代表取締役社長 奥山 邦之

株式会社シーフォース 代表取締役社長 奥山 邦之

代表取締役社長 奥山 邦之

株式会社シーフォース
設立 1979年8月
事業内容
  • プリントメディア等企画制作・デザイン・プリプレス
    商業印刷物(カタログ・パンフレット・ポスター・カレンダー等)、出版印刷物、ノベルティグッズ等
  • Webおよびデジタルメディア
    (企画・デザイン・構築・運営・アクセス解析・SEO対策・データベース構築等)
会社HP http://www.cforce.co.jp/

メーカーに就職。「会社の利益の一端を担いたい」と営業職に

大学卒業後、大手メーカーに就職し、営業職として4年間勤務しました。
もともと、営業の仕事をしたいと思っていました。
企業は売る人間がいないと成り立たないと思っていたので、
営業として会社の売り上げに貢献し、利益の一端を担うという自負を持てる仕事をしたいと思ったのです。

また、もの作りが好きだからということや、
実際のものがある方が売りやすいと思ったことから、メーカーに絞って就職活動をしました。

仕事は楽しかったですよ。
半導体製造装置のメーカーで、常に最先端のものを売っていましたから。
会社を辞めようとは全く思っていませんでした。

「人生で一番勉強した」アメリカ留学時代

しかし、27歳の時、日本人学校の教師をしている妻が仕事の都合でアメリカに行くことに。
外国で暮らす機会はなかなかないので、私が退社して夫婦でアメリカに移住しました。

会社を辞めることは怖くはありませんでした。
自分の今までの営業経験に英語力が加われば、
もう一つ上のステージに上がれるに違いないという、確固たる自信がありましたから。

アメリカで、私は学校に通うことにしました。
英語が全く話せなかったので、最初の1年間は英語学校に。
次の年は、MBAを取るために大学院に通うことを目指して、大学に入学。

学生時代に留学するのと、社会人になってからするのとでは、意識が全く違うと思います。
私にとって、社会経験をしてから留学したのはよかったと思っています。
学生時代の勉強は、やらされている感がありましたが、
この時は自分で決めて自分の意思で勉強したので、辛かったけど楽しかったですね。
毎晩1時、2時まで宿題をして、朝7時に起きて9時からの授業を受けて……と、
日本での大学生時代とは比べものにならないほど、これまでの人生で一番勉強しましたよ。

また、外から日本を見る機会を持つことは大きな経験でした。
英語学校にはいろいろな国の人がいて異文化交流ができましたし、
「日本人とはどんな人種」で「日本とはどんな国か」と自分や日本を見つめることができました。

父の製版会社に入社し、デザイン制作の新会社を立ち上げ

私の父は、印刷前のフィルムを作る製版業の会社を経営していました。
しかし、製版業には先がないと思っていたので、私は父の会社に入るつもりはありませんでしたし、
父からも会社を継いでほしいとは言われていませんでした。

しかし、アメリカに住んで2年経った頃、父が同業者の友人と共にアメリカに来たのです。
その友人は言いました。

「せっかくお父さんがここまでにした会社をつぶすのはもったいない。
お前が継げ。でも製版をやっていても先がないから、
その前工程のデザイン会社を作ってお前に任せるからやってくれ」

1社を任せてもらえるならおもしろいからやってみようと思い、1998年に帰国し、父の会社に入社。
でも、この業界について何も知らなかったので、一営業マンとしてスタートしました。

その頃の製版会社の多くは、お客様のほとんどが印刷会社や広告代理店という下請け体質。
製版は非常に特殊な技術なので、黙っていても仕事は来るのです。
でも、製版業はいずれ衰退するし、デザイン制作を始めても
印刷会社や広告代理店に営業してぶらさがっていたら、また同じことの繰り返しです。
そうではなく、直接のお客様を開拓しなければいけないと思い、
私と大学時代の友人2人で、製版とは別の営業部隊を立ち上げました。

新規事業を始めて3年間は赤字でした。
それもそのはず、お客様には、「製版会社に何ができるの。実績もないのに」と言われました。
しかし、既存のお客様からの受注で実績を積み、今では売り上げの8割が新規のお客様です。

そして2010年、父の後を継いで社長に就任しました。

紙もWEBも――時流を読んで柔軟に事業を変化

紙のデザイン制作をやっているうちに、
お客様からWEBやECサイトができないかという依頼が出てきたため、
2006年からWEB事業を開始しました。
「最大の効果を出す」というお客様のニーズのために、
また商品・サービスの特性に合わせて紙かWEBか選択し、あるいは組み合わせて提案しています。
また、制作だけでは受注するのは難しいので、
2010年からはさらに前段階の企画から取り組み始めました。

このように、当社のビジネスは、我々の意図していなかった形で変化していて、
今後の展開を予測することは非常にむずかしいです。
アンテナを立てて流れをきちんと読み、方向を見定めながら、
その時々で進むべき道を決めるのが当社のやり方だと思っています。

「天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。」

好きな言葉は、
「天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。」
これは、全てのことにはタイミングがあるということです。
それは、自分で決められることではありません。

チャンスとは往々にして、後から振り返って「あの時はチャンスだった」と思うもの。
そのタイミングをつかむためには、常にアンテナを立てて、
トレンドなどを見定めないといけないと思っています。

社長業に欠かせない情熱の「赤」

好きな色は「赤」。
赤には、情熱を奮い立たせる力があります。
社長業は、社員やその家族の人生の一部を預かっているという責任があるわけですから、責任は重大。
情熱がないと、長くは続けられないと思います。

諦めずにチャレンジを続ければ必ず成長する

今の若い人たちを見ていると、夢や希望はあっても、
それは「叶えるもの」ではなく「叶うもの」と考えている人が多いように思います。
なんとなくやっていくうちに、周りの環境や運にまかせて、そのうちできるだろうという姿勢。
「自分の力で夢を実現させてやろう」、という気持ちが見られないんですよね。
いくら周りの助けがあっても、本人にやろうという意思がないと、実現させるのは難しいですよ。

若いうちは、いろいろなことにチャレンジしたらいいと思います。
私が社会人になった頃は、会社を辞めたり転職したりすることは大変なことでした。
でも、今はそんなことはないので、自分の夢や自己実現のために転職するのはいいと思います。
ただ、簡単に辞めるのはよくないですが、
目的のために必要なら、諦めないでどんどんチャレンジし続けてほしいですね。

人間、諦めた時点で終わり。
諦めさえしなければ、ゆっくりでも必ず成長しますから。