代表取締役 佐藤 秀光

特命機動株式会社 代表取締役 佐藤 秀光

代表取締役 佐藤 秀光

特命機動株式会社
設立 2006年11月22日
事業内容
  • 映像”活用”プロダクション
会社HP http://www.tokumei-kido.jp/

最初の事務所は喫茶店!?

1995年に入社した近畿日本ツーリストでは、教育関連団体への営業を経験します。
添乗員として各種企画手配(修学旅行など)旅行などにも同行しました。
そこで、人的流通を経験した後に、物的流通分野へと転職を致します。
2000年に、OAKLEY(オークリー)というアイウェアメーカーの日本支社へ。
こちらは、イチローなどの一流スポーツ選手も愛用するブランドです。
そこで、輸出入から国内流通に関わるロジスティックスに携わりました。
そして、本国アメリカに次いで世界2ヶ所目となる物流センターの立ち上げの責任者として従事。
その後、物流専門会社である佐川物流サービスにて、本格的に物流設計に携わることとなります。
そこから、さらに原点である人的流通サービスである婚礼業界へ転職、
ワタベウェディングを経て、2006年に特命機動を立ち上げます。

旅行、アパレル、流通、ウェディングなどさまざまな業界を渡り歩いたのは、
社会に出る前から抱いていた「自分自身で何かを立ち上げたい」という想い、
その“何か”を探していたからかもしれません。

起業のタイミングとしては、もともと“35歳くらいまでには”という気持ちがありました。
加えて、前の会社を辞めた段階で決まっていた就職先がすでに経験のある業界だったので、
お世話になった会社と同じ業界に行くことにためらいがあり、時期的には今かな、
という感じで起業を決めたのです。

しかし、設立当初、事務所にしていたのは某喫茶店。
この喫茶店なら朝から晩までいても問題ないし、電源も使える。
友人の家に電話線を引かせてもらって自分の携帯電話に転送し、
喫茶店とはいえ立派な事務所として使わせて頂いていました。

日本ってこんなにいい国なんだ!

当社は映像活用プロダクションを名乗っていますが、その基本的な事業はビジネス支援です。
設立当初はレストランの立ち上げから地域活性化事業まで、新規事業の立ち上げに関する
さまざまなご相談を受けていましたが、このご時世ですから、「相談」という
かたちのないものではなかなかお金は戴けない。
そこで当初はあくまでひとつのツールであった、“映像”という形あるもので
お金を戴こうということで、現在の「映像活用プロダクション」という体制になったのです。

私は、今の日本は海外に依存し過ぎていると感じています。
というよりも、自分の国に対する興味を失ってしまっているように感じられるのです。
他の国の人から見ればこんなにいい国はないと言われるのに、
他人の芝生ばかりを見て追いかけている。
蛇口から出てくる水をそのまま飲める国なんて、世界を見渡してもなかなか無いというのに。
ですから日本が素晴らしい国であること、日本の力というものを、
もっと私たちは知らなければいけないと思うのです。

そこで私は、日本の良さを映像や様々な伝達手段を通じて伝えていくことはできないかと考えました。
経済力がモノを言う現代、社会貢献事業ももちろん必要ですが、
日本は海外に依存せず自ら利益を創出できる国にしていかなくてはいけません。
映像や様々な伝達手段を通じてビジネスを活性化し魅力ある国にしていきたい、
それが当社の一貫した理念であり、映像活用プロダクションという体制に変わっても、
日本を盛り上げたい、そのための応援・支援をしていくというスタンスは何ら変わってはいません。

「会社勤めの方が楽だよね」

よく、自分で会社を興すより「会社勤めの方が楽だよね」なんてことを言われたりしますが、
私はそんなことは断じてないと思っています。
もちろん起業するということは、会社勤めにはないリスクがあります。
それは借金を背負うことと、社員を雇用するということ。
これは起業に伴い強烈にのしかかる責任です。

しかし、会社や団体に勤めるのも大切で重要な道。
選択肢としてどちらを選んだかの違いであり、苦楽のものさしにはなりません。
会社に勤めて、そこで実力を発揮するのも、起業と何ら変わりない厳しさや充実感があると私は思います。

座右の銘

「辛い時こそ笑え!笑う門には福来る」
これが私の座右の銘です。
元気と笑顔、それが何より重要で、みんなが笑えるような環境であれば、
状況というのは自然と良い方向へ向かっていくものです。
だからたとえば私の仕事のなかでも、くそまじめな映像に対して
ちょっと反抗的に笑いを入れてみたり…そんなことをしていますね。

働くうえで大切なこと

まず大切なのは、気遣いができるということ。
それは人に対しては勿論、作業に対しても同様です。

一緒に働いている人は競争相手ではありませんから、
そうした周りの人たちに気遣いができなければもちろんダメ。
そして人に対するのと同じように、作業に対しても気遣いが必要です。
作業に対して気を遣うというのは、後工程を考えるということ。
たとえば、雑用が素晴らしくできる人は、たいてい主業務も素晴らしく出来るものです。
コピーを取るだけの雑用でも、その資料が配布される環境は?どの段階で使われる?
どちら側から開くのがよい?その後その資料はどのように使われる?
そういう細部まで考え抜いて作業をすることが出来る。
上司というのは、そういう部分を絶対に見ているものなのです。

あわせて、基礎を重視する人になってほしいということ。
仕事はキャッチボールです。
仕事は一人ではできません。それは勿論、社内でも社外でも。
協力者がいる、お客様がいる…そんな「相手」がいてこそ成立するのです。
ですから、投げられたボールを受けて、それに応えることが仕事の基礎。
それが出来てプラスα、たとえばそこに返しの速さが加わってきたり、
カーブで返せるようになったりするわけです。

次に、少しを知ってすべてを知った気にならない。
会社に勤めて1年目というのは、1年目にできる範囲内で
仕事が割り振られるわけですから、それが出来るのは当たり前のこと。
それが出来たからといって満足して辞めてしまえば、
次の仕事につながるような基礎は築けないでしょう。
ですから最初の3年はその会社で頑張る気持ちを持ってほしいと思います。

就活生たちへ

まず、死ぬわけじゃないからそんな悩むな、と言いたいですね(笑)
スタートで出遅れたら後で追い越せばいいだけの話だし、
壁にぶつかればぶつかるほど人間は強くなっていくものです。
就職活動を楽にした人たちには味わえない苦労が出来たことは、
逆に恵まれていると言ってもいい。
会社に入って5年もすれば、きっとその時の苦労は、
自らの貴重な財産となって返ってくるでしょう。

私が最初に入った近畿日本ツーリストは大きな会社だったので、
大学に行っていない私は初めからスタートが遅れている状態でした。
その頃はバブル崩壊後でしたが、それでもまだ年功序列なんかも残っており、
大卒組との差はなかなか埋まらなかった。
でも、その中でもがき、試行錯誤し、身に付いた財産はお金で計る事ができない、
後の社会人の礎となります。
それは、その次に入った外資系会社でその価値を体感する事となりました。
入社時は年棒が360万円だったのが、辞める時は600万円に。
社会人としての礎あってこその業務遂行、発揮、そして結果なのだと考えます。
最初の遅れなんて気にすることはない。
今の就職活動は辛いかもしれないけれど、めげずに頑張ってほしいと思います。