代表取締役 藤倉 和実

株式会社クロンティップイノベーション 代表取締役 藤倉 和実

代表取締役 藤倉 和実

株式会社クロンティップイノベーション
設立 1999年11月09日
事業内容
  • 海外ブランドシューズの日本総代理店販売販売業
  • オリジナルブランドシューズの日本国内ならびに輸出業務
  • オリジナル雑貨の日本国内ならびに輸出業務
会社HP http://www.krongthip.co.jp
http://www.earthshoes.jp/
http://www.fitflop.jp
http://www.suffrajet.jp
http://www.jinga.jp

どんな学生でしたか?

学生時代はキックボクシング、仲間と洞窟探検、バンドに打ち込んでいました。
また友人がバックパッカーだったので触発され
とりあえずタイに行って安い航空券を購入し、
ネパール、ベトナム、カンボジア等にバックパッカー旅行をしたりして、
はっきり言って遊んでました。

また、当時流行っていたスキーサークルの副代表もやっていたのでサークルで
キャノンボールをしたりといろいろと遊んでましたね。
でも、何故か当時からナンパもできず、ダンパに行っても踊る事が恥ずかしくて、
スキー合宿に行ってもカマクラを作ったりと。。。
苦手な奴らと一緒にメインとは別の事をしてました。

何か当時から自分が違和感のあるものは受け入れられずに、
自分の楽しめることを探して楽しんでました。

メインストリームよりもサブカルチャーなものばかり楽しむ傾向が強かったと思います。

ご自身の就職活動について教えてください。

大学は専修大学の2部(夜間)に通ってたんですけど、
当時バブルがはじけたばっかりで就職先は大して興味のあるものはありませんでした。
というか、ありがちですが自分のやりたい事が見えて無かったのでしょうね。。。
周りの友人は”美味しく稼げる仕事”を狙っているのが多かった気がします。
そんな彼らを見て何か違うなと思ってました。
会社経営に興味があったこともあり、
企業調査専門の探偵になるという選択肢を思いつき、
卒業後は探偵学校に通いました。
卒業後、探偵事務所に入社したのは良かったのですが、
企業調査をやるはずだったのに実際の仕事は浮気調査ばかりで。
要は尾行漬けの日々でした。
理想と現実のギャップに悩み、耐えきれなくなって退職してしまいました。
まぁ、基本的に飽きっぽい性格と甘ったれな性分だったのも退職した理由の一つでしょう。

探偵を辞めてから次に何をやろうかと考えました。。。
人と同じことをやっても既に出遅れた立場だったので、
とりあえず海外にでも行って英語を習いながらやりたい事を見つけに行こうと。
それまでに家庭用24時間風呂の訪問販売をやったり、
建築現場のドカチンをやったりして少し資金を作り、
足らない額は恥ずかしいですが親に出してもらい、
ニュージーランドに10ヶ月語学留学しました。
帰国後の職探しは20社以上受けて
何とか渋谷にある社長・奥さんを合わせても4人位の
小さな半導体・電子部品の商社で拾ってもらえました。
当時歳も26、7だったので何のキャリアもない社会経験がない私では
なかなか面接までも行かなかった事は今でも覚えてます。

会社を立ち上げるまでと現在までの流れ

商社に勤めて1年半後くらいで独立しました。

会社に勤めていたのは1998年頃のことでしたが、
ITブームの到来とともに携帯電話、通信分野の周辺機器、
PC周りの機器等の需要が市場でかなり増えていました。

例えば携帯電話の住所録や電話帳などを書き換えるのに
使うフラッシュメモリーフラッシュメモリーの原価は当時¥200円程度だったのですが、
各ブランドの生産ラインは需要に対し増設されていなかったので
供給難に陥り、4~5千円もの高値で取引されていたのを見て、これはいける!
と思い、働いていた会社の社長に言ってどうですか?
WEB上にデータベース組んだ電子部品のマッチングサービスやりませんか?
と提言したのですが、当時社長は50歳に手が届く歳の方だったので
当時流行りだしたインターネットなんて全く理解不可能だったので、
当時2000万のシステム費必要だったのですんなり断られました。
まぁ、当時は当然の判断だと思います。

