代表取締役 片岡 勇貴

株式会社プロモーションプラス 代表取締役 片岡 勇貴

代表取締役 片岡 勇貴

株式会社プロモーションプラス
設立 2010年2月
事業内容
  • メディア運営・コンテンツ運営
  • システム販売・開発
  • WEBサイト制作・ECサイト制作
  • 製品ブランディング・企画営業
  • 広告企画
会社HP http://www.prpl.co.jp

継ぐべき会社と家を失う

高校には4年行っているんですよ。
別に遊び呆けていたわけではなく、父の会社が倒産してしまったんです。
私が中学生のころまでは順調だった会社も高校に入ったあたりから陰りが見え始め、
とうとうある朝、差押人がやって来て「今日中に出てください」と告げられました。
学校も高校3年の途中で退学し、通信制に編入することになりました。

これはもちろん大変な出来事ではあったけれど、
僕にとっては良い意味でのターニングポイントでもありました。
私の家系には自営業者が多く、私もそれまでは漠然と、
いずれは父の後を継ぐんだろうと思っていたんです。
だから自分のなかで、どこかに就職して働くという考えはそもそも無かったんですね。
でもその土台が無くなってしまった。
じゃあその土台を自分で作らなければ、というのが、
起業につながる最初の発想になったんです。
今となっては、若いうちに自営業の良い部分と悪い部分の両方を見ることができたのは、
とても貴重な経験だったと思いますね。

事務職(デザイナー志望)での初就職

私は絵を描いたりすることが好きで、独学でデザインの勉強もしていたんですが、
大学や専門学校に行っていない自分がデザイナーとして就職するのは
難しいと考えていました。
そこで私はまず、あるデザイン会社に事務として入ることにします。
通信制の高校に通うアルバイト事務員ですから、最初はもちろん
デザインなんか触らせてもらえません。
しかし私に多少知識があることが知られていくと、画像の加工など
簡単なデザイン作業も少しずつ任せてもらえるようになっていったんです。
先輩の技術を盗みながら、プログラミングなども勉強し始め、
2年目にはデザイン部門の主任を任されるようになりました。
そこの社長は若手の育成に熱心な方だったので、
そこが上手くはまったのかなと思います。
しかしその年、会社は倒産することになってしまいます。

転職巧者

私は会社の役員だった方に誘われ、広告代理店の設立を
お手伝いすることになりました。
若干20歳で会社の立ち上げを一から経験できたのは幸運で、
経営の勉強を存分にさせていただくことができました。
そこで1年お世話になり、次にお声をかけていただいたのが
ネットショップの運営会社でした。
企画営業事業部の立ち上げに参加することになったのですが、
そこに博報堂の部長だった方が顧問として入ってこられた。
長く業界に携わってきた方ですからその知識は大変なもので、
その方との出会いもまた大きな財産になりました。
改めて考えるとすごいことですが、転職した先々で
その都度貴重な経験をさせていただいて、本当に運がよかったと思います。
その方に「君は独立した方がいいよ」と言われたことが、
独立の大きな後押しにもなりましたね。

起業第一弾はモデル事務所

その方の言葉通り半年で退社をし、大阪でモデル事務所を立ち上げました。
いきなりモデル事務所?と思われるかもしれませんが、
じつはデザイン会社、広告代理店、ネットショップと、
それまで経験してきた3つの仕事の知識すべてが集約するのが
モデル事務所だったんです。

モデルを使って広告を出すときには必ず制作物が発生しますから、
そこでまず広告と制作の知識が役立ちます。
また、いまはネットモデルも当たり前になりましたが当時はウェブも普及しておらず、
加えて芸能界というのは古い体質が残る業界で、
いまだに発注をファックスでするところがあったりするんです。
だからウェブ業界にとってモデル事務所との付き合いは非常に厄介なものだった。
さらに当時ネットショップには共通の悩みがあって、有名なモデルを使いたいけれど、
ネットだと写真の二次使用があるからとモデル事務所に敬遠されていたんです。
そこで我々は、写真の二次使用OKの、ネットショップ向けのモデル事務所をはじめたのです。

モデル事務所の仕事は本来、モデルを提供することだけです。
だからクライアントはデザイン会社、広告代理店、モデル事務所の3社と
やり取りしなきゃいけない。
でも私には広告と制作の経験があったので、自ら制作や広告提案まで行うことができた。
3社分の仕事を1社で出来るというのがネットショップにとって
どれだけのメリットか、経験があったからこそ私にはよく理解できていたんです。

