代表取締役 藤原 仁

株式会社シルバーバック 代表取締役 藤原 仁

代表取締役 藤原 仁

株式会社シルバーバック
設立 1998年5月14日
事業内容
  • 児童向け学習書、知育商品の出版、卸
会社HP http://www.silverback.co.jp/

教員試験に落ち、たまたま受けた出版社でトップセールスに

学生時代は教員を目指していました。
しかし、当時も景気が悪くて教員は競争倍率が非常に高く、採用試験は不合格。

急遽、就職活動を始め、銀行や信用金庫、消費者金融、先物取引の会社など、
10数社受けましたが、全て不採用でした。

こうなったら、就職浪人して再び教員を目指そうかと思っていると、
野球部の先輩から紹介されて出版社の面接を受けたら、その日のうちに採用が決定。
「人生って、最初から決まってるんだな」と思いましたね。

そして、1978年、永岡書店に就職。
すぐに辞めて教員になろうと思っていたのに、営業畑で20年勤めました。
性格的に営業の仕事が向いているし、教員にならなくてよかったと思います。
営業はいろいろな人と会えるし、楽しくやっていましたね。

私の営業成績は20年間目標は必ず達成してましたね。
相手のためになることを第一に考えて仕事していたからだと思います。
「売れる」だけではなく、
「なぜそれを勧めるのか」「それを置くことによってどんないいことがあるか」
という根拠が大事。
数字は、前に置いて目標にするものではありません。
相手のために仕事をしているうちに、数字が後からついてくるんです。
振り返って、数字がついてこなければやり方が間違っているということですね。

20年勤め、「自分の力を試したい」と退職

1994年、39歳の時、習いごと情報の雑誌を作ることになり、
新会社の経営企画室の取締役として出向しました。
しかしなかなか雑誌が売れず、心労で一歩も動けなくなったことも。

3年後に元の会社に戻ったら、外で経営に携わったことによって、
それまで見えなかったものが見えるようになっていました。
どうしても、物の見方や考え方が経営者目線になってしまい、

入社時は「社長のために死ぬまで頑張ろう」と意気に感じて頑張っていたのが、
どうも合わなくなってしまったんです。
部下に対する接し方も、それまでの兄貴的な立場から経営者的なものに
変わったせいで、かわいがっていた部下たちが気が付いたら離れていきました。

そして1年経ち、退職して起業することを決意。
悩んだのはたった3日です。
金曜に「このままではいけない」と思い、
土曜に人に相談すると、「夢とお金は同時に取れない」と言われました。

「仕事人生のあと20年、自分の力でどれだけやれるか試してみたい」と思い、
辞め時かなと考えました。
そして、日曜に辞表を書いて月曜の朝一番に提出したんです。

これから何をやるかは全く考えず、とりあえず辞めました。
すると、それまで自信がみなぎっていたのに、辞表を出した瞬間、
できないことがたくさんあると気付いたんです。
会社の名前も商品も何もなくなるんですから。
不安で不安で、息をするだけで苦しい日々が始まりました。

前職の会社の営業代行で起業

そして、永岡書店の営業代行をやらせてほしいと申し出たら承諾され、
退職後すぐに起業。
すごくラッキーでしたね。

西新宿で6畳一間のアパートを借りて事務所にし、一人でスタートしました。
ダンボール箱の机で、「今に見てろよ」という気持ちでしたね。

でも、起業してみて、自分で動かないと何も手に入らないということを痛感しました。
サラリーマンだと、自分がサボっても他の人が頑張れば給料がもらえますが、
一人になると、自分が動かないと1円も入ってこないんです。

電車賃の節約などいろいろ考えましたが、そうすると後ろ向きになってしまうので、
「節約よりも、タクシーで行けるようになるために、今何をするべきかを考えよう」
と発想を転換しました。
その方が元気が出るんですよね。

先が見えず、毎日が不安なので、土日も休まず会社に行きました。
そして、不安なことを払拭するために、
とにかく毎日一生懸命仕事をすることだけに集中しました。
必ず、その点が、毎日積み重なることで線になり、面になるはずと信じて。
そう考えて行動しないと、怖くてやってられなかったんですね。

「七田式知力ドリル」のヒットで会社の窮地を脱出

起業当初は、お金も商品もありませんでしたが、人脈だけはありました。
かつての取引先の書店さんは、退職してからの方がよくしていただきましたね。
それまで、「相手のために何ができるか」を考えて
一生懸命仕事してきた成果だと思います。

2004年から、当初の代行業をやめ、自社商品の出版や他社商品の卸を始めました。
当時、大ブームになっていた「100ます計算」の影山先生にダメモトで依頼したら、
「いいですよ」と快諾。
しかし、スケジュールの都合で1年待ってほしいと言われ、
そんなには待つ余裕はありませんでした。

そこで、右脳幼児教育の開発で有名な七田眞先生のところに行きました。
それまで依頼を断っていたらしいのに、たまたまいいタイミングで引き受けてもらいました。
大変ラッキーでした。
そして、「七田式知力ドリル」は今でもよく売れていて、
定番の人気商品に成長し、今まだ進化しています。

経営に最も大事なのは、流れとタイミング

おもちゃをたくさん扱っていた時期もありますが、
ここ数年は、書籍、おもちゃ、文具の接点がなくなってきたと感じ、
今はアナログの知育教材に特化しています。
電子音を使ったものは一切扱いません。
飽きがくるし、使う方に「やらされている」感がありますから。

かつて爆発的にヒットした「音の出る絵本」は、当社にも話はきましたが断りました。
やれば売れるとわかっていて断るのは度胸がいりますが、
小さな企業こそ理念をしっかり持って我慢しないとつぶれますから。
やがて「音の出る絵本」はブームが去り、今はかつてほど売れなくなりました。

私は、書店でお客様が何を求めているかを感じられるようにいつも力を注いでいます。
絶えず世の中の動きを感じようとしてアンテナを張っていると、その部分がよく見えます。

経営に最も大事なのは、流れとタイミング。
それにどう乗るかが、経営者の腕の見せどころ。
今はいい流れが来ていますから、私の力が試される時だと思っています。

笑顔を作るのが目標。今後は高齢者向けの商品も

当社の願いは、子どもが健やかに育つこと。
そのために、本があったり、ドリルがあったり、ねんどがあったりと、
いろいろな要素があって、子どもは大きくなっていきます。
それをお手伝いできるような会社になりたいですね。

何を作っていますかと聞かれたら、答えは「笑顔」です。
また、子どもが一番うれしいのは、誉められることです。
当社の商品は「2way」で、子どもだけでなく親子で喜びを共有してもらえることを
目指しています。
お母さんと子どもが一緒に取り組んで「できたね。すごいね」そんな状況が
見えるようなものを作っていきたいですね。
知育玩具やドリルは一つの道具であって、目標は「笑顔」なんです。

今後は、幼児向けだけでなく、高齢者向けの商品も開発していきたいと考えています。
脳を鍛えるようなドリルや、手先を動かすねんどなどは、
これからの時代にきっと必要とされます。
基本的な中身は幼児向け知育教材と同じでも、
対象が変わることで持つ力が変わります。
いずれ書店に「じーじとばーばのコーナー」を作りたいですね。

どんな仕事でも、3年やれば時間が助けてくれる

座右の銘は、「断じて行えば鬼人もこれを避く」。
これは、自分が絶対にやり遂げようという強い気持ちを持てば、
鬼もそれを避ける、障害のほうから自然と避けていくという意味です。
人の運命は決まっている中で、どう生きるかが大事です。

また、どんな仕事でも、3年くらいはやらないと、かけた時間がマイナスになります。
3年やれば、時間が助けてくれることがあるんです。
それまでは我慢した方がいいですね。

野球でも、最初は素振りや球拾いばかりで苦しいけれど、
続けていれば積み重ねが助けてくれます。
それまでに辞めてしまえば、苦しかったことだけしか残りません。
勉強でもなんでも、九九などの基礎は苦しいから誰だってやりたくないけれど、
最初は強制的にやらないとダメなんです。仕事もそうです。

人脈を築くためには「ギブ&ギブ&ギブ&テイク」

経営者にとって大切なのは、「遠くをぼんやり見ること」。
今後、あるべき姿を遠くにぼんやり描いておくこと。
近くばかり見ていると視野が狭まりますから。
そして、その場で変えていく瞬時の判断力も必要です。

また、人との縁は大事にした方がいいですね。
最後は、人と人ですから。
「ギブ&テイク」ではなくて、「ギブ&ギブ&ギブ&テイク」。
三つ与えて一つ返ってくるんです。
人脈は、これでもかこれでもかと相手のためにやってあげて、やっとできるものです。