代表取締役社長 横井裕之

代表取締役社長 横井裕之

設立 2005年11月21日
事業内容
    • フードアナリスト食の専門家による情報発信制度の整備
    • フードアナリスト認定機構としてフードアナリスト資格者の登録業務、更新業務
    • フードアナリスト資格者の育成・認定
    • 食の専門家育成による食育・食文化伝承等を通じた社会貢献
    • その他、前条の目的を達成するために必要な業務
会社HP http://www.foodanalyst.jp/

「チャンスをつかむため」必死に学費を稼いだ大学時代

大学時代は、大変な苦学生でした。
家庭の事情で初めに入った大学を辞め、
私学の中では比較的学費が安かった立命館大学に入学。

入学して2週間ほどは住む所がなく、大学構内で暮らしていました。
そして、新聞販売店の寮に入り、
朝2時半に起きて6時半くらいまで働き、また14時頃に帰宅して仕事する日々。
卒業まで続けようと思っていたのですが、体力面で続かず辞めました。

それからは必死にアルバイトの日々。
3日間、水しか飲めないこともありました。

それでも大学に進学したのは、大学に行かないとチャンスがないと思ったからです。
日本では、会社に入らないとビジネスを学ぶことができません。
学校では、社会ですぐに役に立つことは何一つ教えてくれませんから。
そして、大学を出ないと就職が難しいので、大学だけは出ておこうと思ったのです。

だから、卒業することしか考えず、学費を稼ぐために必死でした。
授業料が払えないので月々分割にしてもらっていたのですが、
3ヵ月間未払いだと抹籍になってしまうので、毎月4万数千円を払うのが大変でした。

授業料滞納で退学の危機にお金を貸してくれた教授たち

学生当時は80年代のバブル真っ盛り。
周りは裕福な家庭の学生が多く、
親に学費を払ってもらって、ベンツで通学している人もいる中で、
「なんで自分はこんなに貧乏なんだ」と怒りを感じていました。

2年生の夏、いよいよ授業料の滞納が3ヵ月目になってしまいました。
いろいろな所に金策に走り回ったのですが、どうしようもなく、払えません。
翌日、大学に行くと、
なんとゼミの担当教授が緊急教授会を開いてくれ、半年分の学費を貸与してくれたのです。
なんとか抹籍の危機を免れました。

とはいいつつ、お金がない状態はまったく変わりません。
大学2年生の頃は、まともに食事も取れず栄養失調状態になってしまいました。
しかし、窮地には誰かが助けてくれるものなんですね。
私がアルバイトをしていた喫茶店の常連客が、そんな私を見かね、
これを元手にビジネスを始めてみないかと、出資をしてくれたのです。

最初は学習塾。
そして旅行代理店、広告代理店と、いくつもの事業を展開していき、
3年生の終わりから4年生にかけて、年収が3千万円を超えることもありました。
助けてくださった教授、そして常連のお客様には本当に感謝してます。

証券会社で年収数億円のトップセールスマンに

大学卒業後は、日興証券に入社。
入社した時から、自分は社長になるものだと思っていました。
4年目でトップセールスマンになり、秘書と運転手がつく超エリート。
退職時には億単位の収入がありました。

しかし、仕事するのは自己実現のため。
学生時代は生活のため、お金のために働いていましたが、
社会人になると、かえってお金というものをあまり追求することはなくなりました。

ちなみに、私の経験上、
「負けた奴はどこに行っても負ける」というのが鉄則。
仕事が嫌で辞めた人は、他の社に行ってもダメ。
今の仕事が満足にできない人は、どこに行っても満足に働けないし、転職もできないし、
独立してもうまくいくわけがないのです。

「自分にしかできない」新しい食のメディアの構築を目指す

15年勤めて会社を辞め、
コンサルティング会社と、M&Aをしている会社に転職。
そして、2年後に当社を立ち上げました。

日本では業界で最大のフードアナリスト協会を作り、現在、会員は約1万人。
当社が運営しているフードアナリスト資格検定は、年間3千人近くが受験しています。

フードアナリストとは、食について解説し、ニュースを発信する人。
食について責任を持つ人によって、新しい食のメディアを構築していこうと取り組んでいます。
CGM(コンシューマー・ジェネレーテッド・メディア)ならぬ、
PGM(プロシューマージェネレーテッドメディア)作ろうとしているのです。

プロシューマーとは、プロデュースができるコンシューマー。
それを規定するために、フードアナリストという資格を作り、
自分たちで情報を発信できるようにして、
そのライセンスを取ることによってプライドを持って発信できる仕組みを作ろうとしています。

もともと、ビジネスモデルオタクなんです。
証券会社で、いろいろなビジネスモデルを見たり、提案したりする仕事をしてきました。
その中でも、これはさすがに話が大きすぎて、「自分にしかできない」と思い、自分でやることにしました。
このビジネスモデルには、世の中の仕組みが根本的に変わる可能性があると思っています。

日本の食文化を世界に発信して日本を変えたい

我々は、美食家やグルメではなく、“敬食”家。
口に入れるもの全てを敬っています。
食べるということは命をつないでいくことですから。

我々は、日本の食文化の継承、発展に寄与することを目指しています。
そこから、日本を変えていきたいのです。

今の日本は、ITも自動車も外国企業に押されている中、
食文化には世界に誇れるものがあると思います。
だから、それを発信できるメディアを作るために、
億単位の収入を捨て、私財を投げ打って取り組んでいます。

ベンチャー企業では一人一人が創業者

ベンチャー企業では、一人で企画も営業も経理も何でもやる必要があるので、
全員が経営者のような状態。
ベンチャーで働くということは、創業者になるようなものなのです。
こんなに早く短期間にビジネスの勉強ができる学校はありません。

ちなみに、スタンフォード大学では、
「優秀な人間はベンチャー企業で働く。
 もっと優秀な人間はコンサルティング会社で働く。
 もっとも優秀な人間は自ら起業する」
と言われています。

ベンチャーとは夢と希望と冒険の物語。
船が小さいので荒波にもまれますが、それによって強くなりますよ。

ただし、ベンチャーは大変です。
私は盆と正月しかまとまった休みはありません。
創業者はだいたいそんな暮らしです。
仕事とプライベートを両立して、家庭を大事にして、
というようなきれいごとで済む世界ではないのです。
自分でどんどん戦線拡大していかないといけないのですから。