代表取締役 佐々木 昌一

アムコン株式会社  代表取締役  佐々木 昌一

代表取締役 佐々木 昌一

アムコン株式会社
設立 昭和49年11月22日
事業内容
  • ヴァルート事業部・・・汚泥処理機械の開発、製造、販売
  • アムコン24事業部・・・マンション水廻り総合サービス
  • 分析事業部・・・・計量証明事業
会社HP http://www.amcon.co.jp/

バンド活動を経て「音楽の仕事をしたい」とMAミキサーに

僕が中学生の時、バンドブームが到来。
テレビ番組『イカ天』に影響され、中2からバンド活動を始めました。
音楽を仕事にしたいと一生懸命に取り組みましたが、自分の才能に限界を感じで断念。

でも、音楽に携る仕事がしたいと思い、高校卒業後は音響の専門学校に入学。
卒業後は、8年ほどMAミキサーの仕事をしました。
テレビ番組のナレーションなどを録音し、音の最終仕上げをするエンジニアです。

自分が手がけた音がテレビで流れますし、スタッフロールに名前が出ます。
連日徹夜の激務で、プレッシャーはありましたが、おもしろくてやりがいがあり、大好きな仕事でした。

先が見えない仕事に不安を感じていた頃、父から起業を勧められる

父は当社の創業者ですが、会社と個人は関係ないという考えで、
「お前は好きなことをやれ」と言われていました。
しかし、私が28歳の時、
「何チャラチャラした仕事をしているんだ。会社を始めた方がいいぞ」と起業を勧められました。

当時の私は、1週間家に帰れなかったり、3日間寝られなかったりというのが当たり前の生活。
これでは、30歳を過ぎたら体力的に厳しいのではと思い始めていました。

また、ミキサーの仕事は楽器の演奏と同じでセンスの世界。
新しいことをどんどん取り込める若手がたくさん活躍しています。
そのため40代になると第一線から外されることが多く、将来に不安もありました。

そこで、仕事を辞め、1年くらいはぶらぶらしながら、
起業しようかと思いつつもアイデアもなく、悩んでいました。

インターネットに衝撃を受け、プログラマーに

1999年、その頃世に出てきたインターネットにふれて「これはすごい」と衝撃を受けました。
それから、職業訓練校でコンピュータの基礎を学び、プログラマーになりました。

2001年、ソフトウェアの受託開発をしている会社に面接に行ったら「明日から来てください」と即採用。
入社1週間後、未経験でいきなりエンジニアとして大手メーカーに派遣され、開発に携わることに。
専門用語が飛び交い、周りの人が何を言っているかも分からず、大変な状況でした。
でも、人間、そういう環境に放り込まれたら勉強するんですよね。
半年後には一人前にプログラムが組めるようになりました。

父が死去。遺志を受けて二代目社長に就任

プログラマーとして5年勤めた頃、父が脳梗塞で倒れました。
父は「会社には親族は一切入れない」というポリシーを持っていましたが、
ある日私を呼ぶと、
「会社を手伝ってくれないか。仕事はゆっくり教えてやるからうちの会社に来い」と言うのです。
私はその意図を薄々感じましたし、経営にも興味がありました。

プログラマーの仕事も少しマンネリ気味でした。
仕事はおもしろかったのですが、大プロジェクトの歯車だったので、
自分の作りたいものを発案できるわけでなく、先が見えないと感じていたのです。

そこで、父の会社に入ることを決意。
その代わり、経営の基礎や考え方を学ぶためにビジネススクールに行く、
そのため定時退社させてもらうことを条件にしました。

東京工科大学大学院の社会人入学試験に合格、2006年4月から勉強しました。
ところが、1年後に父がガンで亡くなったのです。
父は病床から
「後は頼んだ。遅かれ早かれお前がやるんだ。必ず続けることが条件だ」と言って亡くなりました。
そして、大学院を辞め、2007年4月に社長に就任しました。

徹底的な内部改革でボトムアップの組織に

当社は今年2010年で37期目。
私が社長になった直後は
「30年以上続いている会社だから、組織が出来上がっていて有能な役員や管理職が
各セクションでしっかり回している」という一種の幻想がありました。

しかし、しばらくして気付いたのは
「先代社長が全て自分で決めて指示を出していたため、
社員自ら企画や方針を立案する文化がない」と言うこと。
超トップダウンのカリスマがいなくなったので、
ボトムアップの組織に変えなければいけないということに気付きました。

そして、徹底的に内部改革を始め、今では新商品開発なども自主的に進んでいます。
社員はみんな優れた能力を持っていますが、
それぞれのポテンシャルを引き出してパフォーマンスを高め、
戦える組織に変革していきたいです。

二代目ならではの苦悩

二代目社長は、どうしても先代と比較されます。
また、受け継いだものを失わないように、
会社をつぶさないようにということだけを考えると、非常にプレッシャーがかかります。

ある時、セミナーの講師が
「会社をつぶしてもいい。やるだけのことをやってその結果つぶれたならしょうがない。
思い切ってやればいい」と言いました。
それを聞いて吹っ切れ、やれるだけのことをやろう、
守りに入るのはやめようと考え方が変わりました。

もちろん、最初はやりづらかったですよ。
ほとんどの社員は私より先輩だし、自分は業界の素人。
でも、今は全く遠慮なく、経営者として、会社のために、あなたのためにというスタンスで、
事業展開も含めて攻めの姿勢でいます。

マーケットは世界中にある! 海外展開が生き残る道

当社の主力商品は、下水処理場などで発生する汚泥を脱水する「ヴァルート脱水機」。
これは、先代社長が発明して改良を重ねてきたもので、
すごい事業ポテンシャルを持っていると思っています。
世界中どこにでもニーズがあるので、積極的に海外展開を進めています。

まずは、日本、中国、アメリカ、ヨーロッパで現地生産販売拠点を整備することが目標。
そのためには人手が必要なので、グローバルに対応できる若い人をどんどん採用したいですね。