代表取締役兼CEO 櫻井 規雄

株式会社ブロードブレインズ 代表取締役兼CEO 櫻井 規雄

代表取締役兼CEO 櫻井 規雄

株式会社ブロードブレインズ
設立 平成14年10月1日
事業内容
  • アセットマネジメント事業
  • デベロップメント事業
  • 不動産流動化、流通事業
  • web開発事業
会社HP http://broadbrains.co.jp/

起業したいと考えていた学生時代

学生の時から経営者になりたいという思いがあり、
いつか一国一城の主となり、自分の組織をつくろうと夢見ていました。

と言うのも、子供の頃から、私の周りにはたくさんの社長が存在していました。
母親は6人兄弟なのですが、そのうち5人が経営者という家系。
そして、祖父も経営者で、父の実家は商店を営む自営業。
そのような環境の中育った私は、経営者になるという思いはむしろ自然なことでした。
子供ながらにではありますが、資金面などの苦労も近くで見ることもあり、
良い時ばかりではないことも、ある程度知っていました。
ですが、自分の意思や考えを、仕事に反映できることは何よりも輝きがあり、
私は自分の将来というものを思い描いていました。

大学生になった時には、ますますその思いが膨らんできました。
同時に、大学生活というものに対し、これから自分はどうなるのだろうと
漠然とした不安を感じていました。
それならば、何とか起業に近い道を進めないものだろうかと考え、
学生をしながら、不動産営業のテレアポの仕事を始めることにしたのです。

1日200件掛け続けたテレアポのアルバイト

不動産業に関しましては、新聞に入っているマンション広告は
必ず目を通していたり、間取り図を見るのが好きだったりと、
興味のある分野ではありましたが、当時はこの業界でやっていこう
というところまで、まだ明確な意思はありませんでした。
ただ、先ず目先のことを全力でやろうと決めていました。

私は目標をたて、1日200件以上の電話営業をしました。
ですが、相手の顔が見えない営業の仕事は、若い私にとって非常に
難しい仕事でした。思い通りにはなかなかいかないことを実感しつつ、
でも諦めるものかと、とにかく電話を掛け続けました。

そのような中、なんとアルバイト2週間目に私は契約をとってしまったのです。
私もですが周囲も驚いたようで、会社の営業部に戻ったところ、
“正社員になった方がいい”と言う話がすでに持ち上がっていました。
歩合のことなど詳細な話も頂き、私はそこで悩んでいた大学生活に
踏ん切りをつけました。
そして大学は2年で中退、不動産業界に就職することを決意したのです。

バブル崩壊、その後転職を2回

私が入社した平成元年は、バブル時代、そして、バブル崩壊の時代でした。
実際に、小さな不動産会社がバタバタと倒産していくのを目の当たりにしました。
もちろん他人事ではありませんが、私が働いていた会社は100人体制の企業。
そう簡単には…と思っておりましたが、急にお給料が出ない事態になったのです。

いよいよ危機感を感じましたが、その時期、お世話になっていた先輩が
起業をすることになり、声を掛けられ、私は一緒に会社を離れ先輩の会社で
働くことにしました。ですが、時代が大手企業でさえも倒産する時代であったため、
入社1年後にまたしてもお給料が出ない状況に陥りました。

バブル経済で、何かあればタクシーで移動していた世の中から
一気に財布の紐を締める世の中へと変わった時代でありましたが、
その変化に腐らず、不動産業に軸足を置いてキャリアを積もうと決意した事は
今の自分を創る大きな決意だったと今、振り返ると思います。

そんな激動の時代に身のふり方を考えていたところ、
たまたま、私の今までの働きぶりをみてくれ、
評価して下さっていた途ある会社の社長から、直々に声を掛けられました。

上場チームの一員、そして次は自分の番

当初、子会社の立ち上げという話を頂き、入社したのですが、
ちょうどその時期、親会社が上場に向けて慌しい時期でもありました。
どうせ仕事をするのなら、上場に向けて力を貸して欲しいと言われ、
私は親会社に行くことになりました。

今までの営業経験から、マネジメントの力も要求され、
最終的には130名の人たちの営業マネジメントを手掛けました。
また、上場するにあたり、苦労はもちろんありましたが、それ以上に
自分の思っていることや手掛けていることが、「株式公開」という社会的のものさしで計られ、
認知してもらったことに、達成感や喜びを感じ、自信にも繋がっていました。
そしてその頃、私は最年少役員という肩書きになっていました。

その後、会社は無事に上場。そのことが、私の中で大きな節目になり、
次は、いよいよ自分の昔からの夢を実現しようと決意が固まり、会社を退職することに。
私の新しい一歩が始まりました。

お客様には“より良いもの”で満足してほしい

実は私が起業する時、30名位の人たちが“ついて行きます”と名乗り出てくれました。
もちろん、皆さん断ったのですが“初めはお給料は払えないかも”
と話をしたにも関わらず、数名が私を信じついてくることになりました。
私はその5人のメンバーと独立を致しました。

当初はやはり資金面での苦労はありました。
ですが、今までの人脈もあったり、そこから物件が集まってきたりと、
同じ業界で働いてきた功績というものが、私を助けてくれました。
そして、起業約1年後に、第1号物件“レジオス文京白山”を着手。
自分の意思が反映した商品が世に出ることになったのです。
もちろん売上も大事です。ただ、私はこの時、お客様と社員の皆が
喜んでくれたことが何よりも嬉しく、改めて“やりがい”というものを感じました。

私たちは常に“より良いもの”を作りたいと考えております。
マンションは居住者不在で、ものが作られるため“効率よく”や“安く”作ることを
考えがちですが、私たちは入居者が喜んで下さるものを第一に考え、そして
満足して頂くことが一番の喜びです。
また、住居は永くもつものでなければなりません。
より良いもので、古くなっても価値の衰えない物件をお客様に提供し、
他社の商品との差別化を図っていきたいと考えております。

現在は、業務の効率化、さらにきめ細かな対応ができるように
?ブロードブレインズを軸にグループ化をし、お客様、社会に
貢献していきたいと思っております。
具体的には2015年までに、グループ会社を10社創ることを目標にしています。

求める人物像、若い人へのメッセージ

求める人物像に関しましては、やはり“真面目な人”一生懸命になれる人です。
常にクールもカッコいいのかもしれません。ですが、私は情熱的に頑張る人と
仕事をしたいと思っています。
また仕事をする上で“礼儀礼節”は必須です。
例えば、面接をする時、最初の挨拶は皆さんきちんと出来るのですが、
終わりの挨拶はあやふやで、出来ていない人が多いことに驚きます。
別れ際の挨拶は実はとても大事なのです。

そして最終的に“全て人なり”。これは私が起業する時に書き留めた言葉です。
お客様も社員も上司も、全て人間関係です。
“人間的”に自分はどういう人間かと見つめ直し、自分の長所を伸ばしながら、
その上で様々なことにチャレンジして欲しいと思います。