代表取締役社長 熊谷 聡

トーヨービバレッジ株式会社 代表取締役社長 熊谷 聡

代表取締役社長 熊谷 聡

トーヨービバレッジ株式会社
設立 2006年6月2日
事業内容
  • 小売業向けのオリジナル飲料・食品の開発、製造、卸
  • 清涼飲料水、果汁、紅茶、日本茶、コーヒー
  • 乳製品全般、 加工食品全般、菓子、
    冷菓全般 の開発、製造、卸
会社HP http://www.toyobeverage.co.jp/index.html

「とりあえず・・・」な進路

実家が商売をやっていて、変な話、良い時も悪い時もあって、安定しないですよね。
学生時代から社長になろうと思っていたわけではなく、
むしろ「大学出たら、サラリーマンになろう!」と思っていました。

1984年、世の中がだんだん良くなっていく時期でしたが、
就職率が良かったわけでもありませんでした。
大学も、「とりあえず・・・」で農学部に入っていたのですが、
もともとアパレルとかカタカナ言葉大好きで、学生時代にも様々なバイトをしていました。
中でも、「マスコミっておいしい仕事だなあ」と思って受けてみたのですが、
もちろん狭き門なので落ちてしまって・・・。

そこで、大学の専攻分野から進みやすい食品業界へ。大学入学時と同じで、
「とりあえず」。有名なとこなら良いんじゃないかという感じで、漠然としていました。
説明会で「商品を生むんじゃない、文化を生むんだ。」という言葉に感銘を受け、
ミーハーな気持ちで大手に入社しました。きっかけはいい加減だったんですよね。
就職も、あまり真剣に考えていませんでした。

『地獄脱出計画!!』

1年目は、期待に目や鼻を膨らまして入社しましたが、現実は、いわゆるルートセールスで、
働きづめでした。勤務地も、綺麗な本社ではなく、支店です。一年目は、自分の失敗や
不在は先輩に迷惑をかけてしまうので、とにかく休めない。
そこで、「この状況から抜け出すにはどうすればいいですか?」と先輩に聞いたんですよ。
答えは、「新規のお客さんを獲得してくること」。

それからは、「一生このままなんて嫌だ。地獄脱出!」と思い、配達しながら営業をし、
当時100~200名いた同期のなかで新規開拓第一号、営業成績でも第一位になりました。
二年目は、さらに働き方を大きく変え始めました。これまで同様に商品を売るだけでなく
「こんなメニューやったらどうですか?」という話をしてみたり、メニュー表を作ってみたり・・・
カッコ良く表現するなら、コンサルティングに近い事を。

そうすると、お客さんに「これではおたくの商品を買えないです。」と言われることもありましたが、
それはそれでいいと思っていました。そのお店が繁盛したら、結果的に現在届けている
商品の注文も増えるだろうから。お客様からは「変わってるね。」といわれながらも、
この事で非常にかわいがってもらえました。
そして、三年目で、働き方を完全に変えることができ、自然と地獄から
抜け出すことに成功していました。

大企業で働くということ、マーケティングとの出会い

5年間、支店で働きました。本社からも声をかけてもらえたのですが、
営業成績が良かったため支店の上司が離してくれなかったんです。支店で出来ることには、
どうしても限界があったということに気が付き、「どうせやるなら、もっと大きくやりたい。
このままの器で終わりたくない。」という葛藤を抱えながら働いていたため、
結局、五年後に本社へ移りました。
そこは、いわば調整役のような部署で、今までの実務経験を活かし、
会社全体の仕組みの改革から教育をするようになりました。
そこでは、上司とそりが合わず、憤慨することもありました。なぜなら大きな会社で
改革をするには、どうしても「会社の方針」で、同じ社員という立場でも社員に対して、
人間としては正しくないような行動をとらなければならないこともあったからです。

そして、31歳の時、辞めようと思ったのですが、入社するとき、わけもわからず書いた
マーケティング希望という話が急遽持ち上がり、マーケティング部署へ異動になりました。
ここで、何もわからない状態から、実際にマーケティングを行いはじめるのですが、
そこでは「自分は、こんなに商品開発が好きだったのか」と感じるほど、楽しく働くことが
出来ました。まるで水を得た魚のように働きました。具体的には、昔は「作業をこなす」
という働き方でしたが、ここでは「自分で考えて仕事を創る」という働き方になりました。
その面白さから、自然と自分から10時~23時まで働きました。

