代表取締役社長 藤城 健作/代表取締役副社長 井手野 宏幸

代表取締役社長/代表取締役副社長
藤城 健作/井手野 宏幸

設立 2009年4月
事業内容
  • 不動産オーナー・入居者への
    コンサルティング・情報提供サービス
  • 相続コンサルティング
  • 不動産の賃貸管理
会社HP http://www.w-c.co.jp

「営業力」にこだわった男、「堅実」を選んだ男。

藤城社長(以下藤城):千葉県館山市という漁師町で生まれ、商売人が多い街で育ったためか、
何か成し遂げたいという思いを強く持っていました。
高校を卒業して地元を出るとき、手に職をつければ独立できると思い建築士になろうと考えていましたが、
学生時代のアルバイト先に建築事務所で働く人がいて、
建築士は仕事の成果に見合った給与がもらえない現実を耳にしていました。

どんなに質の高い建築物を作り上げても、それがいかに素晴らしいものでも、
お客様のニーズに合わなければ評価されず利益が生まれないというマーケティング原理を、
学生時代に知ることになったのです。
はからずも自分の進路選択の失敗によって。
進路を決める時には、市場が伸びている業界の方が起業しやすいのではないか?などと考えもしなかったのです。

しばらくして、若くして独立し成功する人が不動産業には一定数存在することに興味を持ち、就職を決意しました。
就職するときには、「どうせなら一番大変な営業がやりたい」と、
電話での営業で投資用不動産販売をするディベロッパーを選びました。

井手野副社長(以下井手野):藤城と同じく館山市という漁師町で生まれ育ちましたが、
藤城とは対極的でやりたいことは特になく、何となく上京しました。

当初は学生の延長のような地に足のつかない生活だったのですが、先のことも考えた結果、
父と同じ公務員になろうと思い直し自衛隊に入りました。
最初は現場での訓練や無線関係の業務もありましたが、上司に恵まれたこともあり、
色々な仕事を行う機会をいただきました。
その中で業務改善の提案を出すこともあったり、さらには人事も経験することができたのです。

ゴールが見える仕事を見切り、自分たちでスタート

藤城:わたしは営業としてトップクラスの成績を出し給与も多くもらっていましたが、
井手野は様々な業務改善を行っても公務員という毎月一定の給与が支給され、
定期的に昇給するという安定した職業だったため、
わたしのような成果報酬の仕事をすべきだと強く主張していました。

井手野:25歳くらいのとき、藤城と今後のキャリアについて話し合ったことがあります。
そのときのわたしは株式投資をやっていたこともあり、何かで一発逆転を狙えばいいと思うような節があったため、
藤城からはそこについても指摘されていました(笑)。
そこでわたしも会社経営についての本を読み、独学で勉強するようになりました。

一方、自衛隊には9年在籍し、最終的には司令部という中枢で仕事をするようになっていましたが、
途中で昇級の限界が見え、仕事をしていてもモチベーションが上がらなくなっていました。
そこで退職し、地元で人事で覚えたことをを活かした仕事をしようと、工場でのスタッフ管理を任されました。

藤城:ゴールの見える仕事など、面白くないと思います。
だから井手野が自衛隊に残るか悩んでいたとき、わたしは自衛隊を辞めることを勧めました。

その後、私は不動産会社から経営を学びたいと経営コンサルティング会社に転職し、
組織活性化を通じ様々な経営者と出会って学びました。
そして良い会社の作り方を自分なりに研究し、井手野を誘ったのが始まりです。

正反対のキャリアが生み出す相乗効果で急拡大

藤城:ふたりが社会人として築き上げたキャリアは、まさに正反対といえるものです。
わたしは営業や経営の知識を積み上げてきた一方で、
井手野は人事、労務管理、投資戦略といった分野のキャリアを形成していました。
お互いの今までの経験すべてが、今の会社に活かされています。

井手野:これが、ふたりが同じようなキャリアを積み重ねて強みも同じ者同士の起業だったなら、
関係に序列がついていたと思います。
設立当初は少し問題が発生したこともありましたが、
その度にその問題を即時処理で解決してきましたので、喧嘩はまったくしなくなりました。
友人同士で会社を興してもうまくいかない、という話をよく聞きますが、
それはお互い不満を蓄積させ、溜まりに溜まって爆発してしまうからだと思います。
わたしたちは普段から思ったことはきちんと口に出し、
お互いの言い分は尊重しながらも、相手の間違っている部分はきちんと指摘して、
改善させるということを意識しています。