大学時代の後輩は当時DB(データベース)を組む技術を持っていました。
彼が仕事帰りにDBを少しづつ組み、
私は各海外の電子部品供給業者が当時自社の余剰電子部品在庫を
WEBにアップしていてCSV等でダウンロード可能だったので、
そんなDLのURLを毎晩仕事が終わって
家について夜中の3時くらいまでリスト集めしていました。
そして何とか約1年くらいだったか覚えてませんが、
後輩の作ったDBに等リストを定期的に
ダウンロードするWEBサイトが完成し独立開業しました。
そのサイトは日本国内で余剰部品を持って販売したい方々も
当然アップロード可能で、
部品を探している方は自分の欲しい部品の型番を検索しマッチングすれば
見積もり依頼ができるサイトです。
このシステム構築をベースにして、1999年に会社を立ち上げました。

会社を立ち上げて2年もすると、部品の供給難が落ち着いてきたのもあり、
電子部品ビジネスの仕事がなくなってきてしまいました。
何か他のビジネスをやっていかないと
会社経営が立ち行かないという状況になってしまい、
当時ピッキング被害が流行していたので
「ピッキング不可能な補助鍵」を海外から仕入れて販売したりしましたが、
相手が保守的な建築業界という事もあり、
全然相手にされませんでしたね。。。
そして大学時代の別の後輩が当時通販カタログ会社に勤めていて、
そんな彼の応援もあり当カタログで販売するための商材を探し始めました。
まだ、当カタログ通販で成熟していないカテゴリーの商材はないかと探し、
当時カーアクセサリーやガーデニング用品があまりなかったので、
当商材を台湾、イギリスの展示会当に行き
最初は小LOTで取り扱い供給できるようになりました。
電子部品を取り扱っている際は最大7人いた社員も皆辞め、
当時私と1人のスタッフのみ残っていて瀕死な状態でした。
何とか2人分この通販カタログ会社への供給で2人分は食えるようになり、
ひとまず本当に本当に安心しました。
それまでは毎日酒を飲まないと不安で寝ることができなかったのが
少しづつ寝れるようになりました。
本当に仕事があって食えるだけで幸せを感じました。
今の歳では正直ここまで耐えられないと思います(笑)

シューズビジネスを始めたのは、
雑貨の関係で取引のあったリクルートのeyecoさんのMDのご担当者、
MDのマネージャーさんから靴ブランド
「アースシューズ」の取扱を薦められたのがきっかけです。
ちょうどタイミングよく日本で
「アース」を取り扱っている代理店がなかったのは幸いでした。
今でもそのeyecoのご担当者さん達には感謝をしています。
何せチャンスをくれたのですから。。。
2006年に「アースシューズ」の日本総代理店になり、
2008年には「フィットフロップ」の日本総代理店権取得、
2009年には「サフラジェット」の販売を始めて
今に至ります。実は、シューズビジネスを始めてまだ6年目なんですよ。
毎年最低5回は各国に検品に行って生産ラインに
現地のワーカー達と一緒に汗を流しているため今ではかなり詳しくなりましたよ。

今後の方向性と取り扱い商品に対してのイデア

シューズビジネスはなんとか好調で、3年間で売上が2倍に伸びています。
今では社員が13人に膨らみ社員の管理という仕事も増えて大変ですが、
食えなかった頃の心配とは全く比べものにならない悩みなので幸せです。
今後の会社業務としては、シューズビジネスに90%、
シューズ含め他の雑貨で今までに無い商品開発を
10%のウェイトを置いてやっていくつもりでいます。

うちは中小企業。。。いや吹けば飛ぶよな零細企業。
すでにある商品・サービスの後追いをしていては
資本力、販売力のある大手企業に負けてしまいます。
ちょっと古い言い方になるかもしれないけど、
「オンリーワン」を扱って先駆け的存在になり
市場で認知されていかないといけないんです。
時代に即したニュース性があったり、
歴史あるブランドだったり、他にない技術やメカニズムだったり、
そういう付加価値のある商品を世に送り出していこうと考えています。

