代表取締役CEO 佐藤太一

代表取締役CEO 佐藤太一

設立 2013年6月
事業内容
会社HP http://playlife.co.jp

働く事は楽しい事

「今までの人生で一番楽しかったことは何でしょうか。
 それは、テストで1番になったり、お金をたくさんもらったり
 会社で偉くなったり、そういうことではない。
 もっとシンプルに子供の頃みんなで近所を駆け回ったように
 いつもの仲間たちと一緒に思いっきり遊んでひとつになれる瞬間。
 この「遊び」こそが、私の人生で自信を持って言える一番楽しいこと。」

PlayLifeはまさに人生を楽しみたい想いをカタチにしたものです。
まずは、このPlayLife誕生までをお話ししましょう。

代々炭鉱の経営をしている家庭に私は生まれました。
特殊な業界でありながらトップレベルの結果を出している会社でした。
その中で幼い私は、その炭鉱へ幾度となく遊びに行くわけです。
炭鉱で働く山の男たちはみんな私に優しくしてくれて、
みんな笑顔で力強くて気持ちよい人たちです。
「働くって楽しいんだ。」
会社というのはまさに学校の大人版みたいなものだ。
その場で働く人々と触れて得た想いでした。

そして、同時に起業に対してもあこがれを覚えます。
自分の世界観を体現できる場所、より自由自在に動ける場所、
それが起業することなのだと、子供ながらに考えていたのです。

しかし、幼い身ではビジネスのことなど頭にはありません。
描いた夢は、世界を飛び回って、その地域に住まう人々の力になるというもの。
その想いを持ったままに、大学では紛争処理、戦争論、安全保障などを勉強しました。
卒業後もアメリカへ渡り、国連職員を多く輩出する大学院へ通う事となります。

今しかできない自分にしかできない一番やりたいことをやる

しかし、現実は理想とはかけ離れていました。
政治、宗教、民族、法律、経済的な問題から
国連職員の仕事は大きく制限されてしまい、
とても問題の根本を抜本的に解決することができないのです。
手を伸ばせば届くのに何もできずに死にゆく命を目のあたりにしました。

そこで、私は考えました。
「自分が本当にやらなければいけない事は何か?」
「本当に今しかできない事は他にあるのではないか?」
「自分の力で直接世界を変えることできものは何か?」
さんざん悩んで導いた結論は、
「今しかできない自分にしかできない一番やりたいことをやる」というものでした。

そこで思い立ったのは、小学校の頃から大好きだった音楽の世界入ることでした。
そして音楽業界について学ぶうちに見えてくるのは、
課題が多い音楽ビジネスの構造そのものでした。
「もっとビジネス全体を俯瞰してより最適なモデルに変革する必要がある。」
そう考えた私は経営コンサルティング業界へと足を踏み入れます。

最初の3年間は経営コンサルティングの基礎と実践スキルを手法を学ぶ準備期間と決めて、
戦略、財務、業務、IT、人、組織、文化等、
会社を構成する要素に対して幅広くかつ深くアプローチするには、
外資系かベンチャーだと考えていました。
外資系からスピンアウトした経営コンサルティング会社で約3年間、
人間力ある素晴らしい人とプロジェクトにも恵まれ徹底的に仕事に取り組みました。

その3年後、次は成長著しく優秀な人たちが多い場で挑戦したいと思うようになりました。
「コンサルタントという第三者がではなく、自分が主体となれる事業会社で会社の成長をさせたい。」
縁もありながら就職が決まり、新たなステージがスタートしました。

最上級の舞台で挑戦する日々

その会社で私が担当していた業務は、
経営層直下の特命プロジェクトでした。
困難なプロジェクトで短期間で成果をあげなければならないものでした。
約1年間そこで働いているなかで、
様々な課題に対して最適な解決策を実現できるためには、
もっとたくさんのベストプラクティスを体験すべきだと考えるようになりました。
最上級に高いレベルのビジネススキルを得て将来の起業に活かそうと思いました。

