代表取締役 兼 グランドシェフ 毛利 将人

株式会社Main Mano Foods 代表取締役 兼 グランドシェフ 毛利 将人

株式会社Main Mano Foods
設立 2008年12月
事業内容
  • 飲食業
会社HP http://mainmano.jp/

明確だった将来への夢

小学校からスキーを始め、白馬に通いました。やがて兄の影響もあり、
ジャンプ競技を始めたのです。オリンピックを目指し、ワールドカップへ
出場を果たしますが、大学四年で引退、オリンピック出場を逃したからです。
とにかく大学四年までは、ソルトレイクオリンピックを目指していましたから、
スキーを続けたくて企業に就職しようと考え、親とは大喧嘩して、
勘当すると言われるほど熱中しました。

また、それとは別に小六の頃から、マンションの一階にあるパン屋へ
出入りするようになり、そこで物作りに興味を持ちました。
社長にも可愛がられ、将来はパン屋になることを、
無意識に刷り込まれたのかもしれません。

だから高校や大学受験の経験もなく、就職活動も一切することもなかったので、
一般的な進路とは違うかもしれません。12歳からスキーか、パンの道しか考えなかったのです。
もし迷うことがあるとすれば、パンの勉強を始めるのはオリンピック終了後か、
断念して渡仏するのか。もちろん挫折しそうになることはありましたが、
ずっとその社長に支えられ、そのままブレずに夢を叶え、パン屋になりました。
社長は師匠でありながら、実質は父親的な存在であり、それ以上かもしれません。

フランスでの修行時代

いよいよ大学卒業後フランスへ渡り、本格的にパン作りを学びます。
当時パンといえば、フランスしか発想にありませんでした。
五年間の滞在で、その間にイタリアやベルギーなど周りました。
スキーはアマチュアの選手でしたが、スポンサーがついたので、
その賞金を貯めて、当初は挨拶しか知らず、一年目は語学の勉強に集中しました。
日本から持参した教科書と、語学学校へ通いながら、家庭教師にも教わります。
一日九時間の猛勉強で、愛読書は日仏辞書でしたし、肌身離さず、
辞書を丸暗記する意気込みでした。

それにホームステイ先の環境にとても恵まれ、アパートを借りる際も、
保証人になってくれました。コネクションは何もないのに、
パンを学ぶなら田舎町のクレルモン・フェランではなく、パリへ行くように学校を紹介しくれました。
そこへ行けばきっと世界が広がるからと、背中を押してくれたのです。

二年目からパリへ移り、パンの修行は入学当時から先生にも気に入られ、
フランスのパン協会会長や、各企業の社長さんとも知り合いになりました。
その中でも、今はもう亡くなられたある人物に大変お世話になり、
いろんなところへ紹介してもらいました。
その経験からも、今も人との付き合いを一番大事にします。

そして五つ星の名門オテル・ド・クリヨン・パリで、製パンシェフに就任します。
ヨーロッパを始め、アフリカやアラブ諸国の国賓や著名人にも、
ホテルで出すパンやクレープを気に入られ、実績を積むことができました。
ブーランジェのコンテストにも出場し、入賞する結果も残しました。

フランスの師匠に勧められ、イタリアのパン屋で
半年くらい修行し、短期間の料理教室も通いました。
そこで料理のすべてを教えられ、三ヶ月でほとんどの知識を覚えたのです。
吸収力だけは貪欲で覚えも良く、シェフは面白がり、どんどん教えてくれたのです。
でもイタリア語なので言葉がほとんど通じず、身振り手振りでのコミュニケーション。
もちろん相性はありますが、それはほとんどの場合は自分のわがままかもしれません。
海外では当然、言葉の壁が大きく、それを越えなければなりません。
文化の違いはあっても、常識は世界共通ですから、
そこは通じるもので、人を引っ張る威力もあります。

もし海外で活躍したいなら、日本人魂を大切しましょう。
日本の伝統文化を守りながらも、人の話はきちんと聞ける柔軟性は必要です。
ただ外国かぶれの勘違いは通用しません。

