株式会社スタッフアルファコミュニケーション 代表取締役 松山 洋介


LINEで送る
Pocket

代表取締役 松山 洋介

設立 平成6年9月21日
事業内容
  • 商業施設プロモーション
  • セレモニー・コンベンション演出
  • セールスプロモーション
  • ブライダルプロデュース
  • ネイルアート事業
会社HP http://www.staff-alpha.co.jp/index.html

“音楽の道”に憧れた学生時代

学生時代に抱いていた想いは、音楽でご飯を食べていくことでした。
なので、学校でも音楽を学んでましたし、
クラシック音楽をはじめ、ジャズバンドをやったり、
とにかく音楽の楽しさにのめり込んでいましたね。

大学は、音大に進みたいと考えていましたが、
親からの条件で受験できるのは国立大学のみ。

この条件を突きつけられた時は本当に悩みました。
結果的に音大受験はあきらめることにしたのですが、
人生を振り返ってもかなり大きな挫折のひとつでしたね。

こうして普通の国立大学を受験することにしましたが、失敗。
さらに、一年浪人しましたが、また失敗。

今考えると2回も失敗した理由は明らかで、
受験勉強の間も頭の中はどうしても音楽のことばかりだったんです。ほんとに。

こうして2年目の浪人をすることになったんですが、
浪人を2年する考え方が変わってきて、
「こんなに音楽のことが頭から離れないなら、やっぱり音楽の学校に進もう」と
考えるようになったんです。

そう考えるようになった僕は、
ギリギリになって入試の試験をボイコット。

気づいたら僕がペンを走らせていたのは入試問題ではなく、
音楽の専門学校の願書でした。

家族には相当あきれられました。
「何のための二年間の浪人生活だったのか・・・」と。
まぁ当然です。ですから、家にお金を入れることにしました。

朝・昼はアルバイトをして専門学校は夜間に通い、
さらに学校が終わった後は夜中のバイトをする学生生活となったのです。

とにかく実直でかっこ悪い生き方を目指した

それから、相変わらず音楽にのめり込む日々。
そんな時、友人から音楽関係のアルバイトを依頼され、
仲間を誘ってビアガーデンで演奏してひと夏を過ごしました。

その頃はちょうど、
将来はどう食べていくか漠然と考えていたころだったんですが、
その時、ふと気づきました。

「音楽って自分でやるよりも、他人にやらせる方が儲かるんだな」と。

そうひらめいた私は、学生ながら会社を興すことにしました。

まぁ会社と言っても、
まだ学生でしたから《会社ごっこ》と言うのが正しいですかね。

私がひらめいた事業内容は、ライブハウスにバンドを呼び込むというもの。
まずは地元のライブハウスを一軒一軒まわり、
まだまだ活気が無かったライブハウスに、
「お店にもっとバンドを呼んで、お客様を入れませんか?」
と営業して回りました。

これがうまくいき、成果が出て、評判になり、
たくさんのライブハウスから問い合わせを受けるまでになりました。
結果、結構儲かりましたよ。学生が手にするには、十分すぎるお金でしたね。

しかし、この《会社ごっこ》は、二年で敢え無く終わりを迎えます。
商売をやっている大人たちがこのビジネスモデルに気づき始め、
学生の私たちは徐々に勝てなくなったのです。

こうして一緒に働いていたメンバーが徐々に減っていき、
最終的に残ったのは借金だけでした。

当時、23歳。同級生の大卒の友達が、サラリーマンとして働き始めた頃です。

そんな彼らに比べて、私は借金を抱え、土木建築系のアルバイトをやっており、
自分の姿は実に人生に出遅れたカッコ悪い有様でした。
でも、不思議と私には「いつか必ず成功する」、その自信がありました。

だから、この実直さとカッコ悪さは将来、
私の逸話になると心の余裕すら抱いていたんですよ。

サラリーマン時代

24歳の時、結婚を考えました。
でも、このままのフリーター生活では結婚するわけにはいかない。

そこで、安定した収入を求めて、六本木のとある企業に就職しました。
私はそこで、イベントの演出の仕事に配属。この仕事は私の性に合いました。
なぜなら、色々な仕掛けを組み合わせて、
ひとつのシーンを作り上げていくイベント演出の過程が、
専攻していた音楽の編曲と似ていたからです。

