代表取締役社長 千葉 三樹

株式会社エルプ 代表取締役社長 千葉 三樹

代表取締役社長 千葉 三樹

株式会社エルプ
設立 平成9年(1997年)
事業内容
  • レーザーターンテーブルの開発、販売
会社HP http://www.laserturntable.co.jp/index.html

学費を稼ぐために自衛隊を志願

私は群馬県で小中高と過ごしました。
そして高校時代の勉強には得意、不得意な科目がハッキリでるようになっており、
得意科目が数学で、苦手科目が英語でした。
ですので大学受験の時、英語が出る国立大学は諦めて、東京の私立大学を志望したのですが、
親が学費の関係上「国立になら行かせてもいい」という事に。

それならば自分でお金を稼いで私立大学を受けようと、航空自衛隊に志願しました。
ですが、配属されたレーダー基地はアメリカ人が運営していましたから、
必然的に英語を使わなくてはいけない状況に陥ってしまったのです。
社会に出て、一番苦手なものを正面からぶつけられましたね(笑)
そこで半年間、航空自衛隊の英会話教室に入学させられ、
日本語禁止という中で必死に英語を会得しようと頑張りました。
そのような生活を行ってきた事により、英語が得意になり好きになりました。
理数系志望だったのを文系に変更したほどです。
この航空自衛隊のレーダー基地は、全国に24カ所あった中で、
寒さや僻地であるという理由から一番手当がつく、北海道の奥尻島にある所でした。
そこで入学費、授業料、東京での下宿代を貯めこみ、
大学入試の地方試験がある時には札幌まで行って受験しました。
結果、私立大学に合格。
今まで同期の隊員が仕事終わりに遊んでいるのを横目に勉強を続けていましたから、感無量でした。

外資系での難題もこなす

3年間の自衛隊満期後、4年間の大学生活を過ごし、大学院に進んで結婚もした私は、
アメリカの大手電機メーカーが年齢制限なしで日本支社の人材を募集していると知りました。
もちろん面接は英語。
しかし私は軍用英語しかわからず、ビジネス英語はさっぱりという状態での面接でした。
「イエス、イエス」の繰り返しで何でも通しましたね。
結果は採用で、職種は物事を改善・改良する仕事。
大学では経営組織論を学んでいたので、私はこの会社で役に立つなと思いました。
給料は日本の大手企業の初任給よりもかなり高い額での契約でしたが、
その分仕事は厳しく、入った日の午後には請求書の山が積まれていましたね。

始発で出社して、帰りは終電後に妻に車で迎えに来てもらう毎日。
入社1年後には3倍の仕事量になっていましたが、必死に頑張って定時で帰れるようにまでなりました。
そして15年後に、アメリカ本部にある家庭用電子機器本部の担当副社長に就任。
家族を連れてアメリカへ引っ越しました。
しかし、その家電部門は就任した当時、赤字を垂れ流しており、
一日で1億円という凄まじいものでした。
調査した結果、会社が製造するTVは日本製に比べ品質が劣っていたという事が判明。
そこで、製造を他に任せて販売に特化することを考え、
日本の大手メーカーに話を持ちかけることで、当社向け専用のTV工場を作ってもらうことに成功したのです。
しかし、会長はフランスの会社への売却などを理由にメーカーへの支払いを拒否。
私は憤怒し、当時の会長に「バカヤロー」と叫んで、メーカーへの支払いを条件に会社を去る形を取りました。

レコード文化を残そうと決意

日本に帰国した後、アメリカの友人からFAXが送られてきました。
アメリカで、レコード盤を針を使わずにレーザー光線で再生する
「レーザーターンテーブル」を開発したとのことでした。
送られてきた試作品を見て「これはすごい」と思い、
日本の全電機メーカーへ開発発表会の通知を出しました。(1989)
当時の実演を交えた発表会は、ほとんどのメーカーが参加。
かなりの盛況で、電気機器としては異例の、新聞の1面を飾ったほどです。
しかし、時代はCDの時代を迎えた事と、量産に不向きでコストがかかるのを理由に
どのメーカーからも製品化を断られてしまいました。
ですが、私は音楽の原点はアナログだと信じていましたし、
CDが流行っているからといって今までのレコード文化を捨てられるものではない。
アナログ音楽にはアナログ音楽にしかない良さがあるのだと思っていました。

全世界の愛好家に発信したい

後世にもレコード文化を残したい、そして残るはず。
この思いが間違っていなければきっとビジネスとして成功するはずだと信じ、
日本のメーカーの上層部に掛け合ってみたものの結果は惨敗。
それならば自分でやろうと決意しました。
まずは、アメリカで基礎開発を行った研究者を日本に呼び寄せ製品化の開発を成遂げました。
生産に必要な工作機械の調達は、超精密機器なため手間がかかりすぎて、
日本の機械メーカー全社に断られてしまいましたが、
アメリカの軍事メーカーは手間暇惜しまないことに目をつけ、
開発から生産までを何度も繰り返し、試行錯誤しながら請け負ってもらいました。
苦労して資金を作りながら約7年もの歳月をかけ、ようやく製品が完成しました。
ここ数年、デジタルの音楽が行き渡った結果、人は再度アナログ音楽に価値を置くようになりました。
新曲がレコード盤で発売されるようにまでなったのです。
取り組み始めた平成元年には、想像も出来なかったことでしたが。
最近、世界初のノイズを除去する新製品も開発・発表したばかりなのですが、
これからも、唯一のレコード再生の総合企業として、全世界のレコード音楽家の方たちに発信していきたいです。

若い人たちへメッセージ

私は大の苦手である英語から始まり、仕事では苦手なことばかりやってきました。
音楽も実は趣味ではなく、家には一枚もレコード盤はないのです。
好きだからやろう、というのではなく、やれることをやってきました。
皆さんも自分にやれることを精一杯集中してやってみて欲しいです。
そして、絶対に途中で投げ出さないで最後までやり遂げることが大事です。
今の若い人は楽を取る傾向がありますが、それではつまらない人生になってしまいがち。
全力を尽くして行けば、その先にはきっと想像できない未来が広がっているはずですから。