代表取締役 米田 昌紀

代表取締役 米田 昌紀

設立 2009年4月7日
事業内容
    • プロパートナーズ事業(プロフェッショナルの紹介)
    • リクルーティング事業(人材紹介及びヘッドハンティング)
会社HP http://www.essence.ne.jp/

大学時代の喜びが、社会人スタートのきっかけ。

私の叔父が山口でカメラ店を30店舗展開する経営者だったことから、
その姿をみて、自分も将来起業をしたいと思い描いていました。

大学に進学したとき、将来起業をするうえで生かせるような、
ふつうの大学生がやっていないようなことをやってみたいと考えました。
しかし、当時はインターンシップのような制度はほとんどなかったため、

それほど年が離れておらず、若くして起業をしている経営者の下で
働くのがいいと考えていました。
まずは、そうした人々が集まりそうな場所に行こうと、
バーでアルバイトをすることにしました。

バーで働くうち、ある若い経営者と知り合うこととなり、
彼がやっていた絵画の販売やブティックを手伝うことになりました。
ふつうにしていたら立ち入れないような高級クラブにも
アルバイトを通じて出入りするようになり、とてもよい経験になりました。

また、バーのアルバイトを通じて、自分が新卒で入社することとなる人材会社の社長と出会い、
その会社が手がけるイベントや展示会のコンパニオンとして、
自分の大学の女子学生を紹介するようにもなりました。

広島の大学に通っていたので、東京とは違い
女子学生が華やかなところで活躍できるようなチャンスも乏しく、
そうしたつながりを取り持つことで、双方から感謝を受けることに喜びを覚えた私は、
人材紹介という仕事に対し、どんどん引き込まれていくこととなったのです。

こうした経験と、その会社が比較的小規模で、
あらゆる仕事を経験できそうだという考えから、入社を決意しました。

このままでは終わりたくない!2社目へ転職

1社目は、主にホテルや百貨店業界をクライアントとしていましたが、
それまでの経験から、ニーズはほかにも存在しているということを確信していました。
そこで、自ら新規開拓を推し進め、飲食業界やアパレル業界など、
それまで持っていなかった新たな顧客層を広げることに成功しました。

そうして社会人として3年ほど働いたとき、
一度広島から出てみたいという思いが強くなっていきました。

しかし、1社目は広島を中心に事業を展開する方針だったことと、
事業自体が単純な人材紹介の要素が強かったため、
大企業にも提案できる、ソリューション要素、
コンサルティング要素が強い仕事をやってみたいというもどかしさもありました。
このまま起業しても、広島県内のいち企業でしかなくなってしまうだろう、という気持ちでした。

そんなときに出会ったのが、後に入社することとなる2社目の社長でした。
社長は当時、他社で広島支店長として活躍しており、
取引先だったことから、非常に親しいお付き合いをさせていただいていました。

あるとき、彼からセールスプロモーションの分野で起業するという話を聞き、
私はその創業メンバーとして入社することとなりました。
こうして、単なる人材紹介会社から、店頭での販売促進を手掛けるアウトソーシング会社へと転職しました。

営業から経営者への転身…赤字続きの日々

尊敬する方とゼロからビジネスを立ち上げるという
大きなチャンスを手にしましたが、最初は本当に苦労の連続でした。

前職とはターゲット層もビジネスプランもまったく異なり、
知名度やノウハウも皆無だったことから、営業もうまくいかず、
自分の無力さを実感させられました。

苦しい日々が3ヶ月ほど続きましたが、
ようやくそれまでの営業活動が実を結び始め、
福岡で創業した会社も、名古屋や大阪に支店を持つようになり、
会社が成長していく過程を見ることができました。

20代のころは、30歳までに起業したいと漠然と考えていましたが、
30歳のとき、名古屋支店の責任者を任されることとなり、
会社も破竹の勢いで成長を続けていたことから、
本格的に自分の将来を考え始めたのは、2年後に東京の本社に戻ってからでした。

そのころには会社の人員も増え、会社としての組織構成も整ってきていたので、
35歳には独立しようと決心しました。
途中、リーマンショックという危機もありましたが、
2009年に無事、当社を創業しました。

