすぐりの学生達が集まっている学校では、
トップを取ることができなかったんですよ。
高校1・2年生の時は勉強する癖がついていませんでしたね。
その反動で、勉強ではなくビリヤードとエレキギターにハマっていましたが。
でも、さすがに高校3年になったら受験のために勉強しましたよ。
自分の独自の勉強法でやっていましたが、うまくいかなくて浪人しました。
そこでの敗因は「神頼み」だったかもしれませんね。
自分の中で、他力本願はダメだなと思った時でした。
現に次の年にはあえて神頼みをせずに受験したところ、合格しましたからね(笑)
大学は自分が得意な理系に絞っていまして、青春を満喫したいためだけに
女の子が多い農学部に入ったんです。
しかし農学部での研究実験を続けた結果、自分には理系が向いてないと感じました。
その理由は、青いバナナを黄色くする実験をしていたのですが、
熟れすぎてベチョベチョになってしまうんです。
しかし周りではチラホラ成功している人がいる。
なぜ自分が出来ないのかと。これではノーベル賞なんぞ取れんと。
そこで大学卒業と同時に理系から文系に方向転換しましたね。
いいきっかけだったと思っています。
サラリーマンから経営者への転身
その大学を卒業後、私は大手生命保険会社に入社しました。
本当は塾の講師をしたかったのですが、母親に猛反対されましたから。
その理由は母親が大手志向だったからですね。
母親からの最終提案を受け入れましたが、その提案がおもしろくて今でも覚えています。
「一日だけ大手に入社して、二日目に退社して塾の講師になりなさい」
まあさすがにそんなことはなかったのですが。
また、入社後の勤務地は大阪だと思っていたら、
なんと東京の西国分寺の寮に入ることになってしまったんですよ。
面接は大阪だったはずなのに。
まあ、でも新宿までが近かったために同期と一緒に遊び回ってましたね。
非常に楽しかったです。そこでの研修期間は半年だったのですが、
勉強も営業実技もTOPでしたね。
毎日が楽しくて、いつも気がつくと深夜、退社することなんか忘れてましたよ(笑)
しかし早く大阪に戻りたいという気持ちがあったので、
研修期間終了とともに人事に直訴したところ、京都の配属に変更となりました。
ここなら大阪から30分ですからね。
この京都支社は名門で、エリートが必ず通る支社だったんです。
また、借り上げ社宅だったため西国分寺の寮とは違い住み心地も良く快適で、
結果的に4年半もいましたね。
しかしそこで働きながら、TOPにたつためにここで何年も待てないと決心し、
情報を集め、このブロードリンク専務の村上とたった2人で2000年3月に会社を設立したんです。
中古パソコンの価値
起業した当時はホームページを作っている会社が少なく、それを作っていこうと思いました。
私が営業で外を周り、お客様からの信頼を得まして、初年度から1億円の売上を達成しました。
しかしパソコン自体を導入していない会社が多く、先ずはパソコンを
お客様のオフィスに導入してもらわなければなりません。
そうなると、当時のお客様は中小企業がメインなので、
リース会社の与信も厳しく、お客様への審査がおりない場合が多々ありました。
こうなると結果的に経営がうまくいきません。
なら、自分がリース会社から中古のパソコンを買い取って、
それを売ってしまおうという作戦にでたわけです。
そこからでしたね。パソコンを売ると十分な利益が出るとわかったのが。
しかし本格的に始めるとなると、場所もコストもかかる。
私のモットーは
「10個挑戦したら9個は失敗する。しかし1つは成功させることが出来る。
と云うのが信念。だから、いかにその9個の失敗をお金と時間を掛けずに実行するか」です。
これは今でも変わりません。
なので挑戦の枠組みとなった中古パソコンの販売を更に拡販しようと、
当初はフリーマーケットで始めました。
土日の二日間開催で、一日の会場料金が4000円でしたかね。
これがまったく売れません。
色々と試行錯誤しましたが、売れたのは最終日に一台だけ。
しかし、そのフリーマーケットでたった一台だけ売れたお客さんの言葉に
ビジネスチャンスを感じました。
「ここは1000円ぐらいしか持ってきていないお客さんが多い。
7万も8万も持ってきている人はいないよ、売る場所を変えたらうれるんじゃないの?」
そして、今度は、サラリーンや幅広い一般のお金を持っているお客さんが沢山往来する、
駅構内のスペースで実験、これが爆発的に売れました。
更にパソコン初心者である、中高年層に的を絞り、大手スーパーマーケットの
一角で、パソコンの催事販売したところ、ものすごく売れました。
これが今の事業拡大に繋がっているわけです。
圧倒的業界シェア
当社の業界シェアは、とある上場会社と現在1位2位を行ったり来たりしていますが、
今後はこの会社を圧倒的なトップにすると云う目標があります。
そして、我社で更なる社会貢献ができるように、エコとセキュリティ、
コストダウンにサービスを付け加えた事業を展開していきたいとも思っています。
そのためには皆で目的達成意欲を持って仕事に取り組んで行ってもらいたいですね。
それが出来るだけの人材は我社には揃っていると思います。
自分が商品
私は一番自分が大切です(笑)
その理由は自分を最大の目玉商品と考え、
その商品価値をより高めていかなければならないからです。
今の若い世代には気合いと根性が足りません。
それを時代のせいにしたい気持ちは分かります。
何より自分で主体性を持って、自分がダメだと思う世の中を
変えられるような人間に自分がなればいいのです。
それを達成するには自分が能動的に思考し動いて、貪欲に勉強するしかありません。
その気持ちを持ち続けて、就職やビジネスでビッグチャンスを掴んでほしいですね。
若い人に是非それを目指して欲しいと思います。