ネットモデル革命

他のモデル事務所はネットでの露出をマイナスに捉え
著作権を守ることしか考えていませんでしたが、
じつはこれほど効率的なプロモーションはありません。
毎日何十万PVという人気のショップで有名になれば名前も浸透するし、
買い物に来る人はPCユーザーなので、モデルたちがブログを書けば
それを見に来てくれて、そこでまたプロモーションになる。
通常モデルは雑誌から広告へという流れなんですが、うちのモデルは
ネットから雑誌へと露出するようになり、そこでひとつの逆転現象が起きたのです。
つまりお金をもらいながらモデルを育てることができた。

私の狙いはまさにそれで、今では新人のモデルがむしろネットの方に集まるようになっています。
というのも、ネットショップとしては「このモデルはうちが育てた」と言いたいわけですから、
売れている子よりも無名の子の方に引きが強くなる。
事務所サイドとしては無名の子をプロモーションしながらお金がもらえるわけですから一石二鳥。
これは業界にとって非常に革命的な仕組みを生みだすことになったんですね。

転職巧者2

モデル事務所の成功で、私は燃え尽きました。
やりたいことをやりきっちゃったんですね。
精神的にもかなり疲れていたのでとにかく環境を変えようと、
事業を人に任せて東京の広告代理店からのお誘いを受けることにしました。
それが24歳になる年でした。

そこでもまた出会いに恵まれることになります。
私と同じタイミングで、エンジャパンの関西ナンバーワン営業マンが入社されたのです。
私はそれまで営業に興味がなく、願えば仕事は寄ってくると思っていたのですが(笑)、
そこで本物の営業マンに出会ってしまった。
ただの鉛筆でも売ってくるんじゃないかというくらいすごい方で、
営業力の重要性を目の当たりにしましたね。

そこで1年間お世話になった後フリーに転向し、デザイン業務に加え、
モデル事務所のときに中国の会社と取引のあった関係で、
輸入業にも手を広げていきました。
しかしそこで学んだのは、「一人で出来ることの限界」でした。
やりたいことを自由にやるために一人になったはずが、
それまで組織のなかでは出来ていたことが一人では何ひとつできない。
多分調子に乗っていたんでしょうね(笑)
でもそれを早い時期に気付けたことは幸いでした。

ニッチを攻める

そして2010年、株式会社プロモーションプラスを立ち上げました。
コンセプトは、「営業マンを必要としない制作会社」。
営業の力というのは大きなものですが、デザイナーと営業マンは
どうしたって水と油、両者の意見が一致することはほとんどありません。
「成功する制作会社は制作に徹する会社」というそれまでの経験から、
それを基本に据えて事業を立ち上げました。

当社はウェブからの集客が80%で、設立1年ですでに1000社とのお取引があります。
なぜそれほどうまくいっているかというと、ひとつにロゴという
ニッチな市場に特化したという要因があります。
「デザインします!」とプロモーションをしても誰も寄ってこないけれど、
ロゴというところまで絞れば反応はまったく変わってくるものなんですね。
また、ロゴを求めるお客様というのは新しく何かを始める方なので、
そこからHP制作など二次的三次的に仕事が派生していくのです。
もともとは起業支援をしたいという思いからたどりついたロゴ市場ですが、
日本人のロゴデザインは海外でも高く評価されており、
今後は海外展開を視野に入れていこうと考えています。

〈学生へのメッセージ〉その会社に入ることが人生のゴールか

結果が良ければ過程はどうでもいいと思うんですよ。
目的地さえ決まっていてその方向に向かっているのであれば、
どんな道をたどってもいい。

いま就職難だとしきりに言われていますが、
要するにみんな会社を選んでいるだけなんだろうと思います。
もちろんその会社に就職することがゴールならそこにこだわるべきだけれど、
現状でそれが無理なら、その会社に就職できる自分を作るために、
別の会社に就職したっていい。
どんなに小さい会社でもベンチャー企業でも、取りあえず入ってみれば、
そこで少なくても今の自分のレベルが分かるし、
新しくやりたいことが見つかったりもする。

私もわりと短いスパンで転職を繰り返してきたけれど、
転がって損をする人もいれば、どんどん経験値を増やしていく人もいます。
たとえ損をしても、若いうちの失敗は貴重なもの。
いまは後先考えず、どんな経験でも重ねていくことが大切だと思います。