代表取締役 藤崎 愼一

株式会社地域活性プランニング 代表取締役 藤崎 愼一

株式会社地域活性プランニング 代表取締役 藤崎 愼一

株式会社地域活性プランニング
設立 2003年4月
事業内容
  • 地域活性コンサルティング・人材育成
  • 日本唯一のロケ地情報誌「ロケーションジャパン」の発行
  • 映像制作者向けのロケ地検索サイト「ロケなび!」の運営
  • ロケーションプランニング事業
  • ブランディング映像制作
  • 各種イベント企画及び広告業
会社HP http://www.chiikikassei.co.jp/

大学時代に作ったミニコミ誌は発行部数が日本一に!

大学時代は、学内のサークルで自己完結してしまうのはもったいないと思い、
いろいろな大学の学生が集まってミニコミ誌を作るサークルに入り、
そこで視野を広げていきました。

私が部長になった時、学生の数だけやり方があるので、それぞれの個性を伸ばして、
新しいものを開拓できるような集団にしたいと思いました。
そのために誰でもまず受け入れ、いいところを見つけて伸ばそうと取り組みました。
その甲斐あってサークルは一番の全盛期を迎えることができたと思います。

物事を成し遂げようとしたら、弱者をかばい、いい方向に仕向けるには、
自分が上に立つしかない。
自らが正しいと思ったことは責任を持ってやり通す。

―――労働組合の委員長をしていた父から教えられたことです。

「経営者になるための近道」とリクルートに就職

サークル活動で良い結果を残すことができたので、各社にいる先輩方から
声をかけて頂くこともありましたが、リクルートを選びました。
理由は当時はまだ若い企業であり、ここで実績を作り上げることが
経営者になるための近道だと思ったからです。

入社してからは、自らを変えるためにがむしゃらに働きました。
苦労する事も多かったですが、「結果がすべて!」というシンプルな社風で、
新人でも責任ある立場の仕事をどんどん任せてもらえたので、毎日が充実していました。

徹底的な現場主義で仕事の基礎づくり。結果は後からついてくる!

初めての配属先は、住宅情報事業部で住宅の広告を担当しました。
ただ広告を取るのではなく、反響を出すために徹底的に広告を勉強し、
また相手を知るために何度も現場に足を運びました。

ただし目先の利益を追ってお客様をだましたり嘘をついたりしたら、
一過性の結果しか残せない。
「自分さえよければいい」という考えでは、長続きはしません。

そうして、23歳から30歳まで、限界を超えて働く中で、仕事の基礎ができました。
「自分らしさ」「相手にとって何が大切か」「どうすればWINWINが長く続くか」
それが分かれば、結果は後からついてくるのです。

例えば、お客様から反響を得るには、住宅の質が良いことも条件です。
そこで住宅情報誌のアンケートで読者の声を集め、お客様が求めるマンションの
データを作って、住宅関係者を集めてセミナーを開きました。
「今の若い女性はこういうマンションを求めている」というような生の声は、
デベロッパーたちに大変喜ばれました。

課長職の激務のかたわら勉強会を主宰し宅建も取得…不眠不休の日々

私自身が、広告だけでなく住宅業界の専門知識を持とうと
2ヵ月で宅建の資格を取得。それと同時に、建築、経済、住宅ローン、金利、
財政投融資も一から勉強しました。
その結果、住宅広告の世界が狭く感じるようになっていったのです。

いつしか相当な実績が上がり、課長に昇進し、2年連続で
全社マネージャーMVPを受賞することができましたが、ある時尊敬する人から
「それはリクルートの中だけでの評価だ」
と言われたことから、自分が井の中の蛙になっていることに気がついたのです。

それをきっかけに、外に出て世間で活躍する優秀な人たちと会って勉強し、
リクルートを変えてやろうと、若手の課長の勉強会も率先して開きました。

もちろんすべて営業課長としての仕事をしながらです。
あんなに勉強したのは生まれて初めての経験でした。

「日本に貢献したい」管理職の地位を捨てて自ら地域活性事業部に異動

その頃、リクルートが「日本を元気にさせよう」ということで、
地域活性事業部を立ち上げ、私がスカウトされました。

当時の私は、30代半ばでメンバーマネジメント、業績、出世コースを
手に入れていました。
しかし、「この後の20~30年間は、出がらしで終わるだろう」
という思いがわきあがりました。
優秀なメンバーにはマネジメントの必要はないし、外の勉強会に出るたびに
自分のレベルの低さを痛感していたからです。

そして、35歳の時に地域活性事業部への異動希望を出し、
役員からかなり引き留められながらも、異動が実現。不安はありました。
それまで多くの部下を従えていた人間が、原点に戻って
プレーヤーとして動くことに挑戦したのです。

私自身はより高いレベルを目指し、
可能性を求め続けていたいと常々考えています。

地域活性をリクルートで一番大事な事業にしよう、日本が元気になるために
やろうと覚悟を決めて臨みました。ビジネスはもう十分したから、
今度は日本に貢献できる仕事をしたいと思っていました。

99%不可能でも、1%の可能性があるならやってやる!

