代表取締役 輿石 智宏

株式会社グローバルケア 代表取締役 輿石 智宏

代表取締役 輿石 智宏

株式会社グローバルケア
設立 2002年10月1日
事業内容
  • 葬祭総合サービス
  • 葬儀事前相談・セミナー講演活動
会社HP http://www.0120-4812-24.com/

波乱万丈な幼少期から高校卒業~結婚まで

私は結構小さいころから波乱万丈な感じでしたね。
ベースとしては、母親がお寺の出身ということもあり、
自己啓発であったり哲学とまではいかないけれど、そういった環境で育ちました。

中学生になるころに『お坊さんに』という話があったけれど断ったんです。
深い意味はなけれど、お坊さんはイヤだな~と(笑)。
そんな背景があって、家にあった『マーフィー100の成功法』を何気なく読みました。
そのときはよくわからなかったのですが潜在意識が大切だと書いてありました。
(後の起業のときに実践する)

それから時が経ち高校に入るくらいの時に家業がうまく行かなくなり、
ある意味一家離散みたいな状態になったんです。
入った学校はというと女性のほうが6~7割という高校で、
私は男子の中では1番で入学しました。
お金が無かったので企業からの育英資金を頂き、バイトし、
ボケたおばあちゃんを見ながら高校を卒業しました。

そして進路を決めるときに上二人の兄姉は大学に行っているのもあって、
大学には行きたかったのですが、そんな状況ではないと思い
ホテルオークラへの就職を希望したんです。(将来料理人になり独立するために)
でも、進路の先生が『うーん、証券会社なら今いいぞ』と(笑)、勧めてくれて。
収入とかすごいなと思い、普通のサラリーマンを経験してみようと入社して、
バブルを経験しハジけました。それから結婚をする事になり
結婚までの2年間で家を買う頭金と結婚資金を貯める為、
今だから言えますけどバイトしたんです。土日も休まず、
睡眠時間3~4時間という日々でした。

バブル崩壊が転機のはじまり

本格的にバブルがハジけて、この仕事はもうダメだと思い
次の仕事を考えていたときに、これから高齢化社会かなと思って
葬儀業の門を叩いたんです。特別な思い入れもなかったのですが、
10年後には独立する目標を立てました。
入ってみたら非常に奥が深くて。ありとあらゆる知識とか
ホスピタリティ的な感覚が必要なんだとわかって、
仕事への興味が深くなっていったんです。

ある時、葬儀関係の総合会社で新規事業(葬儀屋さんの代行をする仕事)の
部長として来てくれないかと声を掛けていただいたんです。
業界では結構大きい会社なんですが、そこには葬儀に関する
ありとあらゆる部門があるんですね。その会社では、生花部・ギフト部・人材部・
レンタル部・物販部などなど、業界のいろいろなことを学びました。一番は人脈でしたかね。
業界に入って、ちょうど10年、目標どおりに、ピンポイントで独立するチャンスが訪れました。
独立をするにあたっては冒険するようなタイプではないで、
二つの会社の経営に携わりました。(葬儀社は社長・物販会社は役員として)

病気になって一皮剥けた

独立して、最初は、1階が印刷会社のビルで、5階にある事務所を間借りしてたんですね。
2階までしかエレベーターが降りないんですよ(笑)。
2階から階段なんです。夜中に棺を下ろすんですよ(笑)
外で食事をしていても、電話を私のところに転送してあるから私が基本的には受けるんです。
24時間365日、3年間くらい神経が休まることがなかっといえばなかったですね。
好きだから出来ていたというのもあるんですが。
そんな生活をしていたら、とうとう身体を壊してしまって、2ヶ月位休んだんです。
そして徐々に事務仕事や管理などで復帰しました。
その時に皮がひとつ剥けましたね。経験のある社員はもちろんいたんですが、
私がすべてやらなくてはと意識が強くてはダメだと思いました。
『任せる、信じる』も大事ですし。
相田みつをじゃないけど『にんげんだもん』と、
心の余裕を持たなくてはいけないなと、いいきっかけになりましたね。

がむしゃらにやっていた頃は、経営者としての勉強とか志とか特になく、
ただ目の前の仕事を一生懸命やっていたんですが、それだけでは、
社員にうまく伝えられなかったし、社員をどう育てていけばいいか、解らなかったのも事実です。
それで、少しずつ経営の講演を聴きに行ったり経営のためになるような事をしていきました。
全部が自分に当てはまることじゃないけど。まずは、すべて吸収し、
それから経営者として自分に合っているものや、変えなくてはいけないものを選択して
少しずつ、こうあるべきものなんだと。
経営者として日々勉強しながら今に至っています。

