株式会社ヒューマン・プロジェクト 代表取締役会長CEO 宮本康永


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代表取締役会長CEO 宮本康永

代表取締役会長CEO 宮本康永

設立 1991年4月
事業内容
    • 経営コンサルタント
    • (美容室・理容室・エステサロン・ネイルサロン・サービス業界全般・その他ビジネスモデル構築)
    • 美容室フランチャイズ事業
会社HP http://www.human-project.jp/

社長になるのはあたりまえ

私の家系は全員経営者です。
幼い頃から社長になるのが当然という環境で育ちました。
物心ついた時には、
「社長になりなさい」
「トップに立ちなさい」
「人の上に立ちなさい」
と言われていましたので、常に社長になる事ばかりを考えていましたね。
長男なので、家業を継ぐという選択肢もありましたが、
自分自身で何かをしたいという思いの方が強かったと思います。

高校は商業高校に通いました。
これも私の将来の為の教育です。
普通科に行っても無駄だから、商業高校で学びなさいと母から言われました。
おかげで簿記の資格もとり、一連の商業関係を学ぶことができました。

とはいえ、もともと医者や弁護士に興味のあった私。
大学に通うものと思っていましたが、
次に母から出た衝撃の言葉は、
「これからの時代、男性の美容家になると良い」というものでした。
もちろん、私の頭に美容師なんて言葉はどこにも無く、興味もありませんでした。
しかし、母にすれば、当時の男性美容家たちが成功し、輝いている姿を見て、
我が子に手に職を、そして経営者になって成功してほしい。
という気持ちを持ったのでしょう。
私はわからないながらも、美容学校に通いました。

世の中の仕組みを知るために

卒業後は、上京し日本で一番有名なサロンに入り、美容家としての一歩を踏み出しました。
その後、24歳の時にフリーの美容家として活動を開始し、数々の美容室と契約します。
当時の美容業界にはフリーランスという立場の人はいませんでしたので、
とても重宝がられましたし、これはおもしろいビジネスになると感じましたね。
また、もともと医療分野に興味のあった私は、
美容と健康の原点である東洋医学の講師等も同時に行っていました。

しかし、今後独立をするためには、
もっともっと学ぶべき事があるのではないかと考え、
28歳を機に商事会社に入社しました。
美容業界しか知らない私は、井の中の蛙だったんですね・・・。
ここで、世の中の社会の仕組みを知ることになります。

その後、建設関連メーカーで、設計、デザイン等を学んだうえで、
1991年にヒューマン・プロジェクトを立ち上げました。
ちょうどバブルがはじけた直後でしたから、周りの人にも随分驚かれたものです。
無謀なのか、世間知らずなのかわかりませんが(笑)。
そこからが、いばらの道の始まり。そして、今20年以上の月日が経ちました。

出る杭を打たれても

起業にあたり、美容業界初、総合プロデュース業を開始。
設立以来、幅広いジャンルのサロンプロデュースを行ってきました。
また、美容室のフランチャイズをはじめ、
美容業界や異業種の経営コンサルタント事業等も行っています。

今でこそ、ここまでに至りましたが、
最初の10年間は、本当にきつかったですね。
美容業界の経験もあり、経歴も持っていた私ですが、壁は想像以上にありました。

出る杭は打たれるんです。
生意気、偉そうな事を言っていると非難されることも多々ありました。
でも、やるしかない。
誰に何を言われても、時に足下をすくわれようと、コツコツやるしかなかったのです。

それを乗り越えられた理由は、私の「ビッグマウス」です。
皆に「毎年、僕は必ず進化する!」と言い、
有言実行せざるをえない環境を作り続けてきました。
それが、自分の弱点をサポートし、辛くて辞めたい気持ちを消し去る手段でした。
本当の自分を知っているのは私だけ。
実は、小学生の頃は、笛の発表では手が震える子。
手を上げなさいと言われても、手を上げらない、自己表現ができない子だったんですよ。

