代表取締役 土田 磯実

株式会社シンキオン 代表取締役 土田 磯実

代表取締役 土田 磯実

株式会社シンキオン
設立 1999年3月
事業内容
  • ウェブ企画制作・運営
  • ウェブコンサルティング事業
会社HP http://www.sinkyone.com/

母親の影響でファッションの世界へ

物心がついた時から、母の影響でアートやファッションに興味を持ち、
女性であっても一生働きたいと10歳くらいから考えていました。

本当は好きな絵を描いて芸術家になりたかったのですが、既に奇才な
アーチストとしての才能は無い事や、生活ができないかも?と、いうことも
自然に理解した時、就職をして企業デザイナーになることに決めました。

■ フランス留学の経験から学んだ事

ファッション学校を卒業し、人気企業の企画室に順調にファッションデザイナーの道を進むも、
次第に学生の頃に取ったファションコンテストの副賞にあったパリへ行きたい気持ちを
押さえられなくなり、同時にフランス語の猛勉強をし、アパレルを3年勤務後、
何のあてもなく単身パリへ。

パリで働く事だけを考えていました。
パリでは本当にラッキーにパリコレを開催するメゾンに就職できました。
お給料は生活できるほど満足には頂けませんでしたが、それでも、毎日、
少しずつフランス語を学び、スキルと共に、オーナーの信用を得て1年後には
チーフになっていました。

何でもそうですが、小さな努力を毎日重ねると大きな道に繋がるのだと。

■ ファッションからIT 業界へと転職

パリではアートとファッションを学び、12年後に結婚を期に日本へ帰国。
しかし、ファッションカメラマンだった国際結婚の相方が1995年から
本格開始になったインタ−ネットをいち早くキャッチし自宅にはその頃、
高級品であったMACを始め数台のPCがありました。
しかし、ファッションを職業としていた私にはデジタルの世界は全く無縁で、
触れることもありませんでした。

ある日、相方が急にフランスへ帰国し、その後、離婚成立。
帰国直前に相方がマルチメディア部を立ち上げるためにハンティングされていたシステム会社に
替わりにデザイナー達を管理するマネージャーとして勤務することになりました。

そのころはワープロも打てず、日本人は日本語で打つものだと思い込み、
ひらがな入力でキーボードを打っていたくらいです。
今から思うえば笑い話ですが。それもシステム会社で(笑)

ファッションの業界では、実績と自信がありましたが、全く無知な業界へと転職し、
ハンデを持った私は、そこで、土曜日も含め毎日、15時間働く事を決め仕事に没頭しました。

社長からは、休んでくださいと言われたこともあり、実際に勤務中に倒れた事も数度ありました。
しかし、お給料を頂いている以上、会社の役に立ちたい、絶対に迷惑をかけれない、という一心でした。

■ インターネットの将来を信じて起業

就職したシステム会社は、ホテルの婚礼・宴集会総合支援システムでは
トップ市場シェアを持っていた安定した会社で、私はマルチメディア部署を任され、
CDや映像などを作成していたのですが、時代はインターネットに向かっている事を
日々感じていました。

これからはすべてのことはインターネットで完結出来るはず。
世界が変わる。生活に絶対に必要になるんだと。

当時は現在のネット進化を思っている人は一般的には少なかったのです。
携帯もこんなに普及しないだろうという雑誌特集ですらありましたから。

トップにネットシフトの企画書を提出するも1ヶ月後には私の机の上に戻っていました。
猪突猛進型の私は、次第に時代に取り残される危機感を感じ、起業家精神は全くなかったものの、
インターネットに将来があると信じ、起業することに自然に考えが流れました。

起業当時は、私の焦りとは裏腹にインターネットは一般的と同じく、理解されませんでした。
3年間は本当に厳しかったものの、ブロードバンドのインフラ環境整備に伴い、
業績も右肩上がりで、創立10年を迎えました。

信念というものは、何よりも強いもの、と思っています。

■ 新卒者に求める人物像とは

働くことが何よりも楽しいと思える人。
人間力を養おうとする人。
気配りのできる人。
そして、自信を持つためにどんな事にもめげず努力をすること。

会社と共に成長していきたいと考える人と一緒に働きたいですね。
特に、小さい会社で働くことを希望するのであれば、
社長といっしょに人生を歩んで行けるか、その覚悟をもって挑んでください。