代表者 千葉 智

代表者 千葉 智

設立 1968年6月1日
事業内容
    • 労働組合、市民団体を中心にした非営利団体をマーケットとした広報物の総合的な企画提案・制作活動
会社HP http://www.san-kou.co.jp/recruit/index.html

会社との偶然の出会い

小さい頃から読書が好きで、出版関係の仕事への就職を考えていました。
ところが、出版社の実態を聞く度に、思い描いていたものとは違う世界があることに気付き、
そのギャップからすぐに諦めてしまいました。

学生のころには、周囲に映画好きが多く、
映画に関する様々な知識を教えてもうことが度々ありました。
私は次第に映画制作に興味を持つようになり、
将来は映画制作の仕事をしよう、と夢を見るようになりました。

就職活動を始めた頃、私は中小企業への就職を志望し、
中小企業各社が合同で開催する会社説明会に参加しました。

ところが私は、当時リクルートスーツの存在すら知らず、
ラフなジャケット姿で会場に向かったのです。

説明会の会場に到着した時、
そのような自分に対し、他の参加者がきちんとネクタイを締めたスーツ姿だったことに衝撃を受け、
「これは絶対に失礼だ」と直感し、すぐ帰ろうと思ったくらいでした。

すると、たまたま私のそばに居合わせた合同説明会の事務局長から声をかけられました。
事情を話し、失礼だから帰宅する旨を伝えると、
「君のようなタイプでも大丈夫な社長がいる」と紹介されたのが、当社です。

新体制への改革に向けて

当社の前社長に、自分が将来映画を制作してみたいと話したところ、
「3年我慢したらうちで映像やらせてあげる」と嬉しいお言葉をいただきました。

事務局長には他の会社も見るよう勧められましたが、その日はすぐに帰宅しました。
嬉しいお言葉をかけてはいただいたものの、その場限りだと思っていましたが、
後日連絡をいただき、正式に入社しました。

入社2年目で、私はシナリオを書く仕事を任されました。
長らく夢見ていた仕事だったので、喜び勇んで仕事に取り掛かりました。
しかし当社の映像部門の独立に伴い、映像知識を持った専任の方を置くことになったため、
私は別の部署に異動となってしまったのです。

仕事にこだわりがあったため、当時の演出家の方達などと激しく議論したこともあり、
それが1つの要因となって別部署に異動ということもあったと思います。
自分もずいぶん頑固でしたが、「こうすべきだ」と思ったことは絶対に譲りませんでした。

入社3年目ぐらいの頃、
当時会社の幹部として仕事をしていた人たちが相次いで退職する事態に起きました。
目まぐるしく人が入れ替り、私のすぐ上が社長というように
これまでとは違う立場で仕事をすることが増えたのです。

私の前任の社長の交代期になったとき、
これまでの会社のやり方を変えるためには、
考え方の違う若い人間を社長にする必要があるという取締役会の意図の下、
私が新しく社長に就任しました。

きれいごとでは社員は定着しない

当時の当社は、ワークライフバランスが通用しない世界で、
全社員が深夜まで仕事をする日々が続いていました。
私も様々な業務を担当し、一人何役もこなすようになりました。

入社してくる後輩たちには、毎日夜遅くまで働かせるのは止めたいと思いながら、
せいぜい23時に後輩社員を帰宅させるのが精一杯という状態でした。

やがて40歳になり、私が社長に就任してからは、
業務改善や環境是正などの部分に本格的に着手するようになります。

特に意識しているのは、会社のことを偽ったり、変に飾るのをやめるということです。
当社では新卒採用を実施していますが、
中小企業であることや、残業が多いことなどもお伝えし、
入社後のミスマッチを極力なくすように心がけています。

聞こえのいい言葉を使って、社員を連れてくるのは簡単だと思います。
しかしそうではなく、飾らずにそのままの会社の実態を明かすことが、
採用活動には大事ではないかと自分は考えています。

会社に入る時には、どの社員も夢や希望を持っています。
そうした思いに応えるために、何事も包み隠さず公開しています。
社員が挑戦したい仕事や、叶えたい夢を成し遂げるためのステージを整備することが、
私の大きな使命だと考え取り組んでいます。

会社のビジョンより個人のビジョン

当社は宣伝や広告を事業としているため、
常に新しいことを考え続けなくてはならないと思っています。

自分を宣伝する「名刺」が平安時代からあったと言われています。
時代は流れてもコマーシャルという手法はいつの時代も存在しました。
これからも、宣伝広告は形を変えながら使われ続けていくでしょう。
そのため、宣伝や広告をどのように今の時代にフィットさせて活用するか、
ということが今後の課題です。

また、個人的な部分では、もともと映像を作りたいという思いを抱いていたので、
会社を引退したら映画を制作してみたいと考えています。

私は会社のビジョンよりも、個人が持つビジョンこそ意義があると思っています。
会社の未来を担うのは、これから入社してくる若い人たちです。
今は私が会社の代表ですが、社員の誰もが
「自分がもし社長だったらこうしたい」
という意見を膨らませて、
実現に向けて準備してほしいと思っています。

中小企業は、社長が変われば会社の色は大きく変わります。
前の社長がこうだったから、と考えるのではなく、
自分がいいと思うことをどんどん実現してください。

未来は自分でつくるもの

まず、会社説明会などに参加したとき、
もし社長に会う機会があれば、直接話を聴いてみるべきだと思います。

特に中小企業では、社長の考え方が会社の在り方に大きく影響してくるため、
社長の考え方と、自分の考え方が合えば、とても働きやすいのです。
どんな社長でも、自分と合う価値観とそうでない場合とで分かれてくるはずですので、
自分でどの部分を優先するのかを考慮した会社選びが必要だと思います。

また、学生時代が終わると、置かれた環境や通った学校ごとで、
自動的にカテゴリ分けされてしまい、スタート地点が違ってくるようになります。

しかし、それを悲観的に考えて、思い描いていた夢を諦めることはありません。
自分はいい大学じゃないからいい企業には入れない、と考えるのはナンセンスです。
自分の夢を小さくしたりする必要はどこにもありません。
未来は、誰にもわかりません。
だからこそ、自分で作っていけるものなのです。

最後になりますが、長い人生、一生懸命やっても上手くいかないことはたくさんあります。
ただ、どんなに悪条件でも、自分が持っている能力と可能性を信じてほしいと思います。
是非、様々なことにチャレンジしてください。