代表 長井 和子

株式会社アイム 代表 長井 和子

代表 長井 和子

株式会社アイム
設立 1989年4月12日
事業内容
  • 広告制作部門
    ・広告企画制作・CIの企画立案
  • 教育部門/アイムパーソナルカレッジ
    ・ライター養成 ・カウンセラー養成
  • 人材派遣部門/アイムクラブ
    ・事務 ・編集制作 ・フロント業務
会社HP http://www.im-ad.co.jp/

「結婚こそが女の幸せ」の時代だった

現在コピーライターの私が、「広告」と出会ったのは大学生のとき、
サークルの『広告研究会』に入ったのがきっかけでした。
当時は、東京でオリンピックが開催され、
万博が全盛期でしたから、華やかな広告が多かったんです。
その頃の広告は、まだデザイン先行の時代。
私は、広告研究会でも「デザイン部」に入って、ポスターを作っていました。
コピーライターが広告の企画から考えるのは、もっと後のことです。
だって、コピーといっても「なに?ゼロックス?」なんて言われていた頃でしたから(笑)。
でも、私はその広告研究会で、広告理論やコピーの持つパワーや面白さというのを学びました。
授業より、広告研究会のほうに一生懸命でしたね(笑)。
だから、本当は大学を卒業したら、広告の仕事がしたかったんです。
しかし、父は明治生まれの人間ですし、「結婚こそが女の幸せ」という時代でしたから、
夜遅くまで仕事をする広告業界なんてもってのほか。
結局、私は就職をする事もなく、大学を卒業して半年で結婚しました。

小さな自信を手にした私

実は私、就職をした事がないというのが、ずっとコンプレックスだったんです。
社会に出た事がない私が、一人前の大人として子供を育てる資格があるのか、と。
そこで25歳の時、何かしなくちゃイケナイと思って、武蔵野美術短期大学の通信教育を受けたんです。
通信教育というのは、ほとんどの人が途中で挫折して辞めていくんですね。
そんななか、私はなんと優等総代で卒業できたんです。
子育てしながらだったので、卒業まで6年掛かってしまったんですが、
逆にじっくり時間をかけたのが良かったんでしょう。
「私でも、やればできるんだ」と、はじめて手にした小さな自信でした。
そこで私は、「この自信を手に、外に出なくては」と、強く思うようになったんです。

でも、それからが大変で……。
私にとっては清水の舞台から飛び降りるつもりで、小さな広告代理店に勤めました。
10時から4時までの勤務……当時、保育は9時から5時までしか預かって
もらえなかったので……はっきり言って、こんな私って会社ではお荷物なんですよ。
だから、社内では無視されたりもしました。
でも、子供の具合が悪くなって、保育園からの連絡も教えてもらえないことがあり……
さすがにこれは「もうここにいちゃイケナイ」と思って、半年で辞めました。

ヒントは、林真理子さんの話にあった

ちょうどそのころ、大学の先輩に会って話をしていたら、
「コピーライターなら、紙と鉛筆があればできるよ」って言われて……
私、単純なので、広告の仕事ができれば、と思って、
コピーライターの養成講座へ入ったんです。32歳でした。

ところが、そこに通う生徒は、私とひと回りも違う子達ばかり。
私はまるで『浦島太郎』状態、 全然みんなの感覚に付いて行けないんです(笑)。
当時は、糸井重里さんや仲畑貴志さんらが「今はコピーが偉いんだ」って、
コピーが花開いた時代……コピーライターブームのまっただ中だったんです。
なのに私は、そんなことにも全然気付いていなくって(笑)……
クラスに通った半年間、私の作品は全く選ばれませんでした。

ところが、半年の一般コースを修了し、「ダメもと」で受けた
一番人気の専門コースに受かってしまって(笑)。
そこで、新人賞を獲ったばかりの林真理子さんが来てくれたとき、
みんなにこんな話をしてくれたんです。
「今の私は20万円の家賃を払えてるの、すごいでしょう?
でも、私もココにいた頃、すごい貧乏だった。
周りの若くて綺麗な子にはチャンスが降り注ぐのに、私には降ってこなかった。
だから、私はどんなに小さな『ゴミ』って言われる仕事でも受けたの。
そして私は、それらの作品を抱えて、プロダクションのドアを一軒一軒叩いて回ったわ。
人生、本当にやりたいことのためには一度くらいプライドを捨てる時があってもいいんじゃありません?」

チャンスの近くをウロウロしろ

この林真理子さんの話を聞いたとき、もし私が若かったら、
きっとこんな言葉は素通りしたと思うんです。
でも、当時の私は、クラス内で年齢をサバ読んでいたくらいですから(笑)。
そしてなにより、専業主婦から足を洗いたかった……。
当初は、家の事を夫や周りの人に「半年だけ」って条件で協力をお願いしてたんですけど、
無理言って延長してもらってましたから……主婦のワガママも、
これがラストチャンスと思ってました。
後ろは、もう崖だったんです。
お陰で、私はたったひとつ、最強の武器を手に入れる事ができたんです。
それは「プライドを捨てる事」。
たとえば、先生の事務所のオープニングパーティーに誘われてる若い子の横で、
「先生、私も行っていいですかー?」
なんて言えちゃうんですもの、怖いものなしです(笑)。
そういうパーティーに行くと、いろんな人に会えるんですよ。
もちろん、会えばすぐチャンスが巡って来る訳じゃないけれど、チャンスの近くには行けるんです。
本当は誰だって、自分を売り込むのは苦手だと思うんですよ。
でも私は、プライドを捨てたら、自分を売り込めるようになった。
そういうことの積み重ねで、私はフリーでも仕事を増やして来れたと思います。
そして、夢にまで見た「新人賞」の獲得が40歳のときです。子持ちの主婦が
学校に通って新人賞にたどり着いたのは、コピーライターズクラブでも
初めてのケースだったと思います(笑)。

これからは女性の時代

これからは、女性がいろんなことに積極的に関わっていかないと、と。
女性は、結婚して子供を持ったり、家庭を持ったりする……
でも、いざ仕事をしようとすると、両立が難しい。
まだまだ日本には、旧体制の企業がいっぱいなんですよ。
ふと見渡せば、私の周りでも子育てが一段落して、自分の人生を諦めたような
専業主婦がいっぱいいます。
私達の年代は、結婚や出産も早かったので、「40代で老後」
なんて言う人も多かったんです、もったいないでしょう?
それに、女性が自ら「足かせ」をしてる場合も、意外と多いんです。
たとえば、「夫は夜遊びするけど、妻は夜遊びをしてはイケナイ」とかね。
日本国憲法のどこにもそんなことは書いていないのに、思い込んでしまっているんです。
働くのに夫の許可がいるとか…。憲法には等しく「労働の権利」が保障されているのにね。
これから男性はもちろん、女性も『ワークライフバランス』を意識する事が大事だと思うんです。
間違っても「寿退社」なんか考えないでほしい。
私が、この「アイムパーソナルカレッジ」というビジネススクールを始めたのも、
本当の意味で女性自身が「働く目的」や「理想」を分かってほしかったからなんです。
これから社会に出る学生さん達は、是非そういう事を意識して欲しいです。
今、環境問題でも心の問題でも、「男性だけに任せておけない」
という風潮が出てきていますよね。
これからの日本を変えていけるのは、きっと女性パワーです。
それを実現するために、まず、行動を起こしてほしいですね。