それでも、幼い頃から「人の上に立て。立てる人間になれ。」と言われ続けた私。
そういう人になりたい欲求、モチベーションを持って生きてきたのです。
だからこそ私は、憧れの人、こうなりたい自分の「フェイク」を作り上げて生きてきました。

オンリーワンであるために

弊社の最大の強みは、「オンリーワン」のビジネスモデルです。
真似をするのではなく、生み出す力、それが絶大です。
さらに、そのビジネスモデルの中のコンプライアンスも
しっかりさせているのも強みとなっています。

このビジネスモデルを生みだし続けていくためには、
常にエンドユーザーの目線に立つことが重要です。
さらには、市場の常識・非常識に着目して、
エンドユーザーが想定していなかった事を生み出していくのも必要不可欠です。

実は、この考えに辿りつくには、一つのきっかけがありました。
人からある哲学者の話を聞いたんです。
「世の中の8割のことをひっくり返すと、成功する」と。
これは良かれと思って行動したうちの8割は、失敗しているはず。
それを、逆に捉えて行動すれば、成功するはずだということです。
ようは、世の中にあるうちの8割をひっくり返すという意味ですね。
この言葉が、今までの私の様々なアイデアのベースになっているのです。

今後のビジョン

日本は先進国の中でプロデューサーが一番少ないと言われています。
それは、日本のクリエーターは、海外に行ってしまうからです。
海外に行けば、自由もあり、応援してくれるスポンサーもいっぱいるんですね。
また、本来であれば生み出す力を持ち備えているのに、
「時間がない」「お金がない」「人脈がない」という環境であることから、
潰れていく人もたくさんいます。
それはとても残念なことですよね。
実際に、私自身もそういう部分での苦労をしてきました。

だからこそ、私は自由な発想ができる場所や組織を作り、
日本にない環境を創りあげ、様々な分野のプロデューサーを育てていきたいと考えています。

また、今後はクリエーターとしての発想、視点をもって、
様々な商品開発も手掛けていきたいですね。
それには、もっともっとプロモーョンを伸ばすことが必要です。
そして、そのためには、人脈・人財も必要となってきます。

これからも、「ヒューマン・プロジェクト」の社名の通り、
「人を企画する」
この思いをベースに、この会社がその人たちのためになるよう、進化し続けていきます。

大切なのは「感じられること」

プロデューサーとしての必要な条件。
それは「感じられる人」である事です。
その空気を感じ、分析する力がある人には向いていると思います。
また、一度会ったら忘れないような人物であることも重要です。
出会った時に何を感じ、そしてインパクトを与え、どう濃く生きるかが、
プロデューサーには課せられるのです。

坂本龍馬は次のことを無意識にバランスを取っていたといいます。
それは「大義」「利害関係」「情熱」です。
そのため、私は常に3つの法則を考え、発想しています。
それは、「お客様OK」「スタッフOK」「会社OK」です。
この3つのバランスに加え、さらに3つの含みを付加できれば完璧です。
それは、「なぜならば」という理由が3つ言えること。
一つの物事に、「なぜならば」が3つ伝えられた時、
相手の人に忘れられない程のインパクトを与えられるのです。

私は、よく人生を山手線に例えます。
大抵の人は、よし今度こそ!と思っても、外回りから内回りに乗り換えるだけ。
そこに中央線も、東海道線もあるのに、山手線内の同じ景色の中を走っているのです。
そこから外に出られるのは、自分の戦いに勝った人だけ。
最大の敵は自分です。
その戦いに勝った時にこそ、成功できるはずです。
ただし、その時に自分を見失わないためのアイテムを持つことも大切です。
社会的な地位を持つと、周りに持ち上げられ、時に自分を見失うこともあります。
そのためにも皆さんには、旧友や恩師、昔の自分を知ってくれている人と接し、
常に原点回帰できる場所を持ってほしいと思います。

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