藤城:大前提として互いに相手の得意分野を尊敬し合っているから、バランスが合うのだと思います。
あとは自分の仕事は責任をもって遂行し、相手が仕事で詰まっていたら自分もフォローする、ということを守っています。

井手野:わたしたちは、社内ではお互いを下の名前で呼び合い、敬語を使うことなく接しています。
また、二人の間に特に難しい約束事は存在していません。

藤城:お互いがまったく違うキャリアを持っていることこそ互いの信頼感に繋がり、
それが当社の強みになっていることは間違いありませんね。

成し遂げたいことは事業を通じた「町おこし」

藤城:これから成し遂げたいことは、不動産を通じた町おこしです。
具体的には居住者の一時的な移住に伴って空き家となっているような物件を、
第三者に貸し出すビジネスを町おこしに取り入れていくのです。
当社の管理オーナーにシニア世代は多く、田舎暮らしにとても興味を抱いています。
そういう方々に住居の手配や農業・飲食業のスタートの支援など、
田舎暮らしを全面的にバックアップしていく体制を整えていく予定です。
数箇所の田舎を持つ、そんなノマドライフを実現させたいシニアの方も増えると思います。

井手野:私も藤城と同意見で、不動産を使った町おこしを検討していますが、
私は行政が町おこしに対しきちんと助成金を出し、人を集めて活性化させることが大切だと感じています。
何か町おこしをやりたいと考えても、民間1社ではどうしても資金不足に陥りがちです。
そこを行政に補完を求め、中途半端に終わらせない町おこしをやっていきたいです。

また、将来的にはそこで培ったノウハウを生かし、経営者を育成するための教育機関を立ち上げ、
経営者を育成していきたいと考えています。
世界と対等に戦えるような人材を増やしていくことが、日本の未来につながっていくはずです。

会社の方向性も社会貢献につなげたい

藤城:会社の今後の方向性としては、先ほど述べた町おこし以外にも当社の顧客が持つあらゆるニーズに対し、
総合的なワンストップサービスを提供していける組織作りをし、コングロマリット化を進めていきたいと考えています。
顧客を取り巻くすべての課題を自社・取引先で解決していくことが理想です。
そのための付帯サービスとなる新規事業を立ち上げを次々と考えています。
ただ、世間の一時的なバブルには乗らず、自分たちが業務を通じて本当に必要だと感じた事業を厳選して、
始めていく方針です。

また、わたしたちがビジネスとしている「住」という部分をより突き詰め、
人口が減少している日本に、外国からの移住者が増えるようなビジネスモデルを考えたいと思います。
わたしたちのビジネスは入居者がいてはじめて成り立つため、
人口減少は死活問題ですので、日本への移住者を増やすことが私たちも国にとっても良いことだと思います。
最終的には日本に移住してもらった外国人に日本の不動産を投資対象にさせていきたいと考えています。

学生へのメッセージ

藤城:起業するなら、20代で始めることにこだわってください。
覚悟が決まれば早ければ早いほうが良いと思います。
若いうちなら、寝ずにひたすら考えたり、動き続けたりすることができ、それによって深い答えを導き出すことができます。
反対に年を重ねてくるとできない・やらない理由を考えたり、既成概念にとらわれたりします。
何かアイデアがあるのなら、すぐにでも形にしたほうがよいでしょう。

井手野:迷ったらやった方がいいです。
30代で起業するとなると、20代に比べパワーも落ちるし、家庭を持っている場合もあるでしょう。
そのリスクを考えると、できれば20代前半で起業するのが一番望ましいです。
最悪失敗したとしても若いうちなら復活できます。
起業するなら、どん底まで落ちても必ず這い上がってみせるというくらいの心づもりが良いと思います。

藤城:サラリーマンでの失敗は、せいぜい上司にこっぴどく叱られるくらいで済んでしまうことが多い。
給料が下がることはあっても、まるまる1か月分無くなってしまうことはまずありえません。
わざわざ望む必要はありませんが、給料がまったく無いくらいの経験を若いうちにしておけば、
必死になって画期的なサービスやソリューションが作れるようになります。
先入観や既成概念にとらわれない画期的な発想に比例し、事業は大きくなっていきます。
画期的なサービスやソリューションが作りたいなら、まず起業し必死になれる環境を作った上で、
考えてみれば良いと思います。
それで失敗してもそこからもう一度立ち上がればいいのです。