代表取締役社長 會津 卓也
設立 | 1996年5月8日 |
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事業内容 |
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会社HP | http://www.inti.co.jp/ |
クリエイターとして志を同じくする仲間が集まり起業!
当社はゲームソフトの企画・開発を主に行っている会社ですが、
私をはじめ?カプコンという大手ゲームメーカーから移ってきた人材で起業しました。
特に会社に不満があったわけではありません。
クリエイターとして個々の力を試してみたい、
自分達の目指す方向性をストレートに実現化する為には
起業が一番適切ではないかと考え、
当時在籍していたメンバー10人程に声をかけてみたのです。
その当時、私はまだ23歳で入社して3年目でしたが、12人のメンバーが賛同してくれまして、
1人100万円づつ資金を出し合うことで、1996年に有限会社として設立しました。
どこからも資本参加の無いインディペンデントとして発足したため、
開発の為の資金が必要でしたが、発足前にメンバーの1人が
?ソニー・ミュージックエンタテインメント(SME)主催のクラブDEPという企画コンテストで、
プロ部門の優秀賞を獲得していました。
優秀賞の賞金は100万円で、特典として新しいゲームを作る権利が付くというものでしたが、
当社としてはこれを機に本格的にゲーム開発に注力したいという想いがあり、
SMEの方にその旨を直接伝えたところ、コンテンツの委託制作をしないかと提案を受け
プレステ用ソフト「可変走攻ガンバイク」の開発でスタートしました。
2度に渡る挫折を経験
しかし、このゲームはあまり売れませんでした。
様々な理由が考えられますが、
一番は「いいものを創れば必ず売れるはずだ」というクリエイターとしてのエゴが強すぎて、
販売促進のPR活動においても、営業部門と意見が対立することが多かったのです。
本来モノづくりというものは、営業と開発部門が一丸となって作り上げていくものであり、
それが実現して初めて、お客さまにいい商品を届けることができるのだという基本から
いつのまにか外れてしまっていたのだと思います。
その後、SMEがゲーム事業撤退という流れになり2本目の企画も頓挫してしまいました。
ちょうどその頃に、?ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)のサテライトカンパニーである
?アーク・エンタテインメントのバイスプレジデントと知り合う機会があり、
「週刊少年ジャンプ」のマンガ家である桂正和さんの画と当社の企画のコラボが実現すれば
販促に繋がるのではという提案をいただき「LOVE&DESTROY」というゲームを開発しました。
しかし、これもまた面白い作品ではあったのですが、
新ハード(PlayStation2)の発表時期とも重なり、
いろんな多くの作品群の中に埋もれヒットには繋がりませんでした。
設立から4年目に組織化による再スタート!
そんな2度に渡る挫折を味わったことで、
永続的に安定した仕事を続けていける企業創りをしなければと考えるようになりました。
当社は設立時から社員全員が役員待遇で、給与も同賃金というシステムをとっていました。
しかし上下関係がない分、意見の集約が難しく、
自らルール作りをする労力も大きかったのです。
「世の中に広く影響を与えるような作品をつくりたい」というのが起業時の志でした。
その信念を貫くためにも、新たに多くの従業員を迎え組織化する決断をしました。
役員として給料を支払う義務を個々に課すことでよりシビアに開発業務に集中できると
考えたのです。こうして設立から4年目にして、会社として再スタートを切りました。
その後、?カプコンから「ロックマンゼロシリーズ」の受託を得たことで軌道に乗りました。
ゲーム業界は、常に時流に応じて新しく変化しなければという動きが多いなかで、
当社としては、敢えて古い技術を守りながら新しいものを生み出していくというような
温故知新のスタンスを大切にしていきたいと考えています。
求める人物像とは
最近の若い人は積極性のある人が少ないように思いますね。
心の中に秘めている自分の想いをうまく表現することができない人が多いです。
会社に入社して具体的に何がやりたいか自分の言葉で伝えることが大事です。
ですから、漠然とゲームをつくりたいとか何でもやるという姿勢では駄目です。
ゲーム業界というのはトライ&エラーの繰り返しであり、完全能力主義の世界です。
どれだけゲームへのこだわりがあるか、熱意を持って取り組めるかに懸かっています。
そういった情熱にスキルや感性が乗っかっている人物を求めますね。
どんな苦境に陥ってもとことんゲームを愛せる人でないと勤まらないと思います。
就活生へのメッセ−ジ
何でも初めから100点を取ろうとするなと言いたいですね。
赤点取らなきゃいいじゃないかくらいの勢いで一歩踏み出すことが大事です。
たとえそれで失敗したとしても、やる気さえあれば若いうちはいくらでもチャンスがあります。
50点、70点と徐々に目標点を上げて最終的に100点になればいい。私はそう思います。