代表取締役 田中 玲子

株式会社レイ・ビューティ・ヘルス研究所 代表取締役 田中 玲子

代表取締役 田中 玲子

株式会社レイ・ビューティ・ヘルス研究所
設立 1979年
事業内容
  • エステティックサロンの経営
  • ボディケア・フェイシャル・スキャルプケア・脱毛・アートメイク他
  • タラソテラピスト学院 講師(教育/育成)
  • エステティックサロン運営コンサルティング・プランニング
  • 化粧品・健康食品の開発・研究・卸・販売
会社HP http://www.rey.co.jp/

起業ストーリー 第1章 「自分の道は自分で創る」

始めから美容の道に入ろうとして仕事をしてきたわけではありません。
気が付いたら美容の世界にいた、という感覚です。

学生時代にどうしても目指したい学問がありました。
ですが、それを当時の学力では一浪か二浪しなくてはならなかった。
ならば最初は職につけるような学科を選んで後で切り替えればいいかな、と思い
上京することにしました。
東京に出てきて感じたのは、
東京って働き方によったらアルバイトでも普通の給料を頂けて生活していけるんだな、ということ。
だったら自分で働きながら自分の好きな勉強をすればいいじゃないかと思い、
9月には学校を辞めました。
だってそれは目的じゃなかったから。
やっぱりやりたい勉強をしていきたい。そう思いました。
親にも「自分の勝手で選んだ道なので、これからは仕送りもいりません」と手紙を出しました。
そしたら親も「はい分かりました」と一言だけ。
後から考えたら変な話ですよね。
18、19の女の子が学校辞めて一人で働くって。
でもそれが当時の私たち親子には普通の話だった。
自分が決めたことなら、と親も承諾してくれました。

起業ストーリー 第2章 「人生の岐路に立って」

そうしてアルバイトをしながら予備校に通うことに。
ある日たまたま朝日新聞の広告欄で見つけた
美容コンサルタントの仕事をすることになりました。

初めての出勤日。専務と同乗した車の中で私は質問をぶつけました。
「私は月に最低いくら稼げばいいのでしょうか。」と。
私は当時、予備校とアルバイトという二足のわらじを履いていました。
ですが、それを理由に会社に迷惑をかけたくはなかった。
だから最低限のノルマはどうしても知っておきたかった。
40万と言われたので、それ以降50万後半の売り上げをキープしていました。

次第にお客様から指名されるようになっていきました。
どんどん仕事が楽しくなっていき、満足した充実感を味わえるようになってきた頃でしたね。
ここで選択をしなければならない時がきました。
大好きな数学を選ぶか、このまま仕事を選ぶか……。

そこでふと立ち止まって、自分の将来についてじっくり考えました。
大学に入って、院に入ったとしてもあと6年かかる。
それならば、今出来ることを精いっぱいやっていきたい。
そう決意しました。そうして社員になり一本道を歩み始めました。

起業ストーリー 第3章 「進歩があってこその未来」

社員になって以降、仕事一本に集中しました。
アルバイトの時とは違った、責任感がありましたからね。
この頃にはすでに中堅の立場でした。

ある日、アルバイトの女の子たちが
上司や会社の不満をロッカールームで互いにぶつけているのをふと耳にしました。
不満を陰で言ってもなにも変わらない、
意見をきちんと伝えることでよりよくなるのではないかと思った私は
部下の意見をまとめて上司に直訴することにしました。
そして話し合い当日。
いざ話し合いとなったときに、女の子たちは何も話さない。
ただ下を向いてうつむいているだけ。
社長は社長で、「もっといい環境にしましょう」と言ってくれたものの、
実際には何も改善せずにただ月日は流れていきました。
この出来事によって世の中ってこういう不条理なものなんだなと思い知りましたね。
そして、仕事はマイペースにするものだ、と。

そして半年後、何も改善してくれない、進歩がない会社に未来を感じなくなり、
独立することを決意しました。
ないものならば作ればいい。
今よりももっとよいものをつくりたい。そんな思いで。

起業ストーリー 第4章 「もっとお客様に喜んでいただきたいから」

独立してから、最初は美容コンサルタントの仕事をしていました。
ある日、お得意様だった女性のお客様が結婚されることになり、
頼まれてフェイシャルをすることに。
最初は自宅に呼んでフェイシャルをやっていました。
それが予想した以上に喜ばれて、
じゃあベッドがあったほうがいいだろう、部屋があった方がいいだろう、と
あれよあれよと言う間にワンルームからサロンをスタートさせることになりました。

サロンを初めて32年経ちますが、経営を誰かから学んだことはありません。
全部直感でやってきたことです。
最初はマーケティングという言葉すら知らなかった。
でもそういうのってお客様のためを思って行動すれば
自然に出来るようになっていくんですね。
今では不景気にも関わらずたくさんのお客様が来店してくださいますし、
全国からプロの経営者や技術者の方々が学びに来てくれるようにもなりました。
小さなことから始めたことがやり方次第で大きく出来た。
これは一サロンに留まらず、一事業を起こせたのではないかと思います。
夢や目標があれば辛くたって頑張れる。
そしたら結果もついてくるものだと実感しています。

若者へメッセージ

このままだったら日本の経済潰れますよ。
だって絶えず向上していこうとするアグレッシブさが
今の若い人たちには足りないんですもの。

積極的に人に注意する、自分の意見を主張する、
それと同時に人の意見にも耳を傾けられる。
そんな術を身に着けることが必要だと思いますね。
人に意見できるということは、よりよい環境を作っていくのにとても大切なことです。
社会人になって、学生時代とは違う大人になった時に徹底的に鍛えられて下さい。
そこがあなたが変われる最後のチャンスです。
幼児性を脱ぎ棄てて主体性を身につけた時に
初めて“大人”になれるのではないでしょうか。