地域活性事業部に入ってから、まずは現場を知ろうと、全国を回りました。
しかし、手応えは予想よりはるかに厳しく、ほとんどは門前払い。
それまでの仕事で頂点にいたのが、一気にどん底に転落。

普通は落ち込むと思いますが、私は落ち込みませんでした。
「99%不可能」と言われるのが、私にとって一番快感なのです。
「1%は可能性があるならやってやろうじゃないか」と思えるからです。

めったに人を褒めない父から、一度だけ褒められたことがあります。
「お前は仕事の愚痴を言ったことがない」と。
私は「いつか成功した時に、これは自慢になる」と考えるので、
失敗も得だと思えるのです。
だから、失敗を与えてくれた人、辛い思いをさせてくれた人には感謝しています。

事業部が解散。自分を必要としてくれる人のために独立し事業を継続

現場に入っていき、地元の人たちに会ううちに、地域の問題点を肌で感じ、
地域に足りないものが見えてきました。
静岡県の伊東の町おこしのために、1年間で53回通いました。
あらゆる人たちに会って罵倒されては追い帰されていたのが、
その町が変わった瞬間、世間の見る目が変わりました。
一つの実績ができると、“先生”扱いされ、国や県、市町村から
続々と依頼が舞い込みました。

しかし、5年経った2003年、地域活性事業部が解散することに。
それを知った地域の人たちから、さらにたくさんの相談がきました。
その時に
「自分を必要としてくれる人が全国にこれだけいるんだ。
それなら自分でこの事業を続けよう」と決意したのです。
会社の早期退職制度を利用して退職し、
39歳で株式会社地域活性プランニングを立ち上げました。

やるからにはシェア100%! 地域を元気にするための新たな手法

ロケハンの時間短縮・コストカットに!「ロケなび!」

地域を活性化させ、お年寄りを元気にさせるためにも、地域の人たちが自立し、
自分たちで新しい産業を持つことが大切です。
その地域にしかないものを活かし、しかも彼ら自身がやることで根付かせるのです。
それを伝えるために、地域にとって効果的なプロモーションをする必要があります。

わかりやすい成功例は、富士宮市の「B-1グランプリ」があります。
10年前にはB級グルメなんて見向きもされなかったのに、
今では40万人以上が来場するイベントに成長しているのをみても明らかです。

また新たなPR方法としてここ数年で大きな注目を集めているのがロケ誘致。
ご存知の通りドラマや映画には夢があります。
例えば「冬のソナタ」のドラマ1本で、多くの人が韓国に旅行するようになったように、
エンタテインメントの力は強いのです。
それを、地域が待つのではなく戦略的に仕掛け、それに値する地域の資源を守り、
地域が自分の力で特産品開発や街の活性化などをできるように手助けするのが
我々の役割です。

その経験を活かして立ち上げたWEBサイト「ロケなび!」には、
現在、240の飲食店やホテルなどの情報を、広告料をもらって掲載しています。
映像制作者がそれを見てロケ地を決定し、撮影。
そうすると、店や施設に使用料が入る上に、イメージアップにもなります。
その効果は絶大です。

そして、やるからにはシェア100%にしていきたい。
今、ドラマ制作者のほとんどが「ロケなび!」を活用しています。

目の前にあることを一生懸命にやれば、自分の道が開けてくる

「何をしたらいいのか分からない」という人が多いですが、それなら、
今目の前にあることを一生懸命にやればいいのです。
日本はコツコツと丁寧にものづくりをしてきた積み重ねの結果、
技術立国としての地位を築くことができました。

それと同じで、今の私があるのは、一つ一つの仕事を丁寧にやり続けた結果です。
一生懸命にやるとみんなが支えてくれるし、いろいろなところから手が差し伸べられ、
多くの道が開けてくるのです。

何をしたらいか分からないなら、頭で考えるのではなく、とにかく行動しましょう。
OBや、いろいろな社会人に会って話を聞くと、自分の強みや弱みも見えてきます。
第一希望の仕事に就けなくても、そこで努力すれば必ず得るものがあります。

夢をかなえるには、そのために自分がどうあるべきかを考えて実践

夢をかなえるには、「自分がどうありたいか」をある程度決めた方がいいですね。

私は「ロケーションジャパン」という国内唯一のロケ地情報誌の発行人も
務めていますので、編集を志す学生たちからも相談を受けることがあります。
以前、雑誌の編集をしたいという学生に、編集で何がしたいのかと聞くと、
「いろいろな情報を集めたい」という答えが返ってきました。
そのためには人に会うしかないのですが、「人と話すのは苦手」だと言うのです。

それではいけない。
社会に出て取材に行って、マナーも話し方も覚えていかなければいけません。
それを嫌っていたら、編集の仕事は無理でしょう。

大学生なら、そろそろ希望を持つだけではなく、それに向けて
自分は何ができるかを考え、工夫や努力をする必要があります。

それは、就活の時だけ努力しても通用しません。
日頃の積み重ねが重要なのです。

親と会話することで自分が社会でやるべきことが見えてくる

学生が、社会に出て本当にやりたいことを作るために、
まずやるべきことは、親と話すこと。
社会人であるお父さん、お母さんと、しっかりと目を見据えて、
いろいろな問題について話し合うことも必要です。
私も自分も子供とよく話し合います。

人と仕事をするには、コミュニケーションが大事。
だから、しっかりと伝える工夫が必要なのです。