代表取締役 古舘 実

株式会社フルマークス 代表取締役 古舘 実

代表取締役 古舘 実

株式会社フルマークス
設立 2005年
事業内容
  • システムインテグレーション
  • システムコンサルティング・サービス
会社HP http://www.fullmarks.co.jp/

一人が苦手だった学生時代

小学校時代は、飛び抜けたところは特になく、怒られることもない地味な子供でした。
例えば徒競争をすれば、いつも3位、1位や2位になることはありませんでした。
1番になると目立ってしまう、皆の前で何かしなければいけない・・・
そういうのが苦手で、どうも本気を出せずにいました。

大学生になっても、どこか引っ込み思案な性格は変わりませんでした。
一人で喫茶店に入ることもできず、お昼ごはんも一人で食べられない、
一人で行って注文するくらいなら食べなくてもいい、と。
ただ、本当におとなしくて何もできなくて、
閉じこもっているというわけではありませんでした。
皆といるのが楽しい、一人が苦手なだけ、
そんな性格は、皆の前では隠していました。

自分の修行のためにインド旅行へ!

しかし、それではいけないと、自分ではよく分かっていたんです。
そこで自分の修行のためにと、かなり思い切ってインドへ、
バックパッカー旅行をしに行きました。
日本からデリーに着くチケットと、
カルカッタから日本への帰りのチケット、この2枚だけを持って。
デリーから相当の距離を移動しないと、
帰りの飛行機にはたどり着かないという状況です。
インドに行って自分は何ができるのか、
移動はできるのか、ごはんを食べることができるのか、
そのようなことにチャレンジすることにしたのです。
それで、1ヶ月半ほどインドに滞在しました。

インドでは、色々なことがありました。
英語が通じなくて分からないことも多く、
バスのチケットを取ることができなかったり、騙されたこともあります。
途中で何回も止まりながら旅をして、どうにか日本に帰ってきました。

インドに行って変わることができたかというと、
それほど変わらなかったですね(笑)。
性格はそう簡単に変わるものではありませんから。
自分を変えることができたのは会社で苦労したからです。
しかしインドへの旅行で、一人でできることが増えて、
それはそれで収穫だったと思います。

キャリアのスタートは大手メーカーのSEから

就職に関しては、あまり深く考えることなく、
とりあえず大きな会社に入りたいという気持ちで、
大手電機メーカーに就職しました。

その会社では、技術系の部署に配属され、
システム開発などをやりました。
大学は文系だったので、全く未知の分野でしたが、
その頃は文系でも何でもいいから、
とにかくSEにしちゃえ!という時代だったのです。
システム開発をやったり、違う会社に出向したりしながら
基本的にはSEとして働きました。

SEという仕事は、自分で作ったものが、
そのまま動くという感じで、何かを書いたり読んだりするのと違います。
なんだか電気的なおもちゃで遊んでいるようでとても面白かったです。

しかし5,6年やっているうちに、
上司間の争いや派閥のいざこざに巻き込まれて
精神的につらい状態になってしまいました。
そこで大手建機メーカーのシステム部門に転職しました。
その頃は、新しい技術がたくさん生まれていて、
例えば、大きな機械から小さな機械へと変わっていく、
ダウンサイジングというものが進んだりしていました。
それで私は新しい言語などをやりたかったのですが、
昔からの人間は昔の技術をやっていろ、
新しい技術は、これから入ってくる若い人間に教える、
そんな雰囲気でした。

それが気に入らなくて、営業に興味を持ちました。
あとは営業が見ていられないというのもあったんです。
「俺にやらせてみろ」と、イライラしていて、
営業に行きたいと言いましたが却下されました。

水を得た魚のように営業職として働く

そんな時に、前にいた大手電機メーカーの上司から
「ベンチャーを立ち上げるから来い」と誘われました。
それで、まだ立ち上げたばかりの4人くらいの会社に、
営業として入ったのです。
ただ、その上司を含めた全員が技術出身だったので、
私に営業を教えてくれる人はいませんでした。
だから営業のノウハウ本みたいなものを
片っぱしから読みました。

お客さんのところでは怒られてばかりでしたね。
「何やってんの!?」「ハンコの押し方もお前は知らないのか?」と。
そのような時には、素直に頭を下げました。
「実は技術畑だったんですけど、営業になりました。
何も教わってないので一から教えてください」
するとお客さんには可愛がられるんですよ。
営業出身の人が、色々と連れて行ってくれたりとか。
そうやって、営業については全部お客さんから教わりました。

営業は肌に合っていたと思います。
ベンチャーに入ってからは、本当にやる気満々でした。
最初の4~5ヶ月の間に会社を休んだのは
わずかに1日だけだったほどですから。
出勤しろと言われたわけではないんですよ。
自分でどんどんやっていかなければいけない、
新しい仕事を取って、人も増やしていかなければ・・・
ととにかく一生懸命でした。
社長と私以外は全員が技術者だったので、
何でもやらないとという状態だったんです。
求人のために大学や専門学校を回ったり、
応募者の面接もやるなど、技術以外のことは何でも、です。

会社はどんどん大きくなっていきました。
売り上げも1億から2億、4億、8億と、倍々になっていき、
頑張っていることが目に見えていたので、とても楽しかったですね。

「お客様から満点をいただきたい」との思いで起業

しかし会社が大きくなって人数が増えてきて
私の目が行き届かなくなる部分が出てきたり、意見が通りづらくなり始めました。
そうしているうちに、営業のトップである私と、
技術のトップの人間の間に対立が生じたんです。
それで、同じ考えだった社員9名を引き連れて今の会社を立ち上げました。

その9名の中にあった共通の考えとは
「お客さんの満足度を高めたい」ということでした。
たいていのベンチャー企業は、一つの仕事を仕上げて納品すると、
すぐに違う仕事をしなければいけないんですね。
だから、ここがおかしい、調整してほしいなどの要望に満足に応えるのは難しい。
しかし我々は、そこのところをしっかりやりたい、それで100点をもらいたいと考えました。
社名の「フルマークス」とは「満点」を意味します。
100点を、いや120点をもらいたい、そんな思いをこめています。

120点をもらうことができれば、営業はいりません。
次もお願いします、ということになりますから。
それと、仕事をした先の担当者が転職をしても
新しい会社で、また我が社に任せてくれることもあります。
もし80点、90点の仕事しかしていなかったら、
その人が他に移れば終わりになるでしょうね。
だから、常に120点をもらうようにしていればどこからでも仕事がくるのです。

今後のビジョン

これからは人材の育成に力を入れたいです。
今いる技術者と同じくらいの能力をもった技術者を
どんどん増やしたいと思っています。

我が社が必要としている人材は、常に新しいものを自分で勉強する姿勢がある人です。
これは非常に重要なこと。今の自分に満足している人は、
いくら仕事ができても、どんなに教え込んでも駄目です。
うちの技術者は、新しい技術を勉強するのが好きですよ。
まだ日本語にもなっていないものを買ってきて最初に勉強し始めるんです。
これは本当に好きじゃないとできないことです。

私の役割は、技術者が働く環境を整えることです。
会社に来て働いているというのではなく、
家にいるような、落ち着いてリラックスできる空間、
気持ち良く働くことができる環境を作るように常に気を配っています。