株式会社アスタリスク 代表取締役 西 真


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代表取締役 西 真


代表取締役 西 真

 

 

設立 2005年12月2日
事業内容
  • システム・インテグレーション・サービス
    [大手SIerのお客様から依頼のあった
    システムを開発、及び構築するサービス]
  • HP,Webサイト構築サービス
    [お客様のニーズに応え、クオリィテイの高い
    デザインを提供するサービス]
  • MADE IN JAPANにこだわり、
    裏原系をコンセプトにした
    ドッグウェア【ULTIMATE NERVOUS】の
    企画・製造・販売、
    及びオンラインショップの運営
  • 合成用に特化した素材集【Photo Design】の
    オンラインショップの運営
会社HP http://www.aster-isk.co.jp/

ブティック・オーナーとして働く母の姿を見て育った、幼少時代。

生まれも育ちも九州の宮崎です。
中央地区に位置する西都市という片田舎で高校卒業まで暮らしました。

小学生の頃は剣道、中学では野球とスポーツ少年でした。
野球は高校一年生まで打ち込みましたが、母は常々私達三兄弟に“男なら東京で学びなさい”と進言し、
東京の大学を目指すべく受験勉強へと切り替えました。
そんな母も東京で学び、ビジネスを興した経営者だったので、
東京で学ぶ面白さを誰より分かっていたのだと思います。

今の私に大きく影響を与えたのは、そんな母の姿。
父は国家公務員でしたが、母が経営するブティックは凄ぶる繁盛し、忙しく、そして楽しげに働いていました。
ですから、私自身も必然的にアパレル関係へ進みたいと考え、就職活動もそれを軸に探していました。
そうして、縁のあった大手アパレル企業に、新卒として入社することになります。

アパレル企業でとにかく走り続けた11年間。

新卒で私が入社した会社は、当時は景気も良く業界でも名の知れたアパレル企業。
私の仕事は、百貨店担当の営業で、デパートなどでの売り上げ向上が私に課せられたノルマでした。

入社して1年が経過した頃からバブル崩壊のあおりを受け、
徐々に会社の景気は下降線をたどるようになって行きました。
しかし、実はそのような状況下でも、私の成績は24ヶ月連続で売り上げ目標を達成するなど、
社内でも優秀社員として表彰されることが数多くありました。

ただ会社の経営状態は、年を重ねるにつれ悪化の一途をたどるばかりでした。
当然給与は減額、賞与も渡らず、11年目の年収が入社3年目の頃より低くなってしまい、
ついに転職を余儀なくされました。

転職した商社系のアパレル企業の待遇は良かったものの、
「人」に対する価値観があまり合わず、1年経たずに離れることになります。
その時、私の妻が私に少し充電期間を持った方が良いのでは、と薦めてくれました。

ハローワークで初めて学んだパソコン教室と居酒屋通いの日々。

そうして始まった充電期間。
すでに33歳になっていた私は、
職安で“貴方の年齢だと、パソコンぐらい出来ないと就職は難しい”と言われ、
パソコン教室に通うことになります。
ハローワークが運営しているパソコン教室での初日の授業は、
なんとパソコンの“電源の入れ方”から始まりました。

私が学んだその講座は3ヶ月の基礎コースで、
エクセルやワード、パワーポイントの扱い方を中心に教わりました。
教室には私より随分年配者の方も多く、それでも一生懸命に勉強している姿を見るにつれ、
“若い自分はもっと頑張らなければ”という思いにかられました。
そのような刺激もあり、パソコン教室で知り合った老若男女の受講生の方とは、
貯金はほとんどなかったにもかかわらず、本当に毎晩毎夜飲み交わしていましたね(笑)。
ご縁とは不思議なもので、我が社の営業マネージャーは、その際に知り合った1番の飲み仲間です。

こうして妻のおかげで充電期間を過ごした私に、ある日同級生から声がかかりました。
ITのベンチャー企業を立ち上げたので、営業で来てくれというものでした。
私はその道を選び、同級生が立ち上げたベンチャー企業で仕事をすることになります。