こうして、無事サラリーマンになった私は1年後に結婚をし、
そして私がこの会社に入社して心に決めたことは、
「2度と冒険はしない。」ということでした。

独立なんてさらさらする気がなかったですし、
定年で退職するまでに、部長くらいになれてたらいいかなぁくらいの思いです。

しかし7年程たった頃でした。
会社と先輩社員の方のとある揉め事に巻き込まれることに。

結果、私は自宅謹慎処分を受けることとなります。

この時に抱いた私の気持ちは、
「この会社での出世の道が閉ざされた」というもの。

こう思った私は、7年間抱いていた「2度と冒険しない。」という気持ちをすて、
いざ、独立という形になったのです。

再び起業

そして、31歳で再び起業。この時に当社を立ち上げました。
しかし、サラリーマン時代と比べて仕事が少なく、事務所も間借り。
資本金も半年ほどで底をつき、赤字が続きました。

この結果は今思えば当たり前ですよね、
仕事をもらえるのは、会社の信頼があってこそ。

それなのに、何の後ろ盾もなく起業した訳ですから。
しかし、私と一緒に起業した後輩との2人分の給料さえ
まかなえれば良かったので、気は楽でした。

当時、欠かさなかったことはその後輩と酒を飲んで夢を語ること。

起業した時に使っていた事務所のデスクは、今でも大事に残してあります。

しかし、そんな我々の気楽なスタンスが、
時間の経過と共に他のベンチャー企業と比べて
見劣りするような気がしてきました。

そんな時、他社を辞めて当社に来てくれた社員がいたのです。

これまで、会社を辞めてまで当社に来てくれる人なんていませんでしたから、
当社もそれなりの会社になったのかと思うと嬉しかったですね。

会社の転換点

ある時、とある経営者の成功から失敗までの
ストーリーを書いた本に出会いました。

私は彼に興味を持ち、色々調べたところ、
その後の彼についてまとめたDVDを見つけました。

それからも興味が尽きず、他の経営者のDVDも見ていくと、
それら若き経営者たちは実に楽しんで自分の組織を
急成長させているということに気付いたのです。

社長業に興味の薄かった自分に、何か別のスイッチが入りました。
同時に、私にもこんな工夫で会社を
他にない個性的な集団にしてみようと思い立ちました。

これは、それまで私をはじめ、個人のスキルを武器に仕事をしてきた当社が、
仕組みで勝てるように変わっていく転換点でした。

私は企画会社の人間ですから、
考え始めるとどんどんイメージが膨らんでいきます。

それから、他の10倍の時間をかけてみてもらえる暑中見舞いや年賀状、
当社の事例集を情報誌風にまとめた本の発行、
司会者のユニット化やイベントクルーの組織化など
たくさんのアイディアを形にし、
ビジネスのスタイルを作ってきました。

イベントというのは、受注産業です。
しかし、当社が目指すのはある意味での【イベントからの脱却】。
つまり、イベントは受注産業という考えを、
取っ払うことにしたのです。
イベントを世の中と違う売り方をすることを強化していくことにしたのです。

イメージは、店先で色々なイベントを並べて売って、
お客様が買いに来て下さるような形です。

現在、新規開拓のお客様には週1回、面白い企画書をお送り提案しています。
受け身ではなく、積極的に、
そしてイベントから派生するデザインや印刷物などにも
ビジネスの視野を広げていくことが大切だと考えています。

今は、”HIT便” というコンテンツビジネスを強化しています。
HIT便はHeartful Ideas for Targetの略で、
イベントというものからさらに派生させていくイメージで
ビジネス展開しております。

【HIT便】
http://www.staff-alpha.co.jp/hitbin.html

経営者を目指すみなさんへ

経営者になりたいと思う熱意や執念も大切ですが、
やはり学業がまず大切だと思います。

私自身は、起業して経理などで苦労しました。
そして、世界を俯瞰してみること。

例えば、この会社は業界何位なのか、その市場規模はどれくらいなのか、
このように具体的に知っていることが大切です。

今は、経済の基本的なことも知らない学生が多いように感じます。
そして、社会に対して、
自分の会社のどんなスキルが必要とされるのかも考えておくべきです。

自分の会社がどのように社会に貢献するのか、
会社の存在意義についても考えましょう。

一度も就職せずに会社を興す若者もいますが、
まずは少なくとも3年くらいは人に使われ、
色々な経験をしてから起業したほうが良い会社が作れると思いますよ。

私たちとともに、
“ファンづくりのプロフェッショナルになること”を
共に目指せるメンバーであれば、大歓迎しますよ!

LINEで送る
Pocket