仕事においても世情がどんどん変わり、お客さんのニーズも変わってきています。
特に今はスピードが早いですし、僕が感じている葬儀業のあり方も
日々じゃないけど変化してきています。
より良い葬儀業にする為、出来ることがあればいろいろと発信していきたいと思います。

現在の葬儀のあり方

葬儀においては、小規模の葬儀、いわゆる家族葬というのが増えてきているんですね。
それで何が起きているかというと、家族を亡くした人たちに対してグリーフケア、
つまり深い悲しみを癒す仕組みがなくなってきたんですね。
核家族化、近所付合い、宗教離れ、など人との関係が薄くなってしまったからなんですが、
そういう観点からすると、これからの葬儀業というのはグリーフケアをする事が
必要になってくると思うんです。海外のアメリカやオーストラリアでは
そういうサービスが進んでいるといいます。

そして葬儀業は、少し前まで胸を張って言えない仕事だったんじゃないかと思うんです。
例えば、子どもが小学校で「お父さんは何の仕事をしてるの?」と聞かれて
ハッキリと答えられなかったする子供がいるそうです。
しかし現実は、もっと胸を張って言える仕事だと思います。
葬儀のお手伝いしている方からの感謝の言葉の重みを感じています。
アルバイトを含めいろいろな仕事をしてきた経験からも、
葬儀業における『ありがとう』の言葉の重みはすべての職業のトップ3に入ると思っています。

師と仰ぐ人の存在

いろいろな方のお話を聞く中で、
私が師と仰ぐ人を見つけ出すのが重要だと思っているんですが、
その中で、イエローハットの鍵山相談役との出会いがあったんです。
鍵山さんは掃除で有名な方(ライター注:NPO法人 日本を美しくする会
掃除に学ぶ会の創設者)なんですが、私も掃除は結構好きな方です。
出会いのきっかけなんですが、最初スタッフ寄りの立場で
(トイレの清掃活動に)参加したんです。

早い時間から道具の準備をしますので、
トイレ掃除をする参加者が来るまでに時間が余りました。
その時は、学校の周りや校庭を掃除します。

私は校庭の側溝を掃除していた時の事です。
結構きれいに掃除したのですが、近くに居たお年を召した方が
「まだまだ、だ」と、隅々まで綺麗にしていったんですね。
それで、この方、只者じゃないなと思ったら鍵山さんでして。
世の中にはここまで徹底してやる人がいるのかと思いました。
その頃から7年間、ほぼ毎日事務所のある地区を掃除させていただいています。
この地で仕事をさせていただいているという感謝の気持ちと、
少なからずご迷惑を掛けていると言う気持ちでやっています。
また、使い終わった道具は素手で洗っています。
道具を素手で洗うことで道具に感謝し、道具を大切に思う心を養っています。

将来の展望図

将来の展望は、正直あまり明確ではないですね。
グループ会社はあるかもしれませんが、会社を大きくしようとは思っていないんです。
ただ、必然的になってしまうかもしれませんが。
一つハッキリと言えることは揺るぎの無い強い会社です。
30人くらいの会社でも凄い会社はあるんです。

まずは、基本の組織がしっかりと出来ていないといつか崩れます。
自分の下の部長クラスがきちんと出来るようになっていかなければと思っています。
そして、自分の感性を研ぎ澄ましてないと今のスピードについていくのは難しいと思います。
インターネットの集客はあくまでも時代の流れとして、はずせない事です。
しかし、集客の最終的な入り口は、やはり会社のファンを増し
口コミやリピートのお客様です。ただ、この業界はリピート集客は難しいのが現実です。
難しいからこそ、やりがいと工夫が必要だと思いますし、
難しいから他には簡単に、まねが出来ないと思っています。
どんな事にも活路は絶対にあるはずです。

若い世代へのメッセージ

少年よ大志を抱けではないですが、
大きな志をもって行動するのが一番かなと思います。
ちっぽけなものを目標にするなよと思いますね(笑)
大きなものを考えるから小さなものが入るんです。
情熱があるからこそ、仕事でも頑張れるし起業も出来ると思うんです。
大きな太志、情熱をもつことが大事だなと思いますね。

また、自分にあった、本当に人の役に立つ仕事を見つける事です。
まずは、いろいろな物に興味を持ち、いろいろな感性を養ってください。
どんな事でも前向きに考え一所懸命やる事から見えてくるものはあると思います。