代表取締役 深水 直文

株式会社ジャパン・アート・パブリシティ 代表取締役 深水 直文

代表取締役 深水 直文

株式会社ジャパン・アート・パブリシティ
設立 1977年9月20日
事業内容
  • 広告(TV、ラジオ、新聞、雑誌、その他印刷媒体の企画・制作)
  • 出版物の企画・制作(エディトリアルデザイン)
  • CI企画
  • 店鋪・空間の設計・デザイン
会社HP http://www.jap-e.co.jp/

バンドに明け暮れた学生時代

大学は、武蔵野美術大学で油絵科を専攻していました。
学業の傍ら、ロックバンドに没頭する毎日。リーダーボーカルとして、米軍キャンプ、福生を舞台に楽しい学生生活を送っていました。
卒業も近くなり、いざ就職先をと考えた候補は、田舎へ戻り画家を目指して高校美術の先生もしくは東京に留まることの二つ。
どちらにしても、このまま故郷の九州大分へはまだ戻りたくない!と、デザイン科の求人票をみて、博報堂の子会社である広告制作会社へ就職。
たまたまその会社の社長が芸大油絵科出身というご縁もあり、私のデッサン力を評価して頂いたのです。
今ではあまり見かけない手法になっていますが、広告のプレゼンを作る際は手描きカンプで描くことが主流で、油絵科出身のデッサン能力は高く評価されていたのです。
名刺の肩書きは「イラストレーター」でした。

これが、”広告”との出会いでした。

日々仕事に明け暮れる中、仕事で知り合った印刷会社の社長に呼び出された時のことです。
夜中の社長室でいきなり帯付きの100万円札束を2つ出され、「会社をつくれや」と。
とはいえ私の肩書は社長ではなく、デザインの部署・実務統括責任の立場で、ということでした、それならばと決心して転職。
この会社で力を入れていたことは、CI(コーポレートアイデンティティ)、広告デザイン制作で、週に2〜3日事務所で寝泊まりするほどの情熱で臨みました。

独立のきっかけ

4年間の勤務を経たころ、社長が不動産事業にも手を拡げ、不運にも数億の負債を抱える事態となり、
「お前一人でやってみろ」と、会社の営業権を譲る代わりに営業権利の譲渡金を支払うことを条件で、独立を果たしました。
それまで社長には多くを学ばさせていただき、恩義も深く抱いていましたので、
窮地に至った今、それに報いて社長への感謝の気持ちで譲渡金を長期分割で支払いました。
結局、状況が独立のきっかけとなってしまいました。

そして前社時代の仲間3名と?ジャパン・アート・パブリシティを立ち上げ、
「東京で1番ユニークで楽しい仕事ができる会社」を目指し、前職で情熱を注いだCI、広告デザインを中心に事業を開始。
広告制作会社への就職が難関を極めるほど、”広告”が目立ち始めた時代でした。

当社は今年で創業32年目を迎えた。
時代とともに広告デザイン表現手法は次第に変化し、現在はタレント力に頼る広告全盛時代とも言えるような状況です。
「あのタレントが使っているから私も使う」の広告効果への期待は、短絡的で安易な手段で既に陳腐化したと思う。
もっとリアリズムのある、新しい表現方法として消費者の生の声や人を起用した「土着型」の表現方法や、
多くのイラストレーターなどのアーティストを起用した手法をトライしたいと考えています。
また、地方の方言にも注目したコピー表現なども大変興味深いテーマだし、
日本文化独自の広告表現を模索することが、
一つの「日本の広告」の新しい方向を示すことになるのではと考えている現在です。

座右の銘

「石上裁花後生涯自己是春」
禅宗の言葉で、石の上に花を咲かすことはできないけれども、咲かせるほどの努力をすれば、
その人生には春が来るという意味の言葉です。とても好きな言葉ですね。

テーマカラー

黄色に近い「オレンジ」
強くてハードな印象のある「赤色」に、憧れているのですがね(笑)
南国九州の生まれのせいか、暖かい温和なイメージがオレンジにはあるので、私のテーマカラーです。

ドMな学生へ、メッセージ

座右の銘の通りですが、損得だけで物事を捉えず、「徳」の意識をもって欲しいです。
得にもならない、どうでもいい、と思えることこそしっかりやってください。
事に臨む時には「なんとかできるはず」、「必ず結果を出せる」という心持と工夫が大事です。
そして、石の上にも3年の言葉通り、継続することが大切です。
それをやり遂げる努力・エネルギーがあればきっと色々な可能性が見つかるはず。