代表取締役 笠間 聖司

株式会社ディンプレックス・ジャパン 代表取締役 笠間 聖司

代表取締役 笠間 聖司

株式会社ディンプレックス・ジャパン
設立 1997年7月8日
事業内容
  • 暖房器等の住宅用設備機器、及びポータブル暖房製品、一般家電製品等の輸入及び  販売
会社HP http://www.dimplex.jp/

【家庭教師をカスタマイズ】

学生時代から海外志向が強く、大学1年生の時にアメリカ大陸横断を計画しました。
海外志向が強かったのは、枠にはめられた生き方が嫌だったからでしょう。
今にして思うと、もっと広い世界で自分を評価して欲しい、という思いがあったのだと思います。
まずは働いて貯金しようと、家庭教師を始めました。
限られた時間の中で結果を出すために、成功報酬型の家庭教師を
富裕層向けにカスタマイズしました。
家庭教師では、勉強でもなくテクニックでもなく、勉強に対するモチベーションを教えていました。
そして、子どもに対しても‘人と接する’という意識を大切にしていました。
満足いただいた結果として報酬をいただく、それが私の考えた仕事でした。
お子さんが下校後の16時から試験前は朝5時まで毎日沢山のお子さんを教え続けました。
それは心の会話。
やがて周囲のお母さん方に評判が広まったことで、子どもたちの輪が広がり、
成績も上がり、順調に仕事を進めることができました。
今から20年も前のことですが、その時の生徒たちとは現在でも交流があります。
私に影響を受けて海外へ行き、後にその国の方と結婚した人もいます。
仕事としては成功しましたが、ひとりで行う仕事の限界を感じたのも事実です。
自分と接することのできる人にしか提供できない仕事ですから、
事業像として成り立たないと感じました。

【広い世界で、自分の価値を高める】

そして当初の目的であるアメリカ横断旅行に出発。ニューヨークから2ヶ月かけて、
バスを乗り継ぎました。初めは、果たしてロスまで辿り着けるのだろうか……
と不安にもなりましたが、旅を終える頃には、いつかアメリカで成功して、
そして日本に戻ってきたい、と感じるようになりました。
帰国後、通訳のアルバイトを介してお会いしたある方から、
「卒業後、世界No.1の会社に企業留学しないか?」というお話をいただきました。
当時私は大学1年生です。
タイミングもあったかと思いますが、私の人間性、そして可能性を評価頂いたのでしょう。
学生時代はその方の会社でアルバイトをしていました。
家庭教師をしていた生徒のお父様に、ご自身が経営する会社に入らないかとお誘いを受け、
企業留学と迷ったこともありました。
しかし、新しいことに挑戦したいという気持ちは変わらず、大学卒業を待ち、
3月に北米に企業留学へ出発しました。
出発前、投資してくださった方には「あなたは将来、会社の社長になる運命だ」と言って頂きました。
自分はその当時は経営者になりたいという気持ちはまったくありませんでした。
海外で仕事をしたい、他人にできないことをしてみたい、しかし他人の面倒を自分が見られるのだろうか、
というのが正直な気持ちでした。

その後2年間、アメリカの製材工場で仕事をしながら、木材業界の本質を勉強し、
そして北米のビジネスを理解することに努めました。
日本に帰ればまた狭い世界で経験や年齢で順位付けされてしまう、それを解決するには
ここで自分の価値を高め、この人だからできるという評価を手にしたいと思ったのです。
実際に取り組みが認められ、ぜひ残って欲しいと言われるまでになりました。
しかし、学生時代の自分を高く評価をして頂き、企業留学費用の投資をしていただいた
その方への御恩は、人生最大のもの。その方への感謝は一生忘れることはできません。

【認知度の低かった電気暖房設備への着眼】

日本に帰国後は、世話をしていただいた投資家の方の企業に7年間在籍。
いずれは組織で成功するより、社会で結果を残したいと思いました。
そこで着目したのは、木材・建材・住宅設備の専門商社という事業。
3つのセグメントを考えた場合、木材は、私に知識やネットワークがあります。
しかし、笠間という個人の商社マンについているお客様は、自分でないとお取引は続きません。
家庭教師の時と同様、事業が拡大していかないのです。

海外の建材を販売することも、日本は流行、トレンドに敏感で商品の回転が早く、
海外で製造するものは流行に追いつかないと判断。
住宅設備に関しては、規定や基準が厳しく参入障壁が高いため、
すぐには軌道に乗らないように思われました。しかしそれをクリアすれば、
電気暖房等の住宅設備の販売は成り立つのではないかと考えたのです。
北海道で起業したのが1997年。しだいに住宅設備を中心とした事業へ集約した上で、
この分野を深耕していきました。暖房設備に関しては後発部隊ですから、北海道は
時間をかけて拡大をし、その間、暖房文化が発達していない本州以南の地域に注力していき、
全国展開するという事業モデルを計画しました。

当時は住宅用電気暖房設備の市場性がほとんどなく、認知度の低い業種でした。
プラス外国製ですから単独ではなく、他社と補完関係を結ぶのが望ましいと考え、
業界最大手のパナソニックグループと提携することに。
以後本州進出を果たし、10年で全国展開、そして今では北海道でも事業を拡大し、
電気蓄熱暖房器の分野においては日本NO1のシェアを実現しました。

【商社からメーカーへの転身】

思えば創業当時は、業務上のやり取りはFAXが中心でした。
現在はインターネットが主流で、国境や業種もすべてがボーダーレス化しています。
弊社が勝ち抜いていくためには、商社と言う形態では発展が難しい。
いつかはメーカーとして、日本人の嗜好性に合う製品を企画開発し、
アフターサービスまでカスタマーの見届けができる企業形態に変身したいと思っていました。

そんな折に、アイルランド(DIMPLEXグループ)の会社から資本参加の
お話をいただいて、弊社は100%メーカーに変身できたのです。
それによって事業競争力がつき、自らものづくりの企画開発が可能になり、
利益額の確保によって、トータルの事業戦略も可能になりました。

第二成長期へ】

弊社は今年で14年目を迎えました。海外のネットワークをベースにした情報競争力、
そしてその情報を元にしたローカルソリューションで、地域に密着した事業を展開することができ、
企業としての創成期が終わったと思っています。
業界内での役割、そして認知度も示すことができました。

これからは第二成長期へ。事業の拡大というよりは、内容を充実させることです。
現在、電気蓄熱暖房器は、トップメーカーとしての地位を不動のものとしています。
更に「ニッチな業界でのジャイアント」を目指し、再生可能エネルギーの利用など環境を考えた上での
トータルソリューション、未だ日本に紹介されていない高品質なヨーロッパの住環境文化を
提供するといったことを準備中です。

勝ち続けるための原動力は‘人’だと思っていますので、採用は毎年行っています。
なかでも新卒の存在は重要です。会社の将来を作るため、アイデンティティを共有してくれる、
会社と一緒に成長してくれる人材は、ずっと採用し続けていきたいですね。

【学生へメッセージ】

人生に夢を持って、自分の限界に挑戦して欲しい。
まるで考えもしなかったことが実現できる、それが社会です。
何かに「守られたい」と思うか、自分で「守りたい」と思うか。
自分のなかで枠を決めず、志を持って、自分の可能性に向かって頑張ってください。