代表取締役 村瀬 茂高

代表取締役 村瀬 茂高

設立 1994年5月
事業内容
    • 移動マーケティング事業
    • 高速バス事業
    • WILLER EXPRESS CAFEの運営
    • 損害保険代理業
会社HP http://travel.willer.co.jp/

幼いころから「仲間」が好き

幼稚園の頃は、自転車暴走族(笑)。もちろん先頭です。
やんちゃで、よく近所のおばさんに怒られていました。
小学校の時は野球少年、中学からはテニス少年。
高校時代は名古屋のスポーツ特待生が集まる学校に通い、
土日も関係なく、朝から晩までテニスに没頭していましたね。

思い返せば、自転車で走り回っていた幼稚園時代からずっと、
「仲間」や「チーム」のつながりが好きでした。
大学を選ぶ際に、テニスで入るかどうかと考えた時、
「このまま頑張っても日本一にはなれない。それなら違う事をやるのもいいか」
と、あっさりとやめてしまいました。

代わりに何に没頭したかというと、サークル活動。
街頭に立って旅行会社のパンフレットを配ると、
添乗員としてツアーに同行することができ、少しのバイト代も出るというものでした。
夏休みは与論島や沖縄などのツアーに添乗してテニスのコーチ、
冬は雪山でスキーのインストラクター。
楽しかったのですが、報酬は雀の涙程度。
それで、2回生の時に、
「自分達で一からやろうよ!」と提案。
一声掛けたら、100人くらいいたサークルのメンバーの、ほぼ全員が付いてきました。
早速事務所を借りてツアーを組み、宿泊先のホテルを決め、バス会社と交渉。
パンフレット制作は実家が印刷会社のメンバーに頼みました。
その結果、初回から結構な売り上げを出して成功。
そのまま2回生、3回生と続け、4回生の時に、これを会社組織にしたいという人が現れたので、
スポンサーになってもらって法人化することとなりました。

サークル活動がそのまま仕事に

その会社は、サークルの卒業生が一部そのまま就職し、
スキューバダイビングやスキーなどスポーツ系を中心とした旅行会社となりました。

会社ができてから4~5年たった頃、
私の提案で大阪に営業所をつくったのですが、蓋を開けてみると業績が良くない。
提案した責任をとるために大阪へ異動になりました。

「みんなは、本当はどんな事がしたい?」
と聞いていくと、
「こんなことしたい」「あんなことしたい」
と、いろいろ意見が出てくる。
「じゃあ、意見が通るように本社に言っておくから、一緒にやろうよ!」
と、苦楽を共に協働していったら、
売り上げ2億5000万が8億に、そのまた翌年には13億に…と、うなぎ登りに。
一時は大阪営業所を畳む話しも出た程ですから、あまりの勢いに周りは驚いていました。
そんな中、私の考え方が社長に正しく伝わってなく、
会社の方針と私のやりたいことに違いが出てきたので、あっさりと退社しました。

会社を辞めてから、「自分はいったい何がしたいのか?」「何ができるのか?」を考えてみました。
すると、結局やりたい事をやるためには、社長になるしかない、という結論に行き着きました。
「社長」になりたかったというわけではなく、「社長」になるしかない、という感じです。

鉄道再構築~地域活性のために~

弊社設立後、高速バス事業をメインに大きくなってきました。
「世界中の人の移動にバリューイノベーションを起こす」というミッションは変わらず、
今後はより飛躍し、ステージを大きく変えていく予定です。

日本全国を簡単、便利に移動できる、
利便性の高い交通ネットワークを構築し、我々の成功が人々の笑顔であり、
私達の夢を叶えることが社会貢献につながるということをやっていきたいですね。

その中でも現在新規事業として力を入れているのが「北近畿タンゴ鉄道(以下:KTR)」の再構築です。
KTRは京都府などが出資している第三セクターの鉄道会社で、
長年赤字経営が続いており、いかに業績を立て直すかが死活問題となっています。
今後は施設保有と鉄道運行を分離して経営していくことが決まったのですが、
そのうち鉄道運行の事業を私たちが担当することになりました。
いかに地元の方に利用していただける鉄道にするか。
このことに対する私たちの提案が認められて今回担当させてもらえたのだと思っています。
未来の運行開始を目指して準備を進めています。

マイカーでないと生活できないのが今の地方の状況です。
昔は鉄道が生活のなかでの移動手段として有効だったのですが、
現在はロードサイドにスーパーマーケットやショッピングモールが
次々建つ郊外型の街づくりが進んでおり、
自動車を持っていないと生活が非常に不便な状況になってきています。
それとともに、高齢化と核家族化も進行していますね。
高齢者の方々が家族から離れて生活するような家族のあり方が一般化しています。
そのなかで、お年寄りが80歳になって車を運転しているということになると、
ご家族も不安に思われることが多くなると思うのです。
これが現在地方の中で問題になっていて、
そこに鉄道という公共交通を再構築していくことが重要になってきます。

