代表取締役社長 宮地 勘司

代表取締役社長 宮地 勘司

設立 2004年11月26日
事業内容
    • 教育プログラムの提供
    • 研修/学校コンサルティング
会社HP http://www.eduq.jp

アートが好きなのに新聞社入社?

大学を卒業したのが88年。
学生時代はまさにバブル期真っ只中で完全に売り手市場でしたが、
私自身は就活に対しての意識はそんなにありませんでした。
父が飲食店を自分でやるような事業欲旺盛な人で、
幼い頃からその姿を見て育ちましたので、
自分もサラリーマンになるより自分で何かをやる方が
面白そうだなぐらいには考えていましたね。

子どもの頃から美術やアートに興味があったので、
当時の夢は芸術家になることでしたね。
そんなふうなので、就職先に関してはメーカーなどはまったく興味がなく、
将来もしかしたら起業するかもという意識で金融、商社、
マスコミに入れたらいいなぐらいに考えてました。
日経新聞に就職したのは単純です。
ずっと読んでいたからです(笑)。
そのおかげか筆記試験も突破し、広告局という部署に配属されました。

広告局では企画を考えたり、食品や流通企業への紙面の広告提案などをやっていました。
テレビ局に出向して新局の立ち上げに携わったりしながら
結局新聞社では17年間にわたり勤務をしました。

2001年春の夢

2001年に「日経エデュケーションチャレンジ」を立ち上げました。
これは企業の経営者や技術者たちが講師となって、
高校生に対して夏休みに授業を行う1日だけのサマースクールです。

このイベントを立ち上げようと思ったのは実は夢を見たからなんです。
当時、業績低迷に苦しんでいた日産をV字回復に持ち込んだカルロス・ゴーン社長や、
フリースが爆発的ヒットをして一躍有名になったユニクロの柳井社長が
「ビジネスは最高にダイナミックだ!」と熱く語るのを高校生が
車座になって見ているという光景を夢で見たのです。
思わず飛び起き、慌ててメモに書き残して、そのまま社内で提案しました(笑)

「日経新聞は大学生になってから読めばいい」「教育事業は儲からない」と
あまり相手にされない中で、唯一興味を持ってくれたのが当時日本経済新聞社の副社長から
グループ会社のトップに転出したばかりの佐久間さんでした。
佐久間社長のコミットのおかげで、結果的には人々が動き出して
そのまま同年夏にはサマースクール開講となったのです。

イベントをやってみてもっとも印象的だったのが高校生たちの目の輝きでした。
どの子も真剣な眼差しで大人たちの授業に聞き入っていますし、
自分たちにも何かできるに違いない、と彼らのエネルギーがふつふつと
たぎっていくのをその場で感じました。

時代はコギャル、ガングロ、オヤジ狩り全盛の時代で、
子どもたちは不祥事を続けてテレビで謝罪ばかりしている大人たちに憤りを感じていたし、
そもそも大人たちが子どもに対して怖がっていました。
しかし、このサマースクールでは両者の間のそんな壁を感じることがなかった。
大人が熱く語り、それを受けた子どもたちの感性が開き、
熱を帯びていく姿を見て、
「この仕事を一生の仕事にしよう!」と強く決意したのをよく覚えています。

もっと多くの学生に素晴らしさを広めたい

ただ当たり前のことですが、新聞社の仕事はこの他にも沢山やらなきゃいけないことがあって、
たった1日のイベントだけのためにそんなに時間を割けない。
しかもこのイベントに集まった高校生はせいぜい300人程度ですが、
全国には300万人の高校生がいる。
この素晴らしい体験をもっと多くの高校生に経験してもらいたい!と思ったので、
新聞社の中に教育事業部を立ち上げようと考えたんです。

まず初めに取り組んだのが事業計画書作成です。
今まで事業計画書なんて書いたこともありませんから、
参考になる本をとにかく読み漁りました。
その年は、年末年始の正月休みをすべて返上し、
部屋に籠もりきりで最初の事業計画を書き上げました。

早速書き上げたものを上司に持っていくと「いいね。その内やろうか」という生返事。
新規事業に対する真剣味あまり感じられなかったので、
それじゃ自分でやろうと仲間を集め始めました。

集めたのはラジオの放送作家やグラフィックデザイナー、ITエンジニアなど
いわゆる教育界とはかけ離れた人たち。
日経新聞がやるからには、「企業」「私の履歴書」「マネー」をテーマに、
全国の高校生が「生きた社会を学ぶための教科書」を作るのが目的でした。
何度もブレストを重ねる内に、本当にこんなもの求めている人がいるのかと
さまざまな不安も沸きあがりました。

そんなときこそ、前に踏みこもうと思い、渋谷教育学園の田村理事長を訪ね、
このようなことを考えているんだけどどうでしょうか?と相談しました。
田村理事長は
「おもしろいよ、やってみなさい。うちの生徒だったら喜んで実験に協力してくれるよ」
との回答をもらい、夏休みに試験的にやってみることが決定。
準備の時間も短かったですが、やってみるとこれが大成功!
実はこの学校の生徒さんがかなり優秀だったんですが、自分としては
これはいける!やっぱり教育事業は脈ありだと思って進めていくことになったんですよね。

会社が動かなければ自分で動く!