コラボ商品の成功!~会社設立へ~

マーケティングの仕事は、とても楽しかったのですが、
事情により別の部署へ異動になりました。
1年くらいは腐ってましたね。でも、そのままじゃ、しょうがないし、
「商品開発の出来る営業としてひと花咲かせてやろうか」と思い、
影響力を持てるだけの営業成績や商品開発、改革をやりました。
しかし、それが越権行為として見られてしまって・・・問題に。自分は出来るという
自信もあったし、それが良いと思っていたんで悔しい想いをしました。
そこで、ちょうどヘッドハンティングを受けていた会社に移ることになりました。

新しい会社では、ゼロから始めなければならなかったのですが、
外注先の交渉から始めて、商品発売までこぎつけました。
この商品が、スペシャリティーコーヒーショップとのコラボレーション商品第一号として、
成功を収めたんです。そこで、製造ラインはなくても、商品開発力と良い外注先を
見つける力があれば、コラボレーション飲料の可能性は広がると確信しました。
早速、「これを生業にしたら面白いのでは?」と当時の会社の社長に提案したのですが、
事情があり、実現することが出来ませんでした。
「こんなに面白いネタがあるのに、なんで動かないんだ?ここは一発勝負してみよう。」
と思い、「コラボをテーマにした飲料メーカーを作る」というビジネスプランを立てました。
そして、当時から知り合いだった知人に、このビジネスプランを話すと、
ちょうど自社ブランドを持ちたいと考えていて、全てを私に任せてくれるという
話にまとまり、会社がを作ることになったんです。

これまで、節目を迎えると、サラリーマンである以上、上司の指示に
(たとえ、明らかに間違っていたとしても)従わなければならないという状況に対し
違和感を覚えていました。間違っているものは間違っていると、
反発してしまう性格だったので、腑に落ちないものを抱えながら仕事を
続けることが出来なかったんです。それなら、たとえ失敗したとしてもいっそ
自分の信じた道の方が後悔しないんじゃないかと思ったんです。

有名になりたいというよりは・・・~景気と戦う経営者!~

今後の方針として、会社の名前を有名にしたいというよりは、
お客さんが、「なんだろこれ、面白いな」と思って、購入して下さったとき、
商品の裏に自社のロゴが入っているというのが目標ですね。
良いなと思った商品の裏には「トーヨービバレッジ」と書いてあるというようなね。
価格競争だけで商品を作るつもりは全くないので、とにかく良い商品を届ける
ということを大切にしていきたいです。
その為には、情報収集力、マーケットの動きや中身を作れるような、もっともっと
新しい商品を開発できるようなスタッフの強化、いわゆる人とモノ、情報、
そして、そのためにはお金が必要ですしね。

自分の考えを持ってこられる人も必要だし、考えることができる人も必要だし、
やっぱり会社は人ですよね。
現在の景気でみると、環境は決して良いとはいえないけれど、物の流れが
全て止まってしまうわけではないですよね?良いものは評価されるし、
お客さんも買って下さるので、良いものを作っていけば、
厳しい世の中ではあるけれど、そう悲観的になることはないと思います。

社会に必要とされる人って?~学生たちへアドバイス~

一生懸命は当たり前。そこをアピールされたところで当たり前でしょ?と思いますね。
重要なのは「好感をもたれること」。面接だけに限らず、ね。顔のつくりとかも、
もちろん関係してくるでしょうけど、僕は「ギャップ」というのも一つの手だと思いますよ。
自分自身、丁寧に話す努力をしたり、言葉を選んだり、話す声のトーンとか、考えたりします。
そうすれば、それがギャップとなって「見た目は、あんなにいかついけど、喋ってみると
意外と面白いし、ちゃんと喋るよ。」という風に思ってもらえるかもしれない。

これから社会に出るのであれば、変えられるところは変えればいいし、
変えられないのなら、会話の中で相手に興味を持ってもらえたり、
引き込むことができるだけの頭を持つことが大事だと思います。

また、嫌なこともあるというのは、当たり前ですよね?でも、その中で出来るだけトップになること。
与えられたことをクリアしないで、次から次に自分探しをしてみても、転職するときに、
とても不利になりますよ。どんな状況でも自分が、「こうなりたい」という意思がなければ、
届くことはありませんからね。