「都会よりも住みやすい地方」へ

地方の私鉄の現状を見ると、使おうにもなかなか使いにくい体制になっているんです。
東京の電車、たとえば山手線であれば、200円あれば大抵のところに移動できますし、
常に運行しているので、時間の面でもいちいち調べずに利用できます。
ところが、地方の私鉄になると4,5駅で500円と運賃設定を高くせざるを得ず、
さらに本数も一時間に2,3本、もしくはそれ以下ということになってくるので、
「だったら車の方がいいよね」という選択になってしまうわけです。

その利便性と運賃の問題の改善が一番の焦点になってきます。
病院であったり買い物に行くにあたって、電車という手段をシームレスに使えるように、
駅までをつなぐバスの本数を調整するとか、
一時間に一本は必ず出るようにするといった工夫がまず必要になってくるでしょう。

加えて地元の方向けの「ローカル割引」や「お年寄り割引」のような運賃プランにより、
車を使うよりも電車の方が便利だし安い、と思っていただけるようになれば、
今後交通手段としての選択肢に再び電車を選んでいただけるようになると考えています。

体制を整備し、より便利な公共交通のあり方を追求していくなかで、
「地方のほうが都会よりも住みやすいじゃないか」と言ってもらえるようになれば面白いし、
それは地方活性化ということにもつながるだろうと思います。

今後、大都市への人口集中が進み、地方は衰退していくという予測もされていますが、
そこはIT技術を取り入れたサービスを編みだしていくことがカギだと思いますね。
距離に関係なく情報やサービスにつながることが、ITによって可能になったわけですから、
それを活用していけば、むしろ地方こそがより住みやすい場所になり得るんじゃないでしょうか。
そのようなイメージも描きつつ、まずはひとつひとつの課題をサービスに変えていくことで、
地方の皆さんにとっての利便性向上に努めていく所存です。

これからは「交通革命」の10年

これまで民間の企業にこのような仕事を任されることはありませんでした。
私たちのKTR運営が成功すれば、
今後全国の地方私鉄のあり方もそれをきっかけに変わっていくと思います。

現状、ほとんどの第3セクター化した地方鉄道は赤字経営が続いていて、
廃線になるところもどんどん増えてきているんです。
私たちがビジネスモデルを構築し、黒字経営に転換することで、
この衰退傾向に歯止めがかかり、地方活性化にもつながればいいと思っています。

利用者の皆さんが求めているのは、各交通手段がバラバラに経営するのではなく、
それぞれがつながって切れ目なく利用できるような交通のあり方だと思います。
しかし、ただ単に事業連携をするだけでは本当の便利さにはならないと私は考えていて、
しっかりしたコンセプトを構築したうえでの連携ということを重視しています。

丹後の交通網を作るにしても、地元の方向けの域内交通と、
全国からの観光客の方向けの域外交通では、当然パッケージは変わってきます。
それぞれのニーズに合わせて便利な交通網を作ることによってはじめて、
丹後は便利な地方になっていくのです。

そしてこのような整備作業を各地方がひとつずつ行っていくことで、
日本全国を域内・域外の交通両方で密に結びつけていく。
この「交通革命」を起こすことが、当社の今後10年のビジョンですね。

息ながく働ける会社

実は創立20周年を迎える今年(2014年)を会社としての区切りの年にしているんです。
これまでの10年は高速バス事業を中心にして
「全国をローコストで周れる交通網の整備」をテーマに進んできました。
これからの10年は今言ったとおり、地方を軸とした交通革命を目指して、
新しい気持ちで事業を展開していくつもりです。

現在、これまでにない未来的な鉄道運輸作りという部分で共鳴して、
運輸や他の交通サービスのエキスパートの方に多く入社していただいています。
街づくりや運輸ということに興味がある方々は、これからもどんどん集めていく予定ですが、
それと並行して新卒採用も行っています。

会社として、ゼロベースで事業に向かえる若い人の目線、そして元気さは重要ですからね。
現在いる社員は若い人が多く、新卒採用の6割が女性です。
ほとんどの新卒社員が辞めずに、結婚後も残って働き続けてくれていて、
最近は出産ラッシュを迎えています。
これまでの10年間で、新卒で入ったそういう方々がしっかり事業を形にしてきてくれました。
今後10年も、新卒だからといって関係なく同じように進んでいくでしょうし、
それが私たちの企業文化かなと思っています。