代表取締役社長 村瀬 茂高

WILLER TRAVEL株式会社 代表取締役社長 村瀬 茂高

代表取締役社長 村瀬 茂高

WILLER TRAVEL株式会社
設立 1994年5月24日
事業内容
  • インターネット上で高速バス、高速ツアーバス、乗合バス、旅客船、鉄道、飛行機などの交通手段とホテル、観光施設が予約ができる移動ポータルサイトの企画・運営
  • 高速バス、旅客船事業者向け基幹システムの開発と、そのレンタル事業
会社HP http://travel.willer.co.jp/

幼いころから「仲間」が好き。

幼稚園の頃は、自転車暴走族(笑)。もちろん先頭です。
やんちゃで、よく近所のおばさんに怒られていました。
小学校の時は野球少年、中学からはテニス少年。
高校時代は名古屋のスポーツ特待生が集まる学校に通い、土日も関係なく、朝から晩までテニスに没頭していましたね。

思い返せば、自転車で走り回っていた幼稚園時代からずっと、「仲間」や「チーム」のつながりが好きでした。
大学を選ぶ際に、テニスで入るかどうかと考えた時、
「このまま頑張っても日本一にはなれない。それなら違う事をやるのもいいか」
と、あっさりとやめてしまいました。

代わりに何に没頭したかというと、サークル活動。
街頭に立って旅行会社のパンフレットを配ると、
添乗員としてツアーに同行することができ、少しのバイト代も出るというものでした。
夏休みは与論島や沖縄などのツアーに添乗してテニスのコーチ、
冬は雪山でスキーのインストラクター。
楽しかったのですが、報酬は雀の涙程度。それで、2回生の時に、
「自分達で一からやろうよ!」
と提案。一声掛けたら、100人くらいいたサークルのメンバーの、ほぼ全員が付いてきました(笑)。
早速事務所を借りてツアーを組み、宿泊先のホテルを決め、バス会社と交渉。
パンフレット制作は実家が印刷会社のメンバーに頼みました。
その結果、初回から結構な売り上げを出して成功。
そのまま2回生、3回生と続け、4回生の時に、これを会社組織にしたいという人が現れたので、
スポンサーになってもらって法人化することとなりました。

サークル活動がそのまま就職に。

その会社は、サークルの卒業生が一部そのまま就職し、
スキューバダイビングやスキーなどスポーツ系を中心とした旅行会社となりました。

会社ができてから4~5年たった頃、私の提案で大阪に営業所をつくったのですが、蓋を開けてみると業績が良くない。
提案した責任をとるために大阪へ異動になりました。

「みんなは、本当はどんな事がしたい?」
と聞いていくと、
「こんなことしたい」「あんなことしたい」
と、いろいろ意見が出てくる。
「じゃあ、意見が通るように本社に言っておくから、一緒にやろうよ!」
と、苦楽を共に協働していったら、売り上げ2億5000万が8億に、そのまた翌年には13億に…と、うなぎ登りに。
一時は大阪営業所を畳む話しも出た程ですから、あまりの勢いに周りは驚いていました。
そんな中、私の考え方が社長に正しく伝わってなく、
会社の方針と私のやりたいことに違いが出てきたので、あっさりと退社しました。

今思うと、一人で先行しすぎて社内報告がスムーズにできていなかったかなとも思いますが…やはり若かったのですね(笑)。
私は熱い思いを持っているわりには、あまり物事に執着しないほうです。
テニスも、会社もそうでした。現在の会社のやり方や「社長」という肩書きに対しても、そうです。
ゼロから始めるのが好きなので、よい機会だと思って、新しいスタートを切りました。
生まれ持った超人的なポジティブさのおかげか、固執はしませんでしたね。

起業、そして経営者の苦悩。

会社を辞めてから、「自分はいったい何がしたいのか?」「何ができるのか?」を考えてみました。
すると、結局やりたい事をやるためには、社長になるしかない、という結論に行き着きました。
「社長」になりたかったというわけではなく、「社長」になるしかない、という感じです。

そこで、ちょうど30歳で「(株)西日本ツアーズ」という旅行会社を起業。
社名の由来は色々ありますが、どんどん手を広げたくなる自分への戒めもありました(笑)。
西日本、とあえて区切ることで、調子に乗らないようにしていたんです(笑)。

最初の10年間で、スキーツアーとしてはほぼ日本一の集客数を誇るというところまで行きました。
世間からは順風満帆に見えたかも知れません。
しかし、創業10周年を目前にして、あまり落ち込まない性格の自分にしては珍しく、激しい自己嫌悪が襲ってきました。
長い間同じ事をやっていると、どうしても会社自体がお客様目線でなく、
業界の常識や、社員の経験から来る思い込みを重視するようになっていました。
取引先のホテルは、我々が安い価格設定で交渉する結果、儲からない。
旅行会社同士、競争しすぎて儲からない。その結果、肝心のお客様満足度もよくない。
それに気付いたとき、「何をやってるんだろう?」と。

会社を続けていけるだけの利益はあるけれど、誰も喜んでいないのです。
自分は10年間もやってきて、こんな事しかできなかったのか?
そんな自問自答を繰り返しました。

新生WILLER TRAVELの始動。

そこで、40歳の誕生日を迎えた日に、
「5年後には絶対に、自分が納得できる会社をつくろう!」
と決意。
翌日の朝礼で、突然、
「みなさん、昨日でウチの会社は潰れました。今日から新しい会社になります!」
と発表。
社名をWILLER TRAVEL株式会社と改名し、就業規則も肩書きも一から作り直しました。また、
「この会社を、日本を代表する会社にしたい人、集合!」
というフレーズのもと、新卒の社員を10名入れました。

それから、第一期成長戦略と称して、「かつてない価値観と価格訴求の同時実現」をめざして、
新しい移動スタイル「WILLER EXPRESS」の提案をおこない、
全国110都市を結ぶネットワークを5年間で構築したのです。

脳みそを、ちぎれるほど使いましょう。

第一期成長戦略から5年。毎年、新卒の社員を10名ずつ入れてきました。
大学を卒業したばかりの新入社員は、モチベーションが高く、発想が柔軟です。
わが社は、「よくそれだけ新たなサービスを提供できるね」と言われますが、
いかに「こんなものを待っていたんだよ!」と言われるような、面白くて斬新な物事を発案し、
実現できるかが、マーケティングにおいて真に求められている力だと思っています。
どういうことを社会の中に落としたら価値が生まれるか、構想できる人こそ、優秀な人材だと思うのです。
知識は努力すれば付いてくるので、発案の源泉であるフレッシュな人材教育に力を入れています。
ここ数年は、社員が辞めない状態が続いていますが、
「辞めない組織を作ろう!」と躍起になっているわけではないんです。
私は常に組織を活性化するためにも、人材は自由に流通すべきだと考えています。

現在、会社は第二期成長戦略を迎えています。
「脳みそを、ちぎれるほど使いましょう」
これが、社内の合言葉。
今後はステージを大きく変え、社内ベンチャーを立ち上げる予定です。
「簡単、便利、安心で、人生を豊かにするレジャーを創造する」
という創業当時からのミッションはそのままに、
「世界中の人の移動にイノベーションを起こす」
という目標を掲げています。
さらに、そのためにも、5年先のビジョンを共有できるよう、
社員ひとりひとりが明確な目標を遂行することを常に意識しているんです。
環境問題についても深く関わり、我々の成功が人々の笑顔であり、
私達の夢を叶えることが社会貢献につながるということをやっていきたいですね。