営業成績ゼロから4年間。そして38歳で、独立。

同級生が立ち上げた企業が行っていたのは、システム・インテグレーション・サービスで、
私はその営業として入社しました。
初めの頃は異業界ならではの独特な言葉や文化にとまどい、
営業成績はなんと半年間ゼロ。日々ストレスとの葛藤でしたが、
先輩や仲間に教わりながら営業するうちに、売り込みのコツのようなものが身に付き、成績も上々に。

そして3年が経過した頃、
“自分でもチャレンジしてみたい”と考えるようになり、その1年後に独立を決意しました。
当時、常務取締役に就任しており、正社員の引き抜き等は当然NGでしたので、
会社の許可を得て、数人のフリーランサーのエンジニアに声をかけました。
するとその中の一人が、一緒に経営にも携わりたいと言ってきました。

私はどこまで本気なのかを知りたかったので、彼に“出資金100万用意できる?”と問いました。
すると彼は私の難題にもひるむことなく、大好きな愛車を売り払って100万を捻出して来たのです。
こうして資本金500万を元に(株)アスタリスクがスタートしました。

彼に続きフリーランスのエンジニアも6名参加してくれたことで、
約10ヶ月で7000万円の売り上げを実現し、以来このSI事業は順調に成長しています。

犬恐怖症の妻が生み出した、小型犬のためのアパレル事業。

アルティメットナーバスは、公園で遊べる自由で楽しいドッグウェアを提案します!

さて、SI事業の他に当社が手掛けている事業のお話しもさせて頂きます。

きっかけは私の兄が海外旅行するにあたり、彼の愛犬を預かったことでした。
幼少時代に犬に噛まれたことのある妻は、その記憶から最初は兄の子犬をすごく怖がっていました。
それでも止む無く餌を与えたり、恐る恐る遊んであげたりしているうちに、
その可愛らしさに心を奪われていったのです。
兄が帰国し、無事に愛犬を返した後、妻は私をペットショップに引っ張っていき、
お目当ての子犬を指さし、「あの子、超~可愛くない?」と言うのです。
こうして愛犬ヒョ~ドルを飼い始めて知ったことが、番犬と室内犬の違いでした。

小さく改良された室内犬は、寒さが苦手で、夏のアスファルトの照り返しも危険です。
そのために服を着せてあげる必要性を知りました。
それから直ぐにショップを探し回ったのですが、私たちが気に入るウェアは見当たりませんでした。

であればと、妻が得意の手芸でヒョ~ドルのウエアを製作しました。
するとこれが行きつけのペットショップの常連さんたちの目に掛かり、製作のオファーが殺到。
10頭ほどの多種多様なワンコにサービスで作ってあげたことが、この事業のきっかけとなりました。
それからというもの当社のドッグウェアは全国規模の人気商品として、
数々の雑誌等にも取り上げられています。また現在は、海外への進出も思案中です。
ITのお客様からは、この異業種との取り組みにとても興味を抱いて頂けているようです。
本当に人生は何が起こるかわらからないものです。
※ULTMATE NERVOUS http://www.ultimatenervous.com

創造することの楽しさを共有しませんか?

私の企業理念には“会社を大きくする”という概念は含まれていません。
大きくというよりむしろ抽象的ではありますが、“強い組織”を目指しています。
そして、なによりも“働くことが楽しめる会社”でありたいと願っています。

既存の製品を売ることよりも、自分達で作り上げたサービスや商品を世に送り出し、
それらを手にしたお客様に、感動を与えられるような仕事を最大のヤリガイに感じています。
現在はアイフォンアプリを開発したり、新たな取り組みにも挑戦しています。
貴方もぜひ一緒に楽しんでみませんか?

私がこれから訪ねてくる若い人たちに望むことは、“やる気”だけですね。
夢や自分の思いを叶えるためには、まずは強い気持ちが絶対必要不可欠だと思います。
失敗してもいいじゃないですか。また立ち上がればいいじゃないですか。
若いのですから、何度でもやり直せるのです。全てが経験という財産になるのです。

なにも恐れることはありません、前を向いてポジティブに生きようじゃありませんか!!

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