代表取締役社長 粕井 健次

天創堂株式会社 代表取締役社長 粕井 健次

代表取締役社長 粕井 健次

天創堂株式会社
設立 2009年10月14日(大政奉還日)
事業内容
  • ご当地ブランド事業
    • ライセンスの管理・運用・商品化
    • ご当地ブランドの公式サイト制作・運用・プロモーション
    • ご当地イベントと連動したEコマース
    • 土産物の卸・商品企画
  • Web・広告事業
    • 公式サイト、ECサイトの構築・運用・プロモーション
    • メールマガジンの企画・運用
    • 各種広告媒体の販売
会社HP http://www.tensodo.co.jp/

起点となった一冊の本

「行政改革」
小学校の卒業アルバムに書いた将来の夢。
何かデカイ事をしたい!!と小さい頃から考えていました。
中学、高校、大学時代はその大きな夢に向かって政治家になるため必死に勉強を・・・したわけではなく(苦笑)
正直、だらだらした普通の学生生活を過ごしてしまっていました。
そんな私が変わったきっかけ。大学2回生の時に知り合いの恩人に薦められた一冊の本でした。

「竜馬がゆく」
この本を読み、一生に一度きりの人生、生まれてきた使命を問い、
全力で果たさなければならない。と強烈に思うようになり、
いてもたってもいられないという想いが体を駆け巡りました。
それから、日本の各地・世界各国をバックパックで旅するようになり、
そこで世界の広がりを知り、様々な新鮮な経験をし、大きく2つの事を感じました。

「生かされている」という意識。
異国の地で、はじめて一人で食べた飯はあまり味がしませんでした。
野宿をして襲われそうなったり、カエルに起こされたりするのは最悪の寝心地でした。
旅の途中では不思議と色々な人に出会い、助けられました。
非日常が日常の有り難さを気づかせてくれる。
普段は気づかないうちにも、多くの人に支えてもらい、
周りとの関係がなければ自分という存在は成り立たないという事を感じました。

「このままでは日本は没落する」という危機感。
中国や東南アジアは高度成長特有と言いますか、街全体からギラギラとした活気が肌で感じられます。
日本にはそれを感じる場所がほとんどない。
ある程度豊かになってしまったが故の結果なのか。
閉塞感の漂うこの空気を一変しなければ、世界において日本の存在価値がどんどんなくなっていく。
竜馬や、先人が命をかけて発展させてきたこの国が、
我々の世代でどんどん衰退していってしまう、という危機感が私の中に芽生えました。

夢が志に変わった瞬間

その後私は大学3回生の時に、学生団体の立ち上げに携わり、代表に就任。
学生向けのポータルサイト運営、OB社長による講演会の開催など数多くの活動をこなしました。
一緒に活動したメンバーや大学の職員さん、OB・OGをはじめ、
多くの人に助けて支えていただきながら、本当に色々な事を勉強、貴重な経験をさせていただきました。

私として最も心に残っている事は、
兵庫県とタイアップして実施した地域商店街での「お年寄り向けパソコン教室」です。
そこに参加してくれたあるおばあちゃんが、一人暮らしで病気にかかっておられ、
「こうゆう場を作ってくれるだけで本当に嬉しい。話す相手もいなかったのよ・・・」と泣いて喜んでくれました。
熱いものがこみ上げてきて、自分たちが作ったこのパソコン教室が、
ささやかでも、おばあちゃんの人生の喜びになった事を心底嬉しく思いました。
「自分が作った場、情報、サービスによって、みんなが幸せになって欲しい」
小学校の時に想い描いていた行政改革という「夢」が、形を変えて「志」に変わった瞬間
でした。

「3年後には起業する」

学生時代に強い想いを持つことができた私は、「3年後に起業」することを前提に就活をしました。
50社以上の会社をみてまわり、モバイルコンテンツのベンチャー・サイバードに入社。
企画職として、主にテレビ局の携帯サイトの企画運営を行いました。

ちょうどマスメディアの広告が衰退していき
ネットが台頭、テレビとネットの融合が盛んに叫ばれている時期でした。
「ながら視聴」に最適なモバイルを使い、番組をより面白くする仕組みを企画したり、
双方向の番組連動企画を実施したり、番組オリジナルのコンテンツを制作して有料会員につなげたり・・・
非常にスピード感のある仕事で、有料サイトの登録者も過去最高記録を何度か更新する等、非常にやりがいがありました。

と言うと、とても順風満帆なサラリーマン生活に聞こえますが、
実は大きな挫折がありました。
新人の際に開催されたプレゼン研修で、学生時代に色々な経験もしていた私は
「こんなもん余裕や」と高をくくって臨んだところ、結果は最悪。
焦り、ろくにしゃべりすらできませんでした。同期のレベルの高さにも愕然としました。
「3年後に起業!」と威勢よく言っていたくせに、悔しくて情けなくて・・・
泣きながら六本木交差点を歩いて帰ったのをよく覚えています(笑)
その次に開催された、社長を前にしたプレゼン大会では、
必ず1位をとろうと心に誓い、寝ずに必死になって企画を考えました。
その結果、幸運にもグランプリを取る事ができました。
その時に感じたのは、人間必死になって取り組めば、なんでもできる。成せばなる!という事でした。

「夢設計図」と「十戒」

社会人2年目の2008年9月末、起業をより具体的にするため、「夢設計図」を作りました。
自分が一生でやりたいことを全て洗い出し、年表に落とし込み、
「1年後に起業をする」事を決定しました。
それと同時に作ったのが「十戒」です。
夢は描いているだけでは夢で終わってしまう。
竜馬が江戸修行の際、父からの訓戒「修業中心得大意」を大事に守ったように、
自分の明確な軸を作らなければ夢は叶わないと思ったのです。

それからは、毎朝欠かさず夢設計図と十戒を見て、
行動基盤、価値基準を自分自身に言い聞かせてきました。
習慣化して自分の軸をブラさないようにし、自分はこうしていく!!
そう心に決めて行動をしたからおかげで、
夢設計図に書いた通り1年後の2009年10月に起業を果たせました。

同志と目指すもの

私は大学時代の同級生2人と一緒に起業しました。
彼らとは根底にある想いが一緒で、心から信頼、尊敬し合える仲間です。
会社を立ち上げるには資源が大切です。
お金も、技術ももちろん大事ですが、何より人と、そこにある想いがとても重要です。
一緒に走り続ける。一緒に笑える。一緒に泣ける。志を共有できる。
そんな仲間が何より大切だと思います。
“サービスを通して社会問題を解決する“
“理想の社会を追求する“
“一人でも多くの人に「有難う」と言ってもらえる企業になる”
私自身、この想いを実現する事が最高の幸せだと考えています。

日本をもう一度、幕末のような自信と誇りの満ちた活気溢れる国へ。
今はまだ本当にちっぽけな存在ですが、
生まれた意味を考え、もがきながらでもそれに向かって努力し続ける事が、
最高の幸せだと私は思っています。