ついに夢の実現

帰国後は師匠の下で一年間修行し、その後リーガルロイヤルホテル東京で
三年間シェフを務めてから、独立しました。
人生の転機は、もちろん自分のパン屋を開店したことです。
独立する予定は28歳と決めていましたが、金銭的な目途が立たず、
結局は三十歳過ぎて、2008年12月に独立となります。

特に情熱を傾けるのは、素材を厳選することです。
こだわり続ける理由は、ホントに良質なものを選んでマッチングしていけば、
必ず美味しいものになるからです。
市場には良いものから、悪いものまで、様々な食材が揃います。
とにかく消費者は価格を抑えられたものを求めますから、
供給する側は時間を費やし、その中から良質で安価な材料を選びます。

パン屋は労働時間が長いのに薄給で、
どうしても肉体的にもキツイ仕事だという現実があります。
それを向上させるには、お客様とのコンタクトが重要なのです。
お客様に味を気に入ってもらえれば、良い素材を選べ、スタッフも昇給し、
労働時間も短縮できます。美味しいパンを提供しながら、すべてを円満にする理想形です。

それから、一切の添加物を入れません。
日本ではイーストも添加物とされてしまいますが、自家製酵母を使います。
ただビタミンCを添加物としますが、それもアセロラパウダーなので天然です。
但し表記はビタミンCとなり、そこも徹底的にこだわっています。
だからとオーガニックはやりません。材料が、あまりに高価になり過ぎます。
それにオーガニックを求める消費者は、実は一握りなのです。
やはり何よりも、美味しさを求めているからです。

将来的に、多くの方に店の味を知ってもらいたいのは当然ですが、
意味を持ちながら広げていきたいのです。様々なパン屋がありますが、
特に大手になると、どうしても機械化されますし、
当店のパンは、あくまでも手作りにしたいので、そこは信念を持ち、
しっかり味わってもらえるものを提供し続けたいのです。

一日一生眼前入魂

自分が、心がける言葉になります。
毎日が普通に通り過ぎていきますが、本当に成功したければ、
一分一秒も大切にしなければ、その先の答えにたどり着きません。
時にはダラケたり、気を抜くことがあっても、一秒を大切にしなければ
何も自分のものにならず、すべてにおいて意味がなくなってしまいます。

食事にしても、寝るにしても、入浴するとしても、常に一生懸命。
遊びでも徹底的に、ただ単に過ごすことは誰にもできますが、
凡人か非凡人なのか、別れるところはそこではないでしょうか。
何に対しても魂をこめ、気持ちをこめることなのです。

学生時代から目指すものが明確だったこともあり、ずっとこういう考え方を持っています。
スキーはアマチュアでしたが、勝たなければ賞金はもらえません。
勝つ為にはどうしたらいいかと、常に考えていました。

社会人として、親として

人材育成に関しては、現在も取り組み中ですが、
スタッフには勤続十年になる人もいて、自分の人柄に着いていくと言ってくれます。

新入社員は、まず二極化します。
頑張るタイプは、自分からの言葉を一言一句逃さない真剣さがあります。
だから自分も真剣に向かい合います。その真剣さがなければ、退職を勧めます。
パン業界は職人の世界なので、コンプライアンスの厳しさがあり、
飛び込む前にはじっくり考えてください。きっと理想と、現実はかけ離れると思います。

また親元にいれば生活に困りませんが、それはいつまでも続けられません。
残念ですが、親にも寿命があります。どうやったら自分で稼げるのか、
それを誰でも、いつかは考えなくてはいけませんし、親からしてもらったことを、
そのまま自分の子供に伝えられ、返せるようになって欲しいのです。
少子化の現代だからこそ、受け継がれることは重要ですし、
それを親として意味のあるものに変えていかなくてはなりません。
共働きが一般的になり、子育てにおいても問題はたくさんありますが、
事件を起こす大人にならないでください。

いずれはしっかり地に足を着けて、
頭でっかちになってもいいから、前に向かって進んで欲しいのです。
倒れても前向きなら、起き上がりやすいでしょう。