代表取締役 長谷川 学

株式会社シネブリッジ 代表取締役 長谷川 学

代表取締役 長谷川 学

株式会社シネブリッジ
設立 2003年3月
事業内容
  • 映画館のCM広告(フィルム・デジタル)企画・販売
  • 映画館でのプロモーションの企画・制作・運営
  • 映画作品との企業タイアッププロモーションの企画・制作・運営
  • 上記以外の広告代理業務
  • 上記各号に付帯する一切の業務
会社HP http://www.cine-bridge.com/

≪一番心に残った映画のポスターと一緒に≫

※これは「ライフ・イズ・ビューティフル」という、イタリア映画のポスターです。
興味ある方は以下を見てください。
ライフ・イズ・ビューティフルとは・・・

私たちは、シアタープロモーションという、今までにない新しい形のメディアを扱う会社です。
なぜシネブリッジが生まれたのか、少しだけ皆さんにお伝えいたします。

ヒトにとって映画とは

“11億2,745万人“

この数字を見て、何かわかりますか??

実はコレ、1958年(昭和33年)の映画人口ピーク時の観客動員数です。
当時の日本の人口が約9,177万人でしたから、
一人当たり、年に12回以上(=月に1回以上)映画館へ足を運んでいたという計算になります。
当時は娯楽の数が少なく、楽しみといったら映画という時代でしたからまぁ納得もいきます。
そんな日本も娯楽がどんどん増え、1996年には
ピーク時から比べ映画館動員数が約1/10の1億1,957万人にまで低落しました。

“シネマコンプレックスという存在”
皆さん、新宿のバルト9や六本木ヒルズのTOHOシネマは行ったことがあるでしょうか。
1つの建物の中に、いくつものスクリーンがある映画館をシネマコンプレックスと呼びます。
そこにはさまざまなジャンルの映画が上映されている故に、
広範な年代の人々が集散する場となりました。
この、“シネコン”の誕生が日本人の映画館に対する印象を大きく変えたのです。
1958年の頃にはまだまだ劣りますが、
徐々にあの頃の輝きを取り戻しつつあるのが現状です。

起業に至るまで

私は元々映画が好きでした。
ただ、社会人になるにつれ、映画を見る機会が減っていく日々。
映画を見るという行為は習慣性のあるものなので、
一度見に行くと行き続けますが、
行くことをやめると本当に疎遠になってしまいます・・・
(皆さんもそんな経験ありませんか??)
そんな私がなぜ起業を決意したか。
今まで営業、イベントの企画運営、販促ツールやノベルティ制作に人材派遣・・・
沢山の職業に触れ、一通りこなせる人材になれました。
が、しかし。
ここであることを痛感しました。

「なんでもできるということは、何にもできないに近しい」

ということでした。
何かに特化をした技術を身につけなければ、
世の中に生き残ることはできません。
他人から価値を見出してはもらえないのです。

先述したとおり、シネコンが日本で流行り始め、
多くの人が映画館に足を運ぶようになりました。

そして、多くの人が集まる場には、必ず広告が生まれます。
そこでシネブリッジは、映画館に来場する人をターゲットに、
企業のPR活動や販売促進の場(タッチ・ポイント)を提供する広告サービスをスタートしました。

社名の由来

映画館(映画)と来場者、来場者と企業(ブランド)を有機的につなぎたい。
私達が懸け橋となり3つを繋げていくという想いを込め、
シネブリッジという社名をつけました。

≪会議室には映画に関わった著名人の名前をつけています≫
※アルフレッド・ヒッチコックについてはこちら

2009年の目標

今年は業界活性化のためにPRに力を入れる年にしたいですね。
世の中に多様なメディアがある中で、
映画館=集客装置としての特異性や効果の高さを
少しでも多くにお人に認知して頂きたいと考えております。

長谷川社長を表わす漢字一文字

“繋”
ヒトとヒト、企業と企業を、信頼を持って繋ぐことが私達の役目だと考え、
この一文字を選びました。

学生へメッセージ

今自分が何をするべきか、
そして、何を目標にするか。
20代そこそこで人生の方向性を決めることは難しいことです。
だからといって、その場で立ち止まっている状態では何も生まれません。
私はいくつもの職を経験し、やっと今の仕事にたどり着きました。
最初は映画を仕事にするなんてまったく想像も付きませんでした。
それでも今にたどり着けた理由は、
「走り出してから考える」
これを繰り返してきたからだと感じています。
まずは走りだしてください。がむしゃらに何かに集中し、
そこで感じたことから人生の方向性を決めてもまったく遅くありません。

皆さんの就職活動を応援しています。