代表取締役 細谷 春之

株式会社アドバン  代表取締役  細谷 春之

代表取締役 細谷 春之

設立 1991年5月(創立1988年8月)
事業内容
  • 総合広告代理店
  • 求人広告関連事業
  • 各種広告物作成(パンフ・チラシ・他印刷物・ホームページ)
  • 医療専門の求人サイト「医療21」代理店
会社HP http://www.ad-van.jp/

まずは営業職で社会人生活スタート

私は生まれも育ちも足立区で、7人兄弟の末っ子として生まれました。
家庭は経済的に苦しかったので、バイトに明け暮れていました。
スーパーや喫茶店、引っ越しなど、本当に色々なバイトをやりましたよ。
バイトはとても楽しくて、色々とやりながら社会の仕組みを覚えたりと、
学校の勉強よりも好きでした。

高校卒業後は、アクセサリーや貴金属関係の会社で
営業の仕事をしました。
これは、高校の先生に「君は人と話す仕事が向いているよ」と
言われたことが大きかったですね。
自分でも、しゃべるのが好きだから営業向きかな、なんて思っていました。
また、ファッションが好きということもあって、
アクセサリー・貴金属関係の会社に就職したんです。

仕事内容は、まさに営業。
アタッシェケースを下げて、東京や横浜の地下街、
店舗などを回って、商品を置いてもらうための交渉や営業をしました。
それを半年ほどやった後、実店舗で店長を務めました。
その後、メンズショップに転職。
ところが店舗での仕事は、
給料はそれほど高くないのに自腹で洋服を買わなければいけないので、
お給料なんて何も残らないんです。
それに、日曜、祝祭日が仕事なので、
カップルのお客さんを見て、なんだか羨ましかったですね(笑)。
不純な動機ですが、お金は貯まらないし、あまり遊べないしで、
「これではいけない。もっと稼ぎたい」と考えるようになりました。

求人広告業界に足を踏み入れ、やがて独立・起業へ

次の仕事を探そうと求人誌を見ている時に、
「高率歩合」という言葉が目に入ったのですが、
それがこの求人広告業界でした。
初めに入ったのは、地方媒体を扱う50名ほどの会社です。
その会社では早い段階でトップ営業になることができ、
社長に目をかけられていたこともあって、
いずれは事務所を一つ任せてくれるなどと言われたりしていました。
しかし、いつまで経っても具体化しなかったので、
その会社は3年ほどで辞めました。

その後も、人を使ったり、会社に勤めたりしながら
求人広告の仕事を続けていましたが、
だんだんと「独立したい」という気持ちが強くなってきたんです。
そこで妻と2人で、小さな会社を設立しました。
竹ノ塚の、ビルとも呼べないような建物で、6畳一間に机が3つ。
私がバイクで営業をして、妻は経理担当でした。
最初は全く稼ぐことができませんでしたが、
半年が過ぎた頃から上向きになってきて、
やがて税理士にお願いするほどになりました。
それからは従業員を採用し、事務所も移転して、
徐々に会社を伸ばすことができました。

医療分野に強い広告代理店として

当社のメインは、「とらばーゆ」の医療ページです。
「とらばーゆ」の医療ページが立ち上がる時に、
1~2ページのサンプルページを引き受けたのがきっかけでした。
その時には、私がバイクで地元の病院を回って、
「このようなページができます。ぜひ参加を!」と営業をしたんです。
そうやって頑張っているうちにリクルートさんの方から、
当社が医療専門でやっていることを評価していただいて、
直接取引ができるようになりました。
これは本当に嬉しかったですね。

そして、医療専門として軌道にのってきたことで、
お客さんに何かサービスができないかを考え始めました。
代理店として普通にやっていても、少し歯がゆい面がある、
何らかのサービスや差別化ができないものか、と。
そこで、医療専門の求人サイト「医療21ドットネット」を
2001年に立ち上げました。
このサイトはリニューアルを経て、現在は「医療21」として
運営をしています。

心で働く人を応援する「医療21」

「医療21」は、儲けることを一番の目的としている
サイトではありません。
求人に関しては、人材紹介会社が出てきた頃から、
求人広告から成功報酬型へと変わってしまったんですね。
募集する側は、決まるかどうか分からないものに
お金を払うよりも、割高になってしまうとしても、
成功報酬でお金を払う方がいいということになる。
また、看護基準を上げるためにも、
一度で何人も決めてしまいたいということで、
たくさんの紹介会社と同時契約をする。
しかしそうなると、本当にそこで働きたい人を入れるのは、
どんどん難しくなってしまいます。

私はそれは違うと思っています。
だから、当社が掲げるミッションは、お金で働く人ではなく、
心で働く人を病院が採用できるようにすること。
働く側としては、そこそこのお金がないと困りますが、
目先のお金に惑わされずに、
本当に自分に合う病院を探して、良い病院に入るために、
自由応募、自分の意思で動きましょう、と。
そのために当社では、インターネット上で
「病院見学」ができるようにしています。
きちんと取材に言って話を聞いて写真も撮り、
普通の募集では見ることができない部分も見せて、
表面的なものだけにならないように心がけています。

当社のサイトに関しては、人材紹介と違って
1人決めた、2人決めたからいくらとはならないので、
はっきり言って儲かりませんので
サイトのPRにお金をかけることがあまりできないのが現状です。
ですが、一般の看護師さんや医療従事者の方などに、
我々の意思が伝わるようにアピールはしていきたいですね。

辛抱強く働くことが成功への道しるべ

インターネットが普及したことで、
今の学生は昔と違って、様々な情報が手に入ります。
しかし、そんな素晴らしい世の中だというのに、
みんな辛抱が足りないと思いますね。
どのような職業でも、まずは3年、きちんと働きましょう。
そしてやはり、色々な職業を若いうちにやった方がいい。
たくさんの職業があって社会は成り立っているので、
いち早く、自分が向いていることや好きなことを見つけて、
それに打ち込んでいくのが成功の秘訣です。
「好きこそものの上手なれ」と言うように、
自分に合った仕事ができるのは、本当に幸せなことです。

誰でも良いところは必ずあります。
若い人は自信を持って、素直な気持ちで頑張ってください。
学校を出てすぐに、何になりたいとか夢なんて
なかなか見つかるものではありませんし、
現実もそんなに甘くはありません。
しかし、あきらめずに進んでいってほしいと思います。

感謝の気持ちも忘れずに

それと、感謝の気持ちも大切にしてください。
そこで覚えておいてほしいのが「3つの幸せ」。
1つ目が「人にしてもらう幸せ」
2つ目が「自分で何でもできる幸せ」
3つ目が「人にしてあげられる幸せ」

人間は、何もできない赤ちゃんの時には、
人からお世話をしていただいて育ててもらいます。
そして成長とともに、自分でできることが増えてきて、
そのことに幸せを感じるようになります。
そうやって育ててもらったのだから、
今度は自分で何か人にしてさしあげましょう。

世のため人のために、自分ができることをする。
小さなことでも何でもいいのです。
若い人は、そのような心をきちんと持って、
特に20代は、収入を気にせず、
世のため人のために働くくらいの気持ちで過ごしてほしい。
それが必ず何らかの成功につながってきますから。

ちなみに私の若い頃は、こんなこと誰にも教わることができませんでした。
紆余曲折を経て、様々な経験を積んできた今だから言えることなんです。
だからこそ、若い人には早いうちに感じてほしいんですよね。