たぶん、そんな独自性のある商材を扱っているウチの社員も
誇りを持って楽しんで仕事をしてくれると信じてます。

予断ですが、ウチに面接にくる子達に絶対に言う事があります。
「俺にはタブーがないので正直に希望条件を話してくれと」。
要は入社後に互いに同じ社屋で仕事をしていて言いたい事がいえないと、
ストレスが溜まって仕事を楽しめない。

ウチではそれは最も「悪」、
そして互いに”個人も会社”も全く何も産めない不毛な関係だと思うんです。
夏は短パン、ビーサン、T-シャツで2次面接に私しが来て、
そんな普通の会社では言わないようなことをいうので皆キョトンとしてますよ(笑)。

まぁ、そんな予測もできない自体をどう切り返えし対応するかも見ているのですが。
正直、ここは頭の回転、感受性、感性、倫理観、幸福論や人生観が
かなり個人差が出ます。
私も同じ社屋で一緒に仕事を楽しめる子と仕事ができないとツライだけなので。。

学生へのメッセージ

まず、好きなことを仕事にした方がいと思いますよ。

社会人になると1日8時間、
下手したら12時間もの長い時間を仕事に費やすことになります。
嫌々仕事をするのと、楽しくて熱中できる仕事をするのとでは、
時間の経つスピードも違うし得られる情報量・経験値・ストレスも全然違います。

好きなことだから楽しいし、努力するのだって苦にならない。

それから、いかに人と違ったことができるかということも大事なんじゃないでしょうか。
自分でしか出来ない事を供給するからこそ、
そんなサービスに人はお金を払ったり、そんな商品を買ったりするもですよね。
人と違ったことを出来てそれを供給するというのは、
言ってみれば、経済の基本だと思うんですよね。

ITブームだった頃はIT関係の仕事は
需要がたくさんあっていい思いができた人は多かったと思うけれど、
10年たてば供給過多になってしまっている。
だから、供給過多になっても付加価値がつくキャリア、
人と違ったことができるという何かを身につけることが大事だと思うんです。

自分の好きなことで人とは違う何かを仕事にできれば理想的だと思います。 
せっかく生まれてきたのですから”自分しかできない事”を仕事にしてください。
そして、それを海外に輸出して外貨を稼いで日本国内で金を落とし内需に貢献し、
この日本に一石投じてください。

今これを書いていて電子部品の会社を一緒に始めた
後輩の口癖を今思い出しました。。。
彼は大学卒業後エロ本の局部修正係をし、
その後よくゴシップ誌で販売されている「希望をかなえるお守り」の
販売会社で働いた後、
まぁ、学生時代から彼はマニアックな事が好きでしたが(笑)
そんな彼の能力が今の職場では発揮できないとの理由で私と組んだのですが、
よく彼が事ある時に言っていた言葉が

”生産しましょう”です。

日本の為になる事を常に従事、
生産していないと自分が何故ここに居るのか確認できなかったのでしょう。
私もこの言葉を常に片隅において今でも仕事をしているつもりです。

また、これから社会人になる学生の皆さんへ最後に、

「パンクに仕事してください」
わけが分からないと思いますが(笑)。。。
音楽で言ったらセックスピストルズ、マーク ボラン、プリンス、カートコバーン、
ケンヂ、尾崎豊(街路樹の頃が特に)、岡村靖幸。。。etc

別に音楽のジャンルの事ではないですよ。分かる人には届くと信じます。

では、私もまだまだ頑張るつもりですので、互いに頑張りましょう。

インタビューを終えて

自分の好きなことを仕事にするべきだと言う藤倉社長。
好きなことは仕事のモチベーションになるので、自分で勉強をする気になるし、
成長していけるのです。
㈱クロンティップイノベーションで採用したい人物は第一に靴が好きな人、
今までにないモノを世界に発信し流通させてみたい人、
自分と正直に向き合って仕事を通じて「何が幸せなのか」を哲学できる人。

まだ新しい会社のため、年功序列的な評価の仕方はなく、
やる気と能力があれば若くても色々なことに挑戦できる風土があります。
業界の先駆けとなって、
今までなかったものを生み出すというプロセスに携わることができるので、
靴が大好きで仕事にしたい人は頑張りしだいで大きな活躍ができそうです。