創業期は思い描いていたビジネスモデルもうまくいかず、
営業から経営者に転身することの大変さを、身をもって体験しました。
社員それぞれに家族がいて、経営者である私はそれを守っていかなければならない。
最初からうまくいくとは思っていませんでしたが、毎月何百万と赤字が続き、
社員には本当に辛い思いをさせていました。

あるとき、現場の声を聞いているうち、
「このお客様のニーズは、あの会社なら解決できるんじゃないか」
「あの営業マンならしっかりしてるし、うちの会社のこういうところを任せたい」
という意見が多いことがわかりました。

これまで、個人と会社を結びつける人材ビジネスをずっとやってきましたが、
企業同士を結びつけるサービスはやっていなかった、そこでもう一度原点に返り、
こうしたシンプルなマッチングサービスを始めてみようと思い立ちました。

社員との話し合いが会社を大きく変えていく

会社が変わり始めた大きなきっかけとして、
営業全般を支えるナンバー2の存在があります。

会社として必要なことをやりきる意志の強さ、
どんなことにも手を抜かないまじめさは人一倍で、
さらには経営者としてのビジネスの知見も兼ね備えたマルチパーソンです。

当社の理念は、彼と徹底的に討論しあい、作り上げたものです。
雇用形態や上下関係にとらわれず、個人が輝くためには
どうしたらいいのか、ということを毎日のように話し合いました。

こうした話し合いが、新しい仕事文化を作る、というキーワードになり、
事業として価値あるものを提供できる市場や、仕事、個人とは何かを考えます。
最近ではIT業界のプロとして、エンジニアや開発者の派遣に注力しています。

当社が大切にしている「クレド(信条)」も、話し合いの中で生まれました。
情熱的で、素直さをもち、誠実であることなど、
人の気質に関わるようなことばかりを定めたものになっています。
そうした気質が備わった方と一緒に働きたいので、
社員を採用する上でも、この部分を重視しています。

1年前に3名だった従業員も、現在12名に増え、関西にも拠点を持っています。
この1年で会社全体が大きく変わり始めています。

当社が手がける、会社の顧問役のような、プロフェッショナル向けの
人材サービスは、大手人材企業も参入し始めており、
そうした市場で戦っていくため、知恵と行動力と「パッション」をもって
やっていく、という覚悟でいます。

できるビジネスマンなら、「ナナサン」で。

今後のビジョンとしては、経験豊富なシニア層に
協力してもらいたいという企業がどんどん増えています。
特に、新規事業のプロに参画してほしいというニーズが非常に高いです。
ただ、新規事業といっても、マーケティング、料金戦略など、
分類は細かく分かれているので、当社のソリューションを
どこまで細かくカテゴリ化できるか、というところが今後の課題になってきます。

当社では、「ナナサン」と呼ばれる兼業ワークシフトが
今後の働き方になってくると考えています。
「ナナサン」とは、本業に7割くらいの重きを置きつつも、
社外での事業も3割程度関わりを持つ、という働き方のことです。

現在、多くの企業では、会社が副業や兼業を禁じています。
優秀なビジネスマンには、転職や独立という選択肢がありますが、
私たちは、第4の柱として、この「ナナサン」を提唱したいのです。

本業の終了後、週に1,2回は他社の事業に自分の知恵を貸し、
新しいことに挑戦していくというスタイルは、
会社を辞めずともまったく異なる分野での仕事を経験できるという
すばらしい働き方だと考えています。

こうした新しい取り組みも視野に入れながらも、
既存の事業もしっかり収益を出していくという、
バランスをうまく取っていくことが、会社の今後を作っていくことになっていくと思います。

学生へのメッセージ

若いうちは、わからないことばかりだと思います。
しかし、わからないながらも、こんなことがしたい、こんな立場になりたい、
こんな領域で活躍したい、といった目標のようなものを、
おぼろげながらにも持っていてほしいと思います。

いくら現実を見せ付けられようとも、
そこであきらめてしまい、中途半端な社会人にならないために、
自分の「軸」を持つということが大切です。

おかれた環境や時代の変化に合わせ
自分の考えも変化させていかなければなりませんが、
そうした状況になったとき、いかに早く、正確に
自分の理想と現実のギャップを埋めていくか、ということを大切にしてほしいと思います。

やりたいことや目指すものは、蓄積された知識や人間関係に
影響を受けて変化していくことでしょう。
ただ、移りゆく中にも、共通した「キーワード」をもち、
一貫性のある動きをしていきましょう。