代表取締役 栗原 知宏

チャンスラボ株式会社 代表取締役 栗原 知宏

チャンスラボ株式会社 代表取締役 栗原 知宏

チャンスラボ株式会社
設立 1982年
事業内容
  • システム開発事業
  • SOHO事業
会社HP http://www.chancelab.jp/

偶然飛び込んだソフト業界

今はシステム会社の代表をしておりますが、
学生時代はパソコンに全く興味がありませんでした。

何をしていたかと言うと・・・とにかく飲み歩いて遊んでましたね。
就職活動のときも何の目的意識もありませんでした。
就職活動しなけらばならない状況になって、やっと、
消去法で営業は嫌だし、事務職も・・・なんて感じで、職を探し始めました。
当時は比較的売り手市場で、たまたまソフト業界に入ることができました。
業界知識も何もない状態で入社したため、
特に理想と現実のギャップも感じることなく働くことができました。
知識が無い、真っ白な状態の良さを感じましたね。
このような感じで、平成3年に卒業して働きはじめたわけですが、
平成4年にバブルがはじけて、ソフト業界でのビジネスが難しくなってしまったのです。
そこで、グループ企業に出版社があり、その出版社に行くことになりました。
そこで1年半、そして、その後、経理として2年間働いていました。

多忙な管理部長、事業部長兼任時代

出版社からシステムエンジニアとして現在の会社に戻ってきたわけですが、
出版社で働いていた4年のブランクがあり、
エンジニアとして知識、経験が足りず、仕事をするのが非常に辛かったですね。

その後、4、5年エンジニアとして働くわけですが、
社員の増減、そして管理体制の見直しが必要とされる中、
管理部長に抜擢され、経理や業務フローの見直しを行うようになりました。
そんな折、会社で事業部制が導入されることになり、
会社で事業部長も兼任することに。
営業や社員教育もしながら、管理の仕事もしてという感じでしたので、
兼任は正直大変でしたね。
事業部長と管理部長の仕事のバランスで苦労してこなしながら、
今から5年くらい前役員になりました。そこで管理部長の仕事は引き継いで、
役員をしながら事業部の仕事もできるようになりました。
そして、役員から代表になるときがきたのです。

会社代表になることの重さ

前の代表は数社のグループ企業の代表を兼任してました。
それで、当社の事業のシステムなどは私が考えていました。
どういう形で利益を上げるか、注力するかについては私が社員に話しをしていました。
前代表もそこにはタッチしていなかったんです。よく喧嘩もしました。
「親会社としての発言なのか、うちの会社としての発言なのですか??」という具合に。
兼任をしているがゆえのかみ合わない部分が結構多かったのです。
それで私が代表になることで、
自分たちの会社だけのことを考えられるようになると考えていました。

しかし、これまで会社の事業システムについて考えてはいましたが、
社長ではなかったし、会社の方向性を決断するの最後の砦が自分になると思ったとき、
正直、ちょっと震えましたね。社員60人でも家族がいるわけですから、
家族を含めると100人以上の生活を抱えるわけですよね。
事業をやる、やらない、の決断についても、その抱えてる重さを感じた瞬間でしたね。

エンジニアの位置づけ、ビジネスモデルの変化

われわれの今までのビジネスモデルというのは、
もともとお客様先に行ってシステムを構築し、対価をもらうというモデルでした。
「技術者主体」で動く業界だったんです。

通常、お客様のニーズに合った技術者に業務を担当させるのですが、
必ずしもそういう状況ばかりというわけではありません。
お客様の要求が高かったり、技術者のスキル不足だったり・・・。
われわれは今まで、スキルがマッチしない場合でもスキルが見合った時と同じように
お客様に対価を求めてきました。それっておかしいですよね。
リーマンショック以降、お客様もわれわれもそれに気付き始めました。
不況であるが故の厳しさもありますが、色々考えさせたれた時期でした。
社員にも状況を説明しながら、共に耐え、そして共に成長していかなくてはと。

それでもなかなか、技術者主体という体制を変えることは困難を極めました。
業務とエンジニアのやりたいと、こちらとエンジニアが尊重しあって、折れ合って、
というのがうまくいかないといけないのです。
それを結ぶのはやはり信頼関係だと思います。

受身の業務から能動の業務へ

業務を行っていく中で、組織がピラミッド状になっていけば、
私の伝えたいことを認識して、
下まで伝えてもらえば確実に下まで伝わるわけですよね。
そこにどういう人材を置くかということが大切です。
こういう人材を会社は育てるべきです。
先ほどお話しましたように、お客様先にいくだけの技術者主導のモデルだと厳しいので、
アンドロイドなど様々なサービスにも取り組み始めました。
会社としては投資して、システムをつくるよりは、
自分たちからサービスを提供できること、これを目指しました。
これまでは完全に受身でしたので、自分たちがつくるソリューションについて、
自分たちが能動的に仕掛けていけるようなものをつくっていかなければと考えています。
ツールは何でもいいのです。

これからの時代は自分たちが考えて動いていくことができないと、生き残っていけません。
そして、社員には自分たちが考えて生み出したサービスが
お客様に受け入れてもらえる達成感を味わってほしいと考えています。

若いうちはとにかくがむしゃらにやれ!

最近のエンジニアには自分の嫌なことは敬遠するような人がいるのですが、
これはよくないですね。
私は今代表をやるようになったのですが、この立場に今立っているのも、
若いうちに嫌なことでもがむしゃらに取り組んだ結果なんです。
私も、最初に出版社で経理をやらなければ、管理部長にもなってなかったわけですし。
やるか辞めるかとなったときに、父親もやれるだけやってこいと背中を押してくれました。
嫌だけど与えられたことはやるしかないという思いで一生懸命やりました。
私も経理をやることは嫌でしたが、取り組んでいくうちに、
社会の仕組みの一部みたいなものがわかって、とても勉強になりました。
なので、まずは与えられたことをやってほしいんです。
与えられたことをやることで、おのずとやるべきことが見えてくるようになり、
道が開けてきますから。若いうちはとにかくがむしゃらに与えられたことをやれ!ですね。