代表取締役 中尾 誠一

株式会社ダイレクトバンクス 代表取締役 中尾 誠一

代表取締役 中尾 誠一

株式会社ダイレクトバンクス
設立 2005年
事業内容
  • サンプリングやFaceBookでのサービス事業
  • セールスプロモーションの企画・製作・実施・運営
  • webプロモーションの企画・製作・運営
  • フィールドプロモーションの企画・製作・実施・運営
会社HP http://www.directvanqex.com/


「後世に残る会社」とは

当社が企業理念として取り組んでいるのが、「後世に残る会社創り」で、
このためにすべきこととして挙げているのは3点。

・お客様に喜んでいただくこと
・社会に必要とされること
・そこで働く社員が成長できること

これらを達成していくことで、長く存続する会社になると思っています。

「後世に残す」という理念は、私自身が生きてきた道と深く関わっています。
私は中学までしか出ていないため、10代の頃にはコンプレックスを
感じながら過ごしていました。
「アメリカンドリーム」という言葉を聞いて、裸一貫でも様々な可能性がある
アメリカに行きたいとまで考えたほどでした。

「世の中は学歴じゃない」などと言う人もいましたが、
私自身は成功もしていないし、結果も出していなかったので、
「俺がそれを言っちゃダメだ」と思っていました。
だから、学歴じゃないと言えるためには、結果を出さないといけない。
じゃあ、その「結果」とは何だろう?

そういったことを色々と考え、たどりついたのが、会社を長く続けていくこと。
いくら儲かっていても、それが瞬間的ではいけないのです。
会社が長く続くことが、自分は成功したと言えることだと思っています。

中途半端に過ごしていた10代半ば

私は中学を卒業して、すぐに就職をしました。
高校に進学する気がなかったわけではありませんが、
なんとなく成り行きで、そうなってしまったという感じです。

就職したのは製菓工場。
お菓子作りの職人で今で言うパティシェ、その見習いをしました。
製菓工場に決めた理由は、日曜休みだったから。
それだけです(笑)。
当時の中学求人というと、工場勤務か調理師くらいで、
調理師の多くは水曜休みだったんですね。
工場は日曜休みで、友だちとも遊べるし、と。

その工場では、世の中の仕組みも分からないまま、
2年ほど働きました。
何も分かっていないから、残業代が出ないサービス残業はイヤだと言って
いつも定時で帰っていました。
「技術を身につけたいなら、たとえ残業代が出なくても
仕事が終わってからの時間で修業しないと」などと
先輩からは言われていましたが、
サービス残業なんてしたくないと思っていたんです。

とにかく中学の頃から、「努力・根性・忍耐」という3つの言葉が、
大嫌いだったんです(笑)。
だから何もかも中途半端で、勉強やスポーツでは「超一流の落ちこぼれ」だと、
自分では思っていましたね。

世の中のことを学び、社長になりたいと思い始める

製菓工場の後はフリーターをしていました。
カフェレストランやコーヒー専門店、ホテルの結婚式や宴会に
派遣される配膳の仕事、またバーテンダーの仕事など様々な仕事をしました。
そのよう仕事をこなしていくうちに、徐々に気持ちも変わってきました。

特に17歳くらいの時に、アルバイト先の店長から言われたことが、
働き方を変えるきっかけになりました。
それは、「自分が経営者だと思って仕事をしてみろ」という言葉。
経営者目線になって、採算が合っているかどうかを見ろ、と。
それで考えてみたら、これではいけないと気付いたんです。
自分の出来が悪かったら、その2倍働いてでも
きちんと帳尻を合わせるべきなのだと痛感しました。

19歳くらいの頃には、「この先どうなるんだろう」などと考えるようになりました。
飲食の仕事をしていると、たいていは自分のお店を持つことを
目標にするものです。
しかし自己資金でお店を出すとしたら、カウンター程度のお店という
イメージしか出てきません。
しかも自分でお店を持ったら、365日そこにいなければいけない。
それじゃ面白くない、そう思ったんです。
だったら、飲食店を経営するのがいいと考え、漠然とですが、
社長になりたいという目標ができました。

経営者目線で働くことで、様々なことを吸収

その頃は、お店を任されるようになっていましたが、
経営者になりたいという気持ちがあると、
損益計算書などを、しっかりと見るようになってきます。
そこで経費や変動費といったものが分かってきたり、
売り上げに対する利益や損益分岐点などの関係も見えてきて、
これは面白いと思いましたね。

その会社は飲食事業の他に、ゲームセンターなどの
アミューズメント事業もやっていたので、ある日突然、
ゲームセンターの方に異動になりました。
飲食とは全く違うので嫌々ながら移ったのですが、
その職場の損益計算書を見た時に、気持ちが変わります。

損益計算書の仕入れの部分が、飲食の時にはお酒などだったのが、
ゲームセンターではUFOキャッチャーの「ぬいぐるみ」。
しかしそれは仕入れの品が変わっただけで、経営という観点では一緒。
その時に、「俺は何でも出来る」と感じました。
損益計算書をしっかりとマネージメントできたら何でもできる、
これはものすごいプラスだと分かったのです。

勤務先の倒産がきっかけで、友人と一緒に起業

そのゲームセンターのマネージメントを1年ほどやり、
赤字だった店を黒字に転換することに成功。
ただ、会社の他事業部が不振にあえぎ、
結果的に店舗を閉めることになってしまいました。
その後、会社自体の経営不振が響き、
最終的に倒産をしてしまったのです。

その倒産をきっかけに、
友人と起業することに決めました。

その友人と会社の事業内容をどうするか考えた結果、
新聞をとっていない若年層をターゲットにしようというアイデアで、
知り合いの広告代理店と組み
連合チラシのポスティング版を行うことで決定。

それじゃ経営の方は俺に任しとけ、ということで、
24歳の時に会社を始めることになったのです。

ポスティングに関しては、在籍しているスタッフが約50人で、
1日に30人ほどが働いています。
また、その他に登録制のキャンペーンスタッフもいて、
仕事があったら来てもらうという形でやっています。

現在、東京の拠点においては、サンプリングと
フェイスブックまわりのサービスを提供すること、
これらに絞り込んで事業展開を行っています。

学生へのメッセージ

「情報に惑わされず、まず実際にやってみてほしい」
これが今の若い人に言いたいことです。

そのためには、まずは実行することが大切です。
自分で行動することで、しっかりと体感しなければいけません。
本やメディアなどで見たことが、実際には全く違っているなどというのは、
よくあることなので、まずは行動を起こすことです。
そして最後まで諦めずにやること。
成功するまでやり続けるという情熱を持ちましょう。

私は、情熱的にやれば何でも乗り切ることができると思っています。
そのためには、物事の本質をしっかりと見抜き、自分の目指すものを見据える、
そこに情熱を持って行動していくことが大切なのです。