自信をつけて社内攻勢に力を入れましたが、相変わらず社内の動きはとてもスロー。
面白そうな話だから、いつか時期が来たらやろう、みたいな感じで、
死ぬか生きるかこれをやってみよう、みたいなモードは当然無いわけです。
やっぱり自分で何とかするしかありませんでした。

そんなある日、新聞で松下電機(当時)がスピンナップファンドと称した
社内起業プロジェクトをはじめたという記事を見ました。
100億の原資を用意して、社員の中から面白いアイディアを持っている人を起業させ、
10人の社長を出すという取り組みでした。
「これだ!」と思い立ち、社内の誰にも相談せずにすぐに連絡。
松下電器とのシナジーを生み出すことを前提に、
1億円までなら出資してもいいという内諾をいただきました。
また、私は当時NTTも担当していたので、政府のe-Japan構想を推進するNTTグループに、
学校のIT化を軸に出資を打診しました。

そこまで土壌を固めておいたら次はいよいよ社内です。
目当ての副社長に持ち込み、日経が教育事業をやる意義と
渋谷教育学園でやった実験授業の結果、
そして、松下電器の出資が内定していることを伝え、
「もしやらない場合は副社長が松下の中村社長に謝りに行ってください!」
といって口説き落としました。

チーム発足から解体

プレゼンは成功し、社長からも許可が下りました。
いきなり別会社設立とまではいきませんでしたが、既存事業と新規事業は
折り合いが悪いだろうということで、新しい教育の事業は、広告局ではなく、
社長室の直下に作ってくれました。
ここまでの流れはずっと水面下での話。
広告局の直属の上司は一切知る由もありませんでした。
こうして新入社員1人を引き連れた総勢2名の教育チームが発足したのです。

発足したのが2002年10月の話。
なんとしても翌年、2003年4月からの新学習指導要領綱の実施にあわせて
動き出したいと思っていました。
担当役員からは、「宮地のプログラムを導入してもいいという校長先生が20人いたら、
はじめることを許してやろう」と言われ、新入社員とふたりで関東平野を駆け巡り、
なんとか20校を集め、無事スタートすることができました。
しかし、半年もしないうちに新聞社の社長が代わり、新規事業に対する方針が変わり、
私の教育事業は一旦棚上げとなってしまいました。

どうしたものか…と途方にくれてしまいましたが、
これを一生の仕事とすでに決めていたので
会社を辞めてでもやろうと腹をくくりました。
正直言えば、住宅ローンと2人の子どもを抱え、大変な恐怖がありました。
会社の仲間からは「40歳過ぎて会社を辞めて起業するなんて、
新聞記事の中だけの話だと思っていた」と言われました。
この事業に出資を検討していた会社も、日経を辞めた私には魅力を感じなかったようで
次々に出資を取り消していきました。しかし、捨てる神あれば拾う神あり。
何人かの心ある人に出会い、資本金を集め、2004年11月に会社設立に至りました。

教えられるのではなく、自ら学び取っていくプログラム

教育と探求社の事業内容は主に「クエストエデュケーションプログラム」を
学校に提供することです。
ただ単に教材を提供するのではなく、カリキュラムを売っていると思っています。
生徒へのワークブック・インターネット教材・先生の研修までを1セットにした
システムです。まだまだ規模は小さいですが、
差別化という意味では相当オリジナリティが高いと思います。

このプログラムは学校教育ではなかなかできない、主体性や創造性を育むためのプログラム。
「生きる力」や「社会人基礎力」や「21世紀スキル」など、様々に呼ばれていますが、
要は大人も子どもも、この領域の能力が著しく欠けていると思うのです。
だから、その力を身につけるきっかけを学校の中で得て欲しい。

自分自身と向き合うことでもっと自分の能力、素晴らしさに気づいてもらいたい。
一人ひとりがもっと充実した、自分ならではの人生を送れるようにするために、
若いうちからそんな芽を育てていきたいと思っているのです。

求める人物像にもつながりますが、大事なのは自己肯定感を持つこと。
「I am ok」の精神です。
自分を肯定していないと相手も肯定できない。
言い換えれば自分を肯定して初めて相手を認めることができますし、
協調性も生まれるのだと思います。
そして創造性とは生まれ持った才能ではありません。
実際に前に踏み出してみる勇気のことだと私は思います。
時に先が見えなくとも、前に踏み出すことで新たな局面が広がっていき、
そこに道ができていく。
勇気をもって自分の道を作り上げていってください。
これからの道を作るのはあなたたち若者です。
応援しています。