そこで外資系の戦略コンサルに転職することになりました。
世界レベルのビジネスノウハウと優秀な人材がそこにはいました。
しかし、そこは学びの場でありながら、多忙を極める場でもあったのです。

睡眠時間や自分の時間がほとんどなく、
とにかくタフなプロジェクトで仕事漬けの毎日でした。
ようやくプロジェクトが終わった時、
達成感よりも自分への大きな疑問と喪失感でいっぱいでした。

極限状態で気づきと狂気の果てに目指した世界

「最強のビジネスマンになろう。」
そう思い描いて働いてきた自分のこれまでが、虚しいものに思えたのです。
様々な事を考えていた私ですが、この時ですね。
本当に自分が楽しいと思えていた事、人生で一番楽しい瞬間はなんであったのかを振り返りました。

そこでようやく気付いたのです。
『「いつもの仲間たちと思いっきり遊んでみんなでひとつになる。」
 それが私の人生で一番の幸せだ。
 ならば人生を遊び倒せるようなサービスを創って、
 たくさんの人たちが毎日楽しく遊べる世界にしよう。』

そう決心したとき、私の体は駅のホームに横たわっていました。
あまりの過労で、体が限界を迎えていたのです。

入院中、不思議と夢の中で遊びの世界をどうやって形にしようか考えていました。
そして無意識のうちに寝ながらビジネスのコンセプトやプランを組み立て、
目を覚ました時に、看護師さんに紙とペンをもらい一心不乱に事業計画書を書いていました。
そして退院してそのまま家にパスポートを取りに帰り、
その日のうちにシリコンバレーへ直行しました。
「命がけでようやく見つかった自分のアイディアをIT先進国アメリカで磨き上げたい。」
その思いを胸に、facebookやgoogle本社の前で社員を待ち構えてプレゼンしたり、
とにかくがむしゃらに一心不乱に自分のアイディアをビジネスプランに昇華させていきました。
「世の中の遊びに革命を起こすためには、生半可な思考や気合や行動ではいけない。
 努力と熱意、あるいは狂気をもってこの革命のために自らを犠牲にしよう」
と決めたのです。

人生を遊び倒そう

「みんなを楽しませる遊びのプラットフォームを創造したい。
 一緒にいて楽しい仲間のコミュニティを形成したい。
 そして圧倒的に自由で楽しいライフスタイルを実現したい
 この三本柱を軸に、人生を遊び倒せる世界を創っていこう。」
倒れてから約三年間が過ぎ、ビジョンに共感する仲間も集まりました。

私達は
毎日を遊びで彩りたい。
週末だけではなくて平日の仕事や学校終わりでも、
いつもよりもっと楽しいワクワクする遊び方を提供していきたい。
そしてその遊びの思い出をみんなで共有して、
笑顔の連鎖を生んでいきたい。
という思いで取り組んでいます。

「人生を遊び倒そう。」
これは、これからも変わらず追い続けていく理念となるでしょう。

自分の原点を追求する

もう一度、最初の質問を繰り返しましょう。
今までの人生で一番楽しかったことは何でしょうか。
この質問の答えは、皆さんの中の「原点」を見つけるものとなるでしょう。
私の場合はお話したとおりです。
イメージは子供の頃に近所の友達と秘密基地を作ることに近いでしょうか。
設計図とは思えない落書きを書いて、
廃材を集めて、木を伐り、釘を打って、
みんなでひとつになって無我夢中に秘密基地を作る。
出来上がるのは完璧な物でなくてもいいのです。
雨漏りをしていてもかまいません。
仲間たちとひとつになって遊んでいる瞬間が、
私にとっては何よりも楽しいのです。

みなさんの中にはどんな楽しいことがあるでしょうか。
その原点を見つけたのならば、
あとはそれを徹底的にやるだけです。
何よりも楽しいと思える事を大事にすることが、
何よりも必要なのだと私は考えています。

原点に立ち返って一番楽しいことを仕事にして旗を振りましょう。
その旗に集まってきた仲間と共に徹底的に遊びまくる。
私たちは遊びの力で不可能を可能にしていきます。