代表取締役社長 永田 昌徳
設立 | 2000年 |
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事業内容 |
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会社HP | http://www.alia.co.jp/ |
お金を貯めるよりも、「お金を出したい」と思わせる人になる
起業しようと思ったのは小学4年生の時。
図工の時間に、自分の家を描くように言われたのですが
僕の家は小さな借家だったので、描きたくなかったんです。
それで、「将来の家を描こう」と言って、友達と3人でビルを描いたんです。
その時に、貧乏は嫌だ、お金持ちになるにはどうしたらいいかと考えました。
一つは歌手、もう一つは会社社長。
当時はマッチが全盛期で、「マッチになりたい」と思っていましたね。
そして中学3年の時、友達に「将来、俺は社長になる」と宣言すると
「なれなかったらどうする」と聞かれました。
僕の答えは「死ぬだろう」。
だって、社長になるまでやり続けるんだから、なれないということは死んだ時。
「でも、社長になるには金が必要だ」と聞かれたので、こう答えました。
「金は天から降ってくるもんだ。金を貯めて社長になるんじゃない。
金というのは貯まっているところがあるもので、貯めている人はどう使ったらいいか迷っている。
そこに優秀な人が現れれば、そこに使いたいと思うはず。
大事なのは、自分にお金を出したいと思わせる人間になることだ」
そう説いていました。
25歳、結婚式の写真撮影で身を立てようと決意
でも、何をしたらいいかわからないまま時は過ぎ、仕事を転々としました。
そして25歳の時、東京に出てくる機会があり、これから何をしようかと考えました。
以前勤めていた写真屋で、結婚式のスナップ撮影をしたのが
楽しかったことを思い出し、結婚式の写真撮影の仕事をすることを決意。
東京で、地元にはなかった『ゼクシィ』の存在を知り、そこに載っていた写真会社に
片っ端から電話して、ある小さな会社に就職しました。
そこで1年間働いてから独立。
自営でやろうかと思っていたのですが、その会社にいたビデオカメラマンから、
「資本金を出すから一緒にやろう」と声をかけられました。
僕は社長じゃないと嫌だと言ったら、社長でOKということで、一緒に始めることに。
しかし、僕はワンマン経営者タイプなのですぐに亀裂が入り、半年でクビに。
その時は人生最大のショックでした。
社長という肩書がなくなり、どうしようかと6時間くらい悩み続けた結果、
「もう一つ会社を作ろう」とひらめきました。
辞めた会社の給料と、持っていた機材を合わせた300万円で、有限会社アリアを設立。
社長解雇から1ヶ月後、再び社長に返り咲きました。
一日一日の小さな積み重ねが裾野を作り、山となる
この仕事をして「一番になりたい」とか、
「売り上げをこれだけ上げたい」とかはあまり考えていません。
振り返ってみると、「目の前のお客様に対して一生懸命」ただそれだけ。
お金は、お客様のために仕事をした結果としてついてくるものだと思っています。
会社を大きくすることに意味があるかどうかはわかりません。
しかし、多くの人が商品やサービスに賛同してくれることで大きくなっていき、
より多くの人にその商品やサービスを提供することができるのはいいことだと思います。
そのためには、チリ一つでも紙1枚でも何でもいいから、とにかく積み重ねること。
チリも積もれば山となる。
ビルは横から叩かれれば折れますが、山は折れません。
会社でも、縦に伸ばそうとして急成長したところはポキッと折れています。
折れない会社は裾野がしっかりしているんですよね。
紙切れでも、一日一枚を積み重ねると、1年で365枚。
10年で3650枚、すごい高さになります。
一日一日、やるかやらないかが大きな差を生むのです。
採用したいのは「天才」
天才の定義は、「神に愛されている人」。
そうなるためには、感謝する心をもつことが必要です。
昔、通っていた教会で、こう言われました。
「求めなさい。そうすれば与えられます」
自分のために使おうと思っている能力は、与えられません。
人や社会や未来のために使う能力は、与えられるんです。
その能力を持つ人は、天才(神に愛される人)になれると思います。
「人が喜ぶことが、自分の最大の喜び」このことに気がつくと、
本当に大きな喜びが訪れます。
僕の場合は、毎日、ただ前の前にいる人に喜んでもらいたかった。
そして、それが自分も嬉しかったんです。
足が前に進んでいれば、必ずたどり着く
まずは、自分が好きなことや長所を知ること。
そして若い時は、とにかく目の前にあることを死ぬ気でやってください。
毎日ぶっ倒れるまで働いてください。
倒れないのなら、まだパワーが余っているということ。
もっと、出来ます。やり切ってみてください。
死ぬ気でやったら、必ずなんでも出来ると信じています。
うまくいかないなら、それはまだ途中だということ。
苦しければ、それだけよい経験をさせてもらっているといこと。
足が一歩ずつ前に進んでさえいれば、必ずたどり着きます。