代表取締役 濱田 孝治

株式会社エイチ・アンド・ティー 代表取締役 濱田 孝治

代表取締役 濱田 孝治

株式会社エイチ・アンド・ティー
設立 1998年(平成10年)8月3日
事業内容
  • 住宅情報化システムの企画構築
  • システム構築のコンサルティング・教育・研修
  • 植林・立木の販売/li>
会社HP http://www.ht21.co.jp/

初めてのプログラミング

高校1年生の時、本屋で当時東京電機大学助教授の安田寿明さんの
「マイコンピュータ入門」を立ち読みし、衝撃を受けました。
今から33年前のことです。
当時まだ周りにコンピュータを使っている人もいなかったので、
それからは独学でプログラミングの知識をつけていきました。
しばらくすると、高校に放置された巨大なプログラム式関数電卓を見つけ、
先生からの依頼もあり、成績の統計処理ソフトウェアに改良してしまうほど
コンピュータオタクになっていました(笑)

運命の出会い

高校を卒業すると、昼は通産省の大阪通産局(当時)で公務員、
夜は大学で電子工学を学ぶ二重生活が始まりました。
当時親とあまりうまくいっていなかった私は、自立を目指す必要があったのです。
それでも、いつかはコンピュータを使って起業したいという思いが強く、
大学に通うこと決めました。ところが、局の仕事はJISの審査官付ということで、
審査・検査で、遠方への出張も多く、結局大学を中退することになりました。
ただその部署は、年に1〜2回東京の本省出張があり、出張を週末に合わせて、
よく秋葉原へ出かけて情報収集するのが楽しみでした。

そんなある日、貯金をはたいて150万円(1981年)もするオフコンを
購入した私は、夜行バスで帰る途中、隣に座った男性が当時まだ珍しい
メモリチップを握っているのに気付き、同じ匂いを感じて思わず声をかけました。
その方は東京での学会発表を終えたばかりの医師で、私と同じく秋葉原を徘徊し、
翌朝診察のために夜行バスに乗っているコンピュータオタクでした。(笑)
この偶然ともいえる出会いが、今後の私の人生を大きく変えるきっかけとなったのです。

独立

その後も連絡を取り合う仲となり、ある日その方の病院への転職を勧められました。
もともと医療現場のシステム化構想を描いていた私は、
いずれ独立することを前提に21才で転職を決意しました。
その病院でオリジナルシステムを開発し学会発表したり、
病院の合理化を推進しているうちに、気が付いたら27才で、
総合病院(500床)管理部門のトップにまでなっていました。

このままではどんどん独立しづらくなる、
そう感じた私は思い切ってコンピュータ系の会社に転職をしました。
転職後、病院時代に開発した私のソフトを見て、某巨大化学メーカーから
直接名指しで医薬品開発に関するソフトの開発依頼がありました。
完成後も非常に評判がよいとのことで、社内で事業化提案し、
ソフト開発・学会発表・営業とこなし、事業化目前となりました。
しかし、時代はバブル崩壊で会社として撤退することになり、
それを正式に引き継いで、いよいよ起業を果たしました。

無から有を生み出す

あれから10年。
現在は「TOXランチャー」という、医薬品開発の動物実験時に使用される
試験支援システムの開発を手掛けております。
用途に合わせて数々のモジュールを組み合わせる新しい仕組みを持つ
このシステムが完成すれば、データ分析が正確かつ効率的に行われ、
過去の実験結果の効率的利用などで、動物実験の数を減らしつつ効率を上げ、
結果、新しい医薬品の開発スピードを圧倒的に早めることができるのです。

私たちは、無限大の知恵を用いて、無から有を生み出し、
医薬品開発の工程すべてにおいて貢献することを目標に掲げています。

また、今後はますます海外への展開を強化していくため、
ソフトウエアエンジニアだけでなく、バイリンガルな人材の積極的な採用も
視野に入れています。