代表者 小林英二

代表者 小林英二

設立 2009年6月5日
事業内容
    • 人材サービス事業
    • 訪問看護事業
会社HP http://www.genten-links.com

バンド熱中時代

大学は1年の前期が終わった時に辞めました。
高校時代から始めたバンド活動を本格的にやっていくためです。

それからはメジャーデビューを夢見て、
アルバイトとバンド活動に明け暮れる日々を送りました。

そもそもバンドにのめりこむようになったのは文化祭がきっかけ。
友達から「シンセサイザー弾けるやつがいなくて困ってる」
と相談を受けたことから始まったのです。

それから本番まで練習を重ね、いざステージに立って音をあわせたあの感覚…。
観客と演奏する側が一つにまとまる一体感に、
すっかり虜になってしまったんです。

本気でスーパースターになることを考えてやっていたのですが、
現実はそうそう甘くもありませんでした。

そこそこ有名になってCDも出しているようなバンドでも、
音楽一本で食べていくのは厳しいという現実が見えるようになり、
「テレビで騒がれているような人たちは本当に一握りだけなんだ」と
現実とのギャップに、
次第にメジャーデビューへの熱が冷めていくのが自分でもよくわかりました。
大学を辞めてから月日にして10年、年齢は28歳になっていました。

組織としての理想を追い求めて

それから飛び込んだのが営業の仕事でした。
それまで社会人経験は一切なし、
職歴と言えるのはアルバイト程度しかありませんでした。

とある小さなベンチャー企業に入社したのですが、
コピー機やインターネット回線を販売するため、
飛び込みでの営業がメインでした。

営業マンにはノルマも課されていました。
当然そのノルマも生易しいものではなく、数字を達成できない厳しさから、
入ってほどなくして辞めていく人もたくさんいました。

もちろん、営業として目標を達成することは、
目指さなきゃいけないところではありますが、
あまりにも離職率が高く、人が定着しない。

まずはこの状況を何とかして変えないとダメだと思いましたね。

会社は出入りを激しくして、目先の利益だけをとっていくのではなくて、
人が育つ会社にしていかないとダメなんです。

そこでまず考えたのが社内で「偉くなる」ということでした。

当然役員や、役職が付けばそれ相応の権限を与えられるわけなので、
社内の制度をひっくり返すにはこれしかないと思いました。

そうと決まれば仕事に集中です。
入社3カ月から半年で部下3人がつくまでになり、
1年後には15人ほどの組織の責任者に抜擢されました。

しかし相変わらず離職率は高いまま。
会社の体制を変えようととにかく仕事に打ち込むも、
気づけば60人規模だった会社は120人の規模に。

そんな会社を変えるのは簡単ではありませんでした。
そんなことをしているうちに、
次第に”自分なりの理想の組織像”が明確になっていったんです。

こうしてある日唐突に、
「自分で理想の組織を創ればいいんだ」と思い立つようになり、
気づいたときには会社を飛び出していました。

現在の事業に至るまで

28歳で初めて就職し、その会社を辞めて今の会社を立ち上げたのが30歳。
決して早いスタートを切ったというわけでもありませんし、
順風満帆に来たというわけでもありません。

ただ、理想は一人一人がイキイキと働ける組織を作ること。
そのために会社を立ち上げたので、
「この事業で勝負するぞ!」という具体性はありませんでした。

独立の手はずは整ったのですが、事業内容が決まらない。
営業マン時代は毎日のように、
部下や後輩にメシを奢ったりしていましたので、貯金もない。
あるのは借金だけ。

いかに初期投資をかけずにできるビジネスはないか、
ということばかり考えていましたね。

そこで思いついたのがHPを作って何かを売ってみること。
窮地に追い込まれて絞りに絞り出した案でした。

HP制作会社に頼むお金すらなかったので、独学でHP作りを勉強。
この時の勉強が今のwebマーケティングノウハウにつながっているんだと思います。

第一号は自転車ブームにのっかって、
フレームからハンドルまで思い通りの自転車を作ることができるサイト
「オーダーメード自転車ドットコム」を開設。

オリジナルの1台が作れるということもあって反響はかなりありました。
ただ、お金に結びつきませんでした。

知り合いの職人さんに委託して製作してもらうつもりだったのですが、
忙しい人で納品までに納期に時間がかかりすぎてしまう。
ビジネスとしてやっていくのは難しいと判断し、結局閉鎖に。

アイデアは良かったのですが、事業化することができませんでした。

しかし、営業をやっていたということもあり、
なんとかなる、という根拠のない自信はありました。

「不安」とか「怖さ」よりも、
好きなことを好きなようにやることができることが嬉しかったですね。

最後までお客様のために

今の事業に辿り着いたのには偶然的な出会いから。
その方はいくつも会社を所有している社長さんでした。

「1つ休眠会社があるからそこでやってみないか」
その会社こそが有料職業紹介事業をやっていた会社でした。

少子高齢化が進む日本で今後伸びるのは福祉事業だと考えた私は、
医療・介護業界に絞ることにしました。

それこそ後の医療・介護業界転職支援サービス
「メドフィット」になるのですが、
HPと広告を作ってみたところ、予想通りの反響。

かねてから培ってきたwebマーケティングを駆使したことも功を奏しました。
次第に売上もたっていき、波にのってきたところで事業ごと買い取り。
Genten Linksの主力事業であるメドフィットが誕生しました。

メドフィットの特色としては看護師、
薬剤師などの大手が扱っている職種以外の
もっと細かなニーズにも対応できる点です。

例えば診療放射線技師、言語聴覚士、視能訓練士など、
さらに専門性を掘り下げた職種にも対応。
求人側と求職者とのニーズを適切に結びつけることができるのです。

そしてさらなるこだわりは業務が分業化されていないこと。
職業紹介はエージェント次第だと言っても過言ではないと思っているため、
求職者へのケアは手を抜きません。
1人の専任担当者が登録する段階から
医療機関とのマッチングまで一貫して行いますし、
入職後のアフターフォローも欠かさず行います。

その結果ミスマッチングは減り、
定期的な連絡を取り合うことで求職者にも安心感が生まれます。
ひいてはそれらが離職率の低さだったり、
求人企業側からの信頼につながっているのだと思います。

未来にワクワクする

今後についてはさらなる成長をと思っていますが、
今の事業だけにこだわっている訳ではありません。

働く社員たちから
「こういうことやりたい!」「こんなのどうですか?」
という声があがれば
収益性や社会的価値などを考慮した上で積極的に吸い上げていくつもりです。

また、昔はよく計画をたてて動いていたのですが、
今はそこまで具体的に立てている計画ってあまりないんです。
計画を立てても、その通りに行くことなんて正直少ないですからね。
だったらその計画を立てている時間が無駄だなと思い始めたんです。
それどころか、緻密な計画を立てる事で、
状況に応じた柔軟な判断を阻害する、とすら思うようになりました。

それよりも、時代の流れとともに変化し続けられる会社にしていきたいですね。

取扱分野にはメドフィットでもおなじみの医療・介護系職種。
子会社のキャリアカラーでは医薬・バイオ関連の研究開発や
治験モニター・統計解析等の臨床開発、
建設・電子設計・ソフトウェア関連のエンジニアリングまでと
専門性の高い分野に特化しているのも特徴的です。

また、最近で言うと、
訪問看護ステーションの立ち上げをおこないました。

医療・介護分野の人材サービスを手がける会社として、
「メドフィット」という求人サイトで
医療機関と求職者のマッチングに力を入れてきました私たちにとって、
今後の医療介護業界の為に出来る事はなにかと考えたときに、
医療業界への人材の供給以外に、貢献しなければと思い、
立ち上げを決意したんです。

訪問看護や訪問リハを必要とされる地域の皆さまへ
お役に立てればと思っています。

随時事業説明会を実施致しておりますので、
どなたでもご自由にお気軽にご参加ください!

この先も“やりたいことをやる”という精神を大切にし、
しっかりと付加価値を提供し続けることで
事業規模は自然と大きくなるものだと思っています。
創業当初の理念に沿って、
社員一人一人がイキイキと働ける環境を整えていくことが
経営者である私の役目だと思っています。

楽しめ!

どんな業界、どんな仕事に対しても共通して言えることだと思いますが、
人として素直であることが大事だと思いますね。
嘘をつかず、謙虚な姿勢を忘れない人。
こういった人は信用されますし、
どんな時代になっても大事な要素だと思います。

そして伸びる人、成長する人というのは
やっぱり仕事を楽しめる人ではないでしょうか。

寝ても覚めても仕事のことを考えてしまう、
プライベートとビジネスモードの境目がないような人は
やっぱり必然的に結果が付いてきますよ。

細かいことを考えずに好きなようにやってみてください。
頭で考えるより実際にやってみる、
行動に移してみる方が結果も出ますし、課題も見つかりやすいものです。
なるようになります。
仕事もプライベートも人生を楽しめるかどうかはあなた次第ですよ!