代表取締役 福島 嘉之

株式会社アール・シイーテイー・ジャパン 代表取締役 福島 嘉之

代表取締役 福島 嘉之

株式会社アール・シイーテイー・ジャパン
設立 1997年8月
事業内容
  • ピープルカウンタービジネス
  • SCサポートサービス
  • ライフスタイルブランドビジネス
  • ソフトウェア開発
  • スカイライトビジネス
会社HP http://www.rctj.com/

創業について

高校を卒業後、情報処理の2年制専門学校に入学。
…したものの、学校がつまらなく嫌になってしまい、1年生の夏休みを機に学校に通わなくなりました。
それからアルバイトの毎日。しかし仕事や勉強に頑張っている友人を見て自分もこんなのではだめだと、
専門学校の1年制クラスに編入し、無事卒業を果たしました。

卒業後の就職先は、ソフトウエアハウス。
その会社では、今まで触れ合ったことのないタイプの人たちがたくさんおり、色んな人と仲良くなりました。
プログラミングの仕事は楽しかったけれども、企業への出向が中心の会社でした。
スキルは上がるものの、派遣先が変わるたびに、それまでのチームでの協業や目標が切れてしまい、
「このままでは自分も会社もビッグになれない」と、思うように。
そして、つくばの原子力研究所へ出向を言い渡されたときに、「自分で何かやろう」と決意して退職しました。
離職してすぐ、友人にジェットスキーに誘われたのがきっかけで、ジェットスキーのビジネスを思いつき、
それが成功。自由が丘などにジェットスキーの店舗を設けるようになりました。

その後渡米し、アメリカでもショップとファクトリーを展開して順風満帆でしたが、
とある事情で会社を売却、帰国せざるをえなくなり、起業の醍醐味を味わうとともに
仕事の厳しさが骨身にしみました。

帰国後、今までの経験を活かし、そして新たに修行し直すつもりで、
30歳の時にシステムのコンサルティング営業職につきました。

それが、現在のビジネスの始まりのきっかけです。

僕が就職した会社では、その当時来客者を集計するシステムを探していました。
丁度そのとき僕がとてもお世話になっていた方から、アメリカにある小さなベンチャー企業を
経営していたジョージをを紹介してもらいました。
ジョージが創るシステムは「ピープルカウンター」といって製品自体は素晴らしいものなのですが、
何せ生まれたてのベンチャーの製品。正直安定感がありませんでした。

僕の会社の社長はビジネスに慎重な大学の教授、価値観や求めるもの違いから、
慎重な日本サイドとベンチャーのアメリカサイドで意識のすれ違いが生じました。
このままでは仕事も空中分解する雰囲気になりかけたとき、「もともと会社を経営していたのだから、
福島君が引き継がない?」という社長から提案がありました。

僕もこの会社で修行が終わったら、「一生懸命仕事して、一生懸命人生を楽しむ会社を作りたい」
と常日頃から考えていたので、スノーボードを売っていた友人の会社の協力を得て、
ピープルカウンター事業を始めました。

事務所は8畳1間で家賃は月8万。ボロくて小さいけど、遂に夢の一歩を踏み出した瞬間。
1998年33歳のことです。

テーマカラー

今のテーマは「白」

冬:真っ白な雪山にとびきりの青空でスキー
夏:エメラルド色の海と白い砂浜

白は心が洗われます。

座右の銘

「あきらめない」

夢は人を裏切りません。

僕は何かに一生懸命になっている人を、とてもかっこいいと思います。
人間は皆弱いけどだからこそ、努力している姿は素晴らしい。
どんなにつらいことがあっても歯を食いしばって笑って乗り過ごす。
辛いときでも笑顔でいる男になりたいと思います。

どんな人材がこれから必要か

自分の目標を持って、価値観を共有出来る仲間を持ち努力を苦としない、
楽しんで努力が出来る人材が必要です。

お金だけでなく本質的に自分と周りの人の人生を豊かにしたいという
前向きさも大事だと思います。

今後の目標

まず規模でなく品質でNo.1の会社になりたいです。

また、明るく楽しくクオリティの高い仕事をする仕組み・環境をつくりたい。
50名規模の組織になり、1人1人に目が届きづらくなってきたからこそ、
働いている人をなるべく正しく評価する仕組みづくりをしていきたいです。

学生の皆さんへ

今しかできないことを一生懸命やって、泣いて笑って思いっきり人生を楽しんで下さい。

そして周りの人に、元気・エネルギーを分けてあげてほしい。

そして社会という海に出た時は、僕たちは先輩ではあれ仲間でありライバルです。 
熱い仲間やライバルが社会に飛び出してくるのを待っています